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2009年3月15日 (日)

67冊目 『錦繍』

私は携帯電話が苦手で、正直なところ持たなくていいのならいらないと思うくらいです。一人暮らしの社会人なのでさすがに持たない訳にはいきませんが、学生時代の友人たちも、会社の同僚もそのことを知っているため、私に連絡するとき期待せずにいてくれています。

そんな私にとって、正直な気持ちを伝えるために「手紙」を書くことはとても大事なことでした。今も、学生の時に恩師や友人たちとやり取りした手紙を大切に残しています。そんな私が今回手にしたのは、

『錦繍』 宮本輝 1985.5 新潮社(新潮文庫)

錦繍』 宮本輝 1985.5 新潮社(新潮文庫)

という作品でした。

前略

蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした。(P5)

との書き出しで物語は語られ始めます。この書き出しについて、黒井千次さんは解説でこのように述べられています。

これだけの一つの文章の中に実に様々な内容が盛り込まれている。まず、女と男が再会したらしいこと、しかもそれは全くの偶然であり、女にとって青天の霹靂の如き出来事であったこと、更に、その再会について女が当の相手である男性に対して手紙を書いていること、などを一挙に知らされる。特にこの文章が「あなた」と呼びかける手紙であることによって、再会が単に女の上を通り過ぎて行く事件ではなく、彼女に衝撃を与え、彼女の生の流れを一時立ち停らせ、相手をも捲きこんだ上でそこに男と女のドラマをうみ出さずにはいないだろう、との予感を読む者に与えずにはおかぬのである。(P265)

ここに勝沼亜紀と有馬靖明との長い長い手紙のやり取りが始まります。きっかけは、亜紀が息子の清高と思い立って蔵王に行った際、ゴンドラでかつての夫であった有馬と偶然乗り合わせたことでした。

十年……。当時二十五歳だった私も三十五になりましたが、あなたとて三十七歳におなりのはずで、歳月による面変わりが、いよいよ目立ち始める年齢を、お互いが迎えてしまったわけでございます。けれども、それにいたしましても、あなたのお変わりようは尋常ではなく、私はあなたが決して平安な日々をお暮らしでないことを直感してしまいました。(P10)

10年前、有馬が瀬尾由加子による無理心中に巻き込まれたことをきっかけに離婚することになった亜紀と有馬。しかし、お互いが拙かったため、いきさつを問いただすこともなく、本心をぶつけあうこともなく別れてしまったため、亜紀の心の中には今でも有馬とのことが依然としてすっきりとしないまま居座り続けているようでした。

返事を期待することなく1月半ばに投函した手紙でしたが、3月の初め、有馬からの返事が亜紀の元に届きます。それは、有馬が中学二年生のときに瀬尾由加子と出会ってから心中事件に至るまでのいきさつが綴られた手紙でした。10年という歳月を経て、あの時の事件が、当時の思いが、更にはそこから続いてきたお互いの「現在」がどんどん色濃く鮮明なものになっていきます。

再婚しながらも息子の負った障害のこと、夫とのことで悩みが尽きない亜紀と、事件がきっかけで将来を期待されていた会社を辞め、落ちるところまで落ちきった有馬。手紙に書かれた内容は、お互いの過去を埋めあうことから、次第にそれぞれの未来の幸せを祈るものへと変化していきます。

手紙を書くとき、人は自分自身のこころと向き合う必要に迫られます。すらすらと上手に書ける人はなかなかいないのではないかと思います。亜紀や有馬と同じく、何を書きたかったのか自分でも困惑しながらも書き続けることが、いつのまにか自分自身でも分からなかった「自分」というものを如実に表すことになったりします。

この作品のすごさは、時間が過ぎゆくだけでは癒されることのなかった鈍い痛みが、一見お互いをさらに傷つけあうことになるかもしれない、本心をぶつけあうことで、ゆっくりと痛みが消化されてゆき、さらにはそこから一歩進んで、生きていくことに希望を見出していくところまで昇って行ったところです。

誰にでも人には出したくない部分、出せない部分があって当たり前だと思います。そしてそれが、ずっと自分自身を悩ませ続けていることもまた然りです。もしこの気持ちを吐露できる日がくるとしたら、一体どうなるのだろうか。この「もし」ほど永遠に感じられるものはありません。しかし、逆に、次の瞬間に思い切って、思いを表出してしまえるかもしれないのが、人生の恐ろしくも希望とも言えるところではないかと思います。傷つくかもしれないけれど、「今」が変わるかもしれない。そんな時、不思議と「生きる」いう言葉が自分の中で、非常に主体的なものとして感じられた経験が私にもあります。

もうどうなったっていいと、死んだように生きていた有馬が、今一緒に暮らしている令子との新しい事業のアイデアを積極的に出すようになったとき、あぁ人は変われるんだなと感慨深く思いました。一作品という枠を超えて、読み手の人生をも揺さぶってしまう、空恐ろしい作品であると同時に、過去に囚われ続けていてはだめだ、現在を真摯に生きていこうと思わせてくれる作品でした。

かつて父が言った言葉が、甦ってまいります。「人間は変わって行く。時々刻々と変わって行く不思議な生き物だ」。父のいうとおりです。<いま>のあなたの生き方が、未来のあなたを再び大きく変えることになるに違いありません。過去なんて、もうどうしようもない、過ぎ去った事柄にしか過ぎません。でも厳然と過去は生きていて、今日の自分を作っている。けれども、過去と未来のあいだに<いま>というものが介在していることを、私もあなたも、すっかり気がつかずにいたような気がしてなりません。(P232)

今では珍しい書簡体の小説が、私には逆に非常に新鮮なものとして映りました。作品のタイトルである「錦繍(きんしゅう)」という言葉には、美しい字句や文章のたとえという意味だけではなく、美しい織物という意味もあります。決して順調で幸せだとは言えなかったかもしれない人生が交差し、また離れながら、それが美しい織物の様に見えてくる不思議さが生きるということの本質なのかもしれないと思えた作品でした。

年齢を重ねていくことで、また違った読み方ができる作品なのかもしれません。きっと再び手にする日がくるんだろうなとの予感を持って読み終えました。

最後に黒井さんの解説から再び引用させていただいて終わりたいと思います。

もしも電話の普及が手紙の多くを無用のものとしているのだとしたら、にもかかわらず書かれねばならぬ手紙とは、おそらく他のいかなる手段によっても取ってかわられることの出来ない、最も本質的な手紙であるに違いないからだ。ひとりの女が、ひとりの男に向けて、書くことによってだけ辛うじて伝え得る悔恨を、哀惜を、思慕を綴ったような便りが、手紙の中の手紙でなくてなんであろうか。いいかえれば、日常生活における手紙の影が一般に薄くなればなるほど、逆に、生き残っている手紙は濃厚なドラマの影を帯びざるを得ぬことになる。(P264)

◎関連リンク◎

錦繍(新潮社)

The Teru's Club/ 宮本輝公式サイト

2009年11月号掲載 著者との60分「錦繍」の宮本輝さん(e-hon)

宮本輝×ジョンケアード 舞台「錦繍」 公式サイト

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