« 39冊目 『頭のうちどころが悪かった熊の話』 | トップページ | 41冊目 『ウェルカム・ホーム!』 »

2007年6月23日 (土)

40冊目 『センセイの鞄』

人との間の取り方にはいつも苦労しています。近づきすぎると離れたくなり、遠すぎると近寄りがたい。ちょうどいい間というものに憧れ、考えては悩める私が手にしたのが、今回紹介する、

『センセイの鞄』 川上弘美 2004.9 文藝春秋(文春文庫)

センセイの鞄』 川上弘美 2004.9 文藝春秋(文春文庫)

という本です。

以前紹介した『遅読のすすめ』の中で、山村さんが『センセイの鞄』の素敵な一場面を紹介されていて、私はすぐに読んでみたくなったのです。改めて、『遅読~』との出会いがもたらしてくれたものの大きさを思います。

駅前の飲み屋で十数年ぶりに再会を果たした私「ツキコ」と「センセイ」。ツキコにとって、センセイは高校で国語を教わった恩師でしたが、さほど印象には残っておらず、センセイの方から「大町ツキコさんですね」と口を開いたことから、二人の物語はゆっくりと紡がれ始めました。

待ち合わせて飲みに行くわけでもない二人は、出会うときもあればずっと出会わないときもある。だからなのかもしれませんが、私はとてもゆったりとした気持ちで頁を捲っていくことが出来ました。

「センセイ」「ツキコさん」と呼び合う二人の会話。ツキコの「はあ」という短い受け答えに果たしてどんな思いがつまっているのかを感じながら、私は二人の会話に不思議な心地よさを感じていました。「きっちり」ではなく「しっくり」、「健康な」ではなく「ゆるやかな」とでもいうような感じでしょうか。尖っていない安心感と、そこへ戻りたくなる故郷のような優しさがセンセイの言葉、そして二人の会話には漂っていました。

その情景が豊かさをもって浮かんでくることに気づいたとき、著者の筆致のすごさに圧倒されました。それを書かなくても物語は成立するかもしれない、けれどそれがあって読者の私はその世界をぐるっと見渡しながらふぅっとそこに入っていける。

こんなことを思い出しました。以前テレビで、あるドラマの撮影中の裏話を紹介している番組を見たのですが、俳優の唐沢寿明さんが台詞を口にしながら、アドリブで床の小さなごみを拾ったというのです。唐沢さんは、その方が自然だと思ったからそうしたと語られていたように記憶していますが、私はその感覚ってすごいなと思ったのです。一見すると必要でないかもしれない描写や行動、でも本物ってきっとそんな必要でないかもしれないものと共にあるから本物なんだなとも思うのです。

「センセイ」には孫がいるようだし、「ツキコ」には離れて住んでいる両親がいます。でもそのことはこの物語では多く語られていません。現実の世界を思うと、長く生きた分の「しがらみ」で自分はぐるぐる巻きにされています。どこの学校を出たとか、どこに住んでいるとか、どこで働いているとか…挙げればきりがないほど、「自分」を勝手に語ろうとするものがあって、実際にそれらは語られるのです。

しかし、物語の中ではそんないろいろな「しがらみ」から解放された、「ツキコ」と「センセイ」の今がただただありました。そりゃ二人にだってそんな「しがらみ」や過去はいろいろあっただろうし、実際に「センセイ」の昔の妻の話はしっかりと物語の中で語られてもいました。でもやっぱり「今」なんです。「今」を歩いている二人の物語なんです。現実とは違うかもしれないけれど、こんな二人の世界があってもいいな、あってほしいなと思ったからこそ、私はこの二人の世界を共に生きることが出来ました。

私は幸せです、私も年をとっていきます、そうしてこの物語とまた何度も出会えるのだから。

センセイ。わたしは呼びかけた。少し離れたところから、静かに呼びかけた。

ツキコさん。センセイは答えた。わたしの名前だけを、ただ口にした。(P96)

◎関連リンク◎

センセイの鞄(文藝春秋)

川上弘美インタビュー 最新作『センセイの鞄』を語る(bk1)

『センセイの鞄』川上弘美(松岡正剛の千夜千冊)

・『パレード』 川上弘美 2002.4 平凡社

はっちの太鼓本 乱打太鼓本だ~♪どどんがどんっ!

|

« 39冊目 『頭のうちどころが悪かった熊の話』 | トップページ | 41冊目 『ウェルカム・ホーム!』 »

3.はっちの太鼓本」カテゴリの記事

小説・物語」カテゴリの記事

文庫」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 40冊目 『センセイの鞄』:

« 39冊目 『頭のうちどころが悪かった熊の話』 | トップページ | 41冊目 『ウェルカム・ホーム!』 »