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2007年5月27日 (日)

37冊目 『少年少女漂流記』

かつて藤圭子さんは「十五 十六 十七と 私の人生暗かった」と唄いましたが、私も「十六 一七 一八と」と唄いたい状況に置かれていました。この曲は自分が生まれるずっと前の曲ですが、ヒッキーがブレイクしたときにお母さんにもスポットライトが当たって頻繁にお茶の間に流れたため、すっかり馴染みのある曲になってしまったのです。

そんなわけで、どんなに学園ドラマに涙しても、高校球児の溌剌としたプレーに手に汗を握っても、あの頃には正直戻りたくありません。戻ったら何度でも同じ道を通らねばならない気がするのです。自分を精神的に一回り大きくしてくれたあの頃、それは言い換えれば、押しつぶされそうになりながら、いっそこのままつぶれてしまいたいという選択を常に迫られている毎日でもありました。そんなことを思いながら私が手に取ったのは、

『少年少女漂流記』 古屋×乙一×兎丸 2007.2 集英社

少年少女漂流記』 古屋×乙一×兎丸 2007.2 集英社

という本でした。本を手にすると、まずは特徴的なその装丁に魅かれました。そして、頁を捲っていくと、その独特の世界にみるみる引き込まれていきました。乙一さんと古屋兎丸さん、お二人の持っているそれぞれの世界が呼応しあって昇華し、脆くて軋み音を伴いながらも呼吸をやめないでいる少年少女たちの世界となって、そこに見事なまでに立ち現れていました。目次を追ってみると、

第一話 沈没記

第二話 アリのせかい

第三話 魔女っ子サキちゃん 前編・後編

第四話 学校の中枢

第五話 お菓子帝国 前編・後編

第六話 モンスターエンジン

第七話 タイト様を見つけたら

第八話 竜巻の飼育の巻 前編・後編

最終話 ホームルーム

となっています。

各話にはそれぞれ主人公がいて、彼ら彼女らは多感な高校生としてその世界でもがいています。私にも記憶がありますが、十代の頃の意識と想像の恐ろしいまでの飛躍、いわゆる妄想が現実の世界を侵食するということについて、その描写は古屋さんだからこそ出来たのだと思えるものでした。青春と聞くと爽やかさが漂ってきそうですが、本当はもっと赤くて苦いようなものではなかったかと思います。どうしても「かつて」を重ねながら、私も彼ら彼女らとその世界を生きざるをえませんでした。

巻末で乙一さんと古屋さんはこのように話されています。

古屋:やっぱりね、過去の自分に「大丈夫だよ」と言ってあげたいというのが僕にも乙一さんにもあったんじゃないかな。乙一さんにしても十代の頃には友達もいなくって、でも今は無事に結婚もされたし、大丈夫だよってあの頃の自分に言ってあげたいっていうね(笑)。

乙一:ほんとそうですよ(笑)。

古屋:自分の自意識の大きさと存在のちっぽけさとの折り合いがつかなかったあの頃の少年少女たちに「大丈夫だよ。嵐は通り過ぎるから」と言ってあげたくて、この作品が生まれたという気がしています。(P287)

夜の街に出れば「いいんだよ」と言ってくれる「夜回り先生」の存在がありますが、夜の街に出ることもなく、自らの内面を抉り続けていくしかない少年少女たちに誰が声をかけられるのか。「大丈夫、いいんだよ」とかつての私は遠い己からの声を聞いて、今こうしてここにいるのかもしれません。

嵐が通り過ぎた少年少女たちは、その後どう生きているのだろうか。彼らはいつかの自分で、今度は「いいんだよ」と声をかける側にいて、この同じ時代をどこかで生きているのかもしれません。私も彼らと心の中で手を繋ぎながら、そっと本を閉じて、今を歩くことにします。

◎関連リンク◎

古屋×乙一×兎丸『少年少女漂流記』(集英社)

中2病だったあの頃、覚えてますか。「少年少女漂流記」(たまごまごごはん)

・『鈍器降臨』 古屋兎丸 2004.3 メディアファクトリー

はっちの太鼓本 太鼓本だ~♪どどんがどんっ!

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