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2007年1月28日 (日)

32冊目 『122対0の青春』

先日、今春に開催される第79回選抜高校野球大会の出場校が発表されました。ついに高校野球も平成世代のものとなりましたが、球児たちの真剣で清々しいプレーは時代を超えてなお、私たちの胸を熱くしてくれるように思います。今回私が手にしたのは、

『122対0の青春 深浦高校野球部物語』 川井龍介 2004.5 講談社(講談社文庫)

122対0の青春 深浦高校野球部物語』 川井龍介 2004.5 講談社(講談社文庫)

という本です。まず目次を見てみると、

第一章 「先生たち、クビになるのか」

第二章 あってはならない試合なのか

第三章 ロボコップとへっぽこ球児たち

第四章 「挑戦」の季節がまたやって来る

終章 二〇〇二年春から――学校と彼らはその後……

文庫版のためのあとがき

となっています。

この物語が生まれたきっかけ、それは1998年夏の甲子園大会の地方予選、青森県大会でのある一試合にあったのです。1998年夏といえば、怪物投手・松坂大輔を擁する横浜高校が高校野球史上に残る数々の名勝負を生みながらの春夏連覇を成し遂げたことが思い出されます。華々しく頂点を極めた横浜高校と、ある意味で対極をなす高校野球の試合がこの夏行なわれていたことを、みなさん憶えているでしょうか。

1998年7月18日、大会4日目を迎えたこの日、青森県運動公園内にある県営球場では、第三試合「東奥義塾―深浦」戦が行なわれることになっていました。「東奥義塾高校」は甲子園にも出場したことがある野球の名門校、一方の「県立深浦高校」は青森県の西端、西津軽郡深浦町にあり、当時の在校生は143人という小規模校で、1986年に硬式野球部が発足して以来、夏の大会では勝ち星がありませんでした。

試合開始予定から30分が過ぎた午後2時33分、球審がプレーボールを告げました。地方大会の序盤戦であるこの試合の結果が、高校野球関係者のみならず日本全国の多くの人々に衝撃を与え、この試合に出場した選手達を巻き込んでの騒動に発展するとは、この時誰が予想出来たでしょうか。

「いったいどうやったらアウトがとれるんだろうか」(P30)

深浦高校野球部の工藤監督は途方に暮れていました。それもそのはず、試合が始まって一回表の「東奥義塾」の攻撃、「深浦高校」は1アウトもとれないまま24点を先取されていたのです。ようやくセカンドフライで1アウトがとれたのは8番バッターが3度目の打席に立ったときでした。

ようやくスリーアウトがとれたのは、のべ四十二人目の打者が三振に倒れたときだった。試合開始から五十七分、約一時間が一回の表だけの攻撃に費やされ、その間に東奥義塾の得点は「39」にのぼった。(P37)

「深浦高校」の攻撃はものの数分であっさりと終わってしまい、試合の殆どは「東奥義塾」の攻撃に費やされました。どんどん積み重なっていく「東奥義塾」の得点。もはや試合の勝敗は明らかです。それでも力の出し惜しみをしてこない「東奥義塾」。

一体この試合にどうやって決着をつけるのか。終着点探しの難題に対して、関係者の間に不安や心配が広がっていました。一時は工藤監督も決断しようとした「試合放棄」、しかし選手たちは様々な気持ちを抱えながらも最後まで試合を続け、「122対0」の7回コールドで試合は幕を閉じました。

3時間47分に及んだ「激戦」で深浦高校の選手たちは疲れきっていました。そんな選手たちとは無関係に、高校野球史上に残る「122」というこの試合での記録はその後、一人歩きを始めてしまうのでした。

YOMIURI ONLINE 2005年8月20日:1998年7月、東奥義塾に7回コールドで敗れた深浦の最後の攻撃。スコアボードには122-0が表示されている(青森県営球場で)

実は私も当時のことを微かに憶えています。野球の試合とは思えないその得点を新聞紙上で見かけ、そしてテレビでも扱われているのを見たように思います。多くの人にとって、初めて知る地方高校の名前と試合の衝撃。つまり、この試合によって「深浦高校」は「122対0」で負けた高校として、社会的に『誕生』してしまったのです。

試合後、選手たちの家族のもとには親類からの電話が相次ぎ、深浦高校には激励の手紙が届き、テレビではこの試合を巡って、「最後まで諦めずに頑張った」「大会に出る資格があるのか」といった意見が飛び交いました。

当事者である選手たちにとっては、あくまで「ある一試合」であり、注目されなければそれっきりだったかもしれないこの試合は、いつまでも深浦高校と野球部の代名詞として結び付けられ、事実ではないことが話されたり、選手の心情とは違うことが忖度されたりと、大きな波紋を起こし続けることになりました。

本書は、大きな話題となった試合当日の球場風景から始まります。試合中、選手たちはどんな気持ちだったのか、そして彼らを取り巻く関係者はどう思っていたのか。更に試合後の波紋に戸惑う選手たちの思いにも触れられています。

当然のことですが、深浦高校野球部は「122対0」から始まったわけではありません。工藤監督が深浦高校に赴任してきたこと、そして部員が集まり、チームがスタートしたこと。全てがこの試合に繋がっていきます。そしてこの試合後のことも著者はずっと追い続けていきます。「122対0」を味わった当時高校1年生の部員達のその後の軌跡を追った人間ドキュメントともいえる内容です。深浦高校野球部を中心にして語られていきますが、彼らを取り巻く家族や他校の選手、監督など、様々な人々の視点から「あの試合」を、そして「深浦高校野球部」を見ていくことで、真実に近づいていこうとする著者の姿勢に好感を持ちながら読みました。

著者は「文庫版のためのあとがき」で、このように記しています。

私が追ったのは主に深浦高校野球部の足跡だが、書きたかったのは野球の話だけではない。彼らの野球を通して見えてくる、さまざまなものである。それは、大げさに言えば人生における「勝ち負け」の意味といったものであり、また地方と都市の格差、そして古くて新しい問題である過疎である。(P294-295)

波紋を広げたあの試合をきっかけにして語られ始めたこの物語、多くの人々の交差を前にして、私にとっていろいろなことを考えるいい契機となったのは事実です。試合結果の数字だけで埋め尽くされた紙面でも、その一つひとつに人の気持ちや、大きくいえば「命」が宿っている、そんな当たり前のことを改めて感じさせられました。

現実はドラマほど物事がうまくおさまっていかず、人の気持ちも複雑で、素晴らしさばかりに満ちてはいません。それでも歩み続けること、いつか振り返って「あの時」の意味を分かる日が来るのだろうか。そんな読後感に包まれながら本を閉じました。

舞台となった青森県立深浦高校は少子化による高校再編の流れの中で、この4月から青森県立木造高校深浦校舎として、新たな一歩を踏み出すそうです。

本書の話題から逸れてしまいますが、著者の川井龍介さんがWEBマガジン[KAZE]風の編集長をされていると今頃知って驚いています。

追記1:2009年9月21日(月)

毎年、高校野球の盛り上がりとともに、この記事にたくさんのアクセスをいただいていますが、本書の続きともいえる記事をWEBマガジン[KAZE]で読むことができます。高校野球は世代が変わっていこうとも、連綿とたくましく続いていくのだと強く感じさせてくれます。

「122対0」から10年、敗者は蘇る(WEBマガジン[KAZE]風)

分校の挑戦、敗者は蘇る(WEBマガジン[KAZE]風)

◎関連リンク◎

122対0の青春(講談社)

IN-POCKET 「ノンフィクションとフィクション」川井龍介(講談社)

青森県立深浦高等学校

好投・好打 ひたむき マイタウン青森(asahi.com)

“歴史的大敗”チームの財産(YOMIURI ONLINE)

深浦高 県大会初の1勝(Web東奥)

連想出版がつくるWEBマガジン[KAZE]風

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