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2006年8月27日 (日)

18冊目 『あたらしい教科書 3 ことば』

コトバは面白い、コトバは難しい、コトバは不思議だ。

こうして文章を綴りながら、私は思います。自分の思いや考えを整理しながら、コトバを選び、並べ、文章にし、誰かに伝えるということ。会ったことも話したこともない人と、さらにはすでに同じ時間を共有し得ない先人たちと、コトバを介して出会えるということ。「コトバ」とは一体何なのか。その問いを様々な角度から投げかけてくれる素晴らしい本と出会いました。それが今回紹介する、

『あたらしい教科書 3 ことば』 加賀野井秀一 酒井邦嘉 竹内敏晴 橋爪大三郎 2006.4 プチグラパブリッシング

あたらしい教科書 3 ことば』 加賀野井秀一 酒井邦嘉 竹内敏晴 橋爪大三郎 2006.4 プチグラパブリッシング

です。今年刊行されて注目されている『あたらしい教科書』シリーズですが、ついに「ことば」をテーマに掲げた本が出版され、大いに期待していました。読んでの感想を初めに言ってしまうと、個人的には大満足の一冊でした。内容はというと、「ことば」について、現代思想、脳科学、演劇、社会学という4つの異なる分野からアプローチがなされて、それぞれの分野での「ことば」との格闘の様子が紹介されています。目次を見てみると、

イントロダクション

第1章 言葉から何を学ぶか(加賀野井秀一)

コラム1 多言語の現在(編集部)

第2章 言語の謎に挑む脳科学(酒井邦嘉)

コラム2 ことばの仕事(一倉宏)

第3章 からだとしてのことば(竹内敏晴)

第4章 社会は「言語ゲーム」でできている(橋爪大三郎)

コラム3 声が響いているということ自体の不思議さ(多和田葉子)

第5章 ことばをさらに学ぶために

となっています。この『あたらしい教科書』シリーズは、本の構成が工夫されていて、大事な言葉やキーワードが上下に設けられた余白部分で丁寧に解説されています。また、堅苦しい「教科書」ではなく、たくさんのイラストが散りばめられていて、そのゆとりある空間と落ち着いた色使いが、非常に心地良く感じられました。

私は「コトバ」に興味があるものの、これまで専門的に言語学を学んだことはありません。そんな私にとって、「ソシュール」「チョムスキー」という言語学に大きな足跡を残した人物と本書で出会うことが出来たのは非常に幸せなことでした。

言語とは実体ではなく、差異の体系である。(P16)

当時、常識的な言語観であったのは、まずモノが名前に先んじて存在し、そこに一つひとつラベルを貼るように、名前としての言葉が後づけされるという「言語名称目録観」でした。それに対してソシュールは、モノは名前に先立たないと主張したのです。

ソシュールは、言語の価値はそれ自体としてあるわけではなく、言葉と言葉の差異によって決定される、という言い方で説明しました。つまり、言語というのは、実体よりも差異が先にあり、網の目のような差異の体系として出来上がっているのだ、と。(P14)

私たちが日常何気なく使っている日本語についても、より目を向けさせられることとなりました。

言語学には「デノテーション」と「コノテーション」という用語があります。デノテーションとは言葉本来の意味で、「今日は暑いね」と言えば、文字通り暑いということを表明していることになります。これに対し、コノテーションとは言葉の背後にある意味のことで、同じ「今日は暑いね」という言葉が「窓を開けて」を含意したり、「ノドがかわいた」が「飲み物を持ってきてほしい」という意味であったりするわけです。もともと日本語は、コノテーションに長けた言葉でした。(P32-33)

なぜ手話に共通言語がないのか。このことについての説明には正直驚きました。

手話を人工言語と誤解している人が多いようですが、手話もまた、自然言語です。手話と音声は見かけが違うので、同じものではないと考えられがちですが、それが間違いであることは科学的にもはっきりしています。実際に手話を使っている人たちは、夢も手話で見ますし、寝言を言う代わりに手を動かしているんですね。

かなり手話に詳しい人でも、「なぜ世界に共通の手話がないのですか」と言います。自分は手話を覚えたいと思っているけれども、日本の手話だったら日本でしか通用しない、世界共通の手話があったら覚えるのにと。それが理由で手話を勉強しないのは、残念なことです。手話は、人間の自然言語だからこそ、多様性が生まれる。全世界に通じるような「共通言語」が存在しないように、多様性があるというのは、まさに手話が自然言語である証拠なんです。(P55-56)

さて、私はとうとう、そのコトバ、人と出会うことが出来ました。どれだけこの時を待ったでしょうか。私がコトバについてこれまで自分なりに考えてきたことと、見事に共通する話題が述べられていたのが第3章、竹内敏晴さんの文章でした。

現代という時代を見渡すと、メルロ=ポンティが言うところの「まことのことば」、今生まれ出てくることばが切り捨てられてしまって、ことばが情報伝達でしかなくなってきているなと感じています。親や教師が子どもに言っていることばさえも、情報伝達でしかなくなってきている。お母さんが「危ない!そこをくぐってはダメ!」と言えばいいところを、「そういうことをしちゃいけないと前から言っているでしょ」と言う。子どもはそんなことでは動かないですよ。そういう意味で、ことばが生きていないというか、どんどん節約されているんですね。生きていることばは、公衆の場でどんどん排除されています。

情報伝達のためのことばは、使い古された、すでにあるものを組み合わせるだけですから、新しいことばは生まれないわけです。だから、人は何万語としゃべっていても、実は一定のある枠組みの中でやりとりしているだけで、同質のものが行ったり来たりしているということになります。極端に言うと、自分が自分に答えているだけで、本当の意味での他者がいない。情報伝達の相手は誰でもよく、取り替え可能なんですね。これでは、本当に働きかけようとする相手が存在していません。(P80)

自分のことばが本当に相手に届いて、からだに触れ、相手を動かしているかどうかがはっきりしなければ、意味がないんですよ。(P82)

今、ほとんどの人は、誰かがしゃべっていることばは文章として頭の中に入れればいい、知識の冷蔵庫に入れておけばいいと思うようになってきています。人間に「話しかけている」という、その人の身心働きかけ全体がことばなのだとは考えていません。でも本来、「からだ」と「ことば」というふうに分けられるものではない。「からだ」と言おうが「ことば」と言おうが、それは一人の生きた存在の、ある局面をどう呼ぶかという問題にすぎず、ことばが生きているときは、からだも生きているのです。(P82-83)

乱暴に言えば、ことばで何かを伝えるというのは、不自由なのが当たり前なんですね。スラスラとしゃべれるケースというのは、情報伝達のことばの組み合わせであって、知り抜いたことばを知り抜いたパターンで組み合わせる作業をいかに早くやるかというのは、現代の人たちならできないことではありません。しかし、自分の中で、今生きていることばにして、自分の表現にしようとすることは、気持ちが深ければ深いほど難しいんです。まずは、スラスラとしゃべらなければいけないという考え方自体をストップする必要があります。(P91-92)

考えながらしゃべっている人の話は、スラスラしゃべる人の話よりもよく聞いてしまったりするでしょう。それは、その人が自分の中で、今ことばを探っている状態に触れられるからです。「ことばを選んでいるんだ。どこから出てくるのかな?」という、出てきたことばそのものよりも、そのことばが生まれてくる土台みたいなところに触れることができる。ことばが生まれる過程を一緒に体験できるというわけです。(P94)

話すのがうまい人、苦手な人がいます。聞いた話がいつまでも心に残る人、すぐに忘れてしまう人がいます。私はこれまで、話すのが苦手な人の話は何故か心に残り、話すのがうまい人の話は、その時はずいぶん納得するわりに、後になって話の内容を思い出せないということを何度か経験してきました。それで私なりにそのことを考えてみて、話が苦手な人の話は、スムーズでない分、その人が何を伝えたいのかを汲み取ろうと、こちら側から近づき、参加しようと努力するために、結果として心に残るのではないかと思いました。話がスラスラと出来る人が話す場合、聞く側がずっと受け身の状態になりがちですもんね。

このことは、竹内さんが「ことばが生まれる過程を一緒に体験できる」と述べられた箇所と重なるのではないかと思ったのです。このことから私は、「ことばが生まれる過程を大切にしないといけない」、つまりは、ことばを急かさないこと、待つということを大切にすることが、結果として借り物ではない「まことのことば」が生みだされるということにつながるのではないかと考えました。

子どもの頃、特に学校での、作文を書く、発表をするという場面。上手に、早く、効率良くしないといけないと、子どもながらにプレッシャーを感じることが多かった気がします。難しいことだと思いますが、「まことのことば」で自分自身を表現していくには、竹内さんの、「ことばが生まれる過程を大切にしないといけない」とのことばの重みを真に受け止めていく必要があるのではないかと思いました。

第5章では、さらにことばを深く学びたい人のためのブックガイドがあり、紹介されている本はどれも興味深いものばかりです。一つひとつの書籍へのコメントはここでは書けませんが、紹介されている本は参考までにここで紹介したいと思います。

・『言語学が好きになる本』 町田健 1999.1 研究社出版

・『「ことば」の課外授業』 西江雅之 2003.4 洋泉社(新書y)

・『日本語は進化する』 加賀野井秀一 2002.5 日本放送出版協会

・『漢字と日本人』 高島俊男 2001.10 文藝春秋(文春新書)

・『ことばと文化』 鈴木孝夫 1973.1 岩波書店(岩波新書)

・『言語の脳科学』 酒井邦嘉 2002.7 中央公論新社(中公新書)

・『言語を生みだす本能(上)』 スティーブン・ピンカー 1995.6 日本放送出版協会

・『言語を生みだす本能(下)』 スティーブン・ピンカー 1995.7 日本放送出版協会

・『たったひとりのクレオール』 上農正剛 2003.10 ポット出版

・『「心」はあるのか』 橋爪大三郎 2003.3 筑摩書房(ちくま新書)

・『ことばと国家』 田中克彦 1981.11 岩波書店(岩波新書)

・『論理トレーニング』 野矢茂樹 1997.11 産業図書

・『「からだ」と「ことば」のレッスン』 竹内敏晴 1990.11 講談社(講談社新書)

・『言葉の力』 松永澄夫 2005.6 東信堂

・『レトリック感覚』 佐藤信夫 1992.6 講談社(講談社学術文庫)

・『寝ながら学べる構造主義』 内田樹 2002.6 文藝春秋(文春新書)

・『記号論への招待』 池上嘉彦 1984.1 岩波書店(岩波新書)

・『ことばの歴史』 スティーヴン・ロジャー・フィッシャー 2001.7 研究社

・『残像に口紅を』 筒井康隆 1995.4 中央公論社

・『困ったときのベタ辞典』 アコナイトレコード 2005.5 大和書房

・『ちょっとしたものの言い方』 パキラハウス 1993.9 講談社

・『世界言語文化図鑑』 バーナード・コムリー 2005.1 東洋書林

・『世界のことば小事典』 柴田武 1993.5 大修館書店

・『アレ何?大事典』 佐々木正孝 2005.4 小学館

この本を通じて竹内敏晴さんと出会えたのは、すごく幸せなことでした。次は竹内さんの書籍にも目を通したいと思います。ことばについて、洗練された「問いかけ」を投げかけられて、自分自身考えさせられ、多くの新たな知見を得ることが出来たと思います。

◎関連リンク◎

あたらしい教科書(Petit Grand Publishing)

加賀野井秀一(中央大学)

Sakai Lab(東京大学)

Body&Words からだ2006

橋爪大三郎 研究室(東京工業大学)

・『人生を3つの単語で表すとしたら』 一倉宏 2004.4 講談社

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コメント

ことばって難しいです。本当にそう思うようになりました。

はっち、ゲド戦記見に行ってきたよ。
それから、この前掲示板に書き込んでくれた内容、
ようやく始まった(始める事ができた)

ゲドの感想はまた後日(笑)

投稿: おうじ | 2006年8月29日 (火) 19:36

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