カテゴリー「人物伝・エッセー」の7件の記事

2009年10月25日 (日)

82冊目 『二十一世紀に生きる君たちへ』

光陰矢の如し。

ついこの間、21世紀になったと思っていたら、早や今年でゼロ年代は終わり、来年には新たな10年代へと時代は移ります。私は時間の浪費家だという自覚があるため、これは何か考えなければいけないという危機感から一冊の本を手にしました。

今回私が紹介するのは、

『二十一世紀に生きる君たちへ』 司馬遼太郎 2003.4 司馬遼太郎記念館

二十一世紀に生きる君たちへ』 司馬遼太郎 2003.4 司馬遼太郎記念館

という本です。この本は数年前にテレビで取り上げられて話題になりましたが、私が手にしているのは、祖父が司馬遼太郎記念館で購入してきてくれた、記念館でしか販売されていないものです。

目次を見ると、

二十一世紀に生きる君たちへ(原稿)

二十一世紀に生きる君たちへ

人間の荘厳さ

洪庵のたいまつ

発刊にあたって

となっており、巻頭で司馬さんの直筆の原稿を見ることが出来ます。

二十一世紀に生きる君たちへ

「二十一世紀に生きる君たちへ」と題した文章は短くも、司馬さんの思いが詰まった作品であり、それは直筆原稿に残る、推敲を重ねた跡からもうかがうことが出来ます。

二十一世紀に生きる君たちへ

歴史とはなんでしょう、と聞かれるとき、

「それは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。」

と答えることにしている。(P28)

生きる時代は違っても、人間は生まれてから、何かを得ながら、失いながら、学びながら、忘れながら、考えながら生き、そして何かを残し、伝えて死んでいく。

この作品は、もともと小学六年生の教科書用に書かれた作品です。つまりは、自分が見ることが出来ない二十一世紀という新しい時代を生きる、子どもたちに向けたメッセージです。司馬さんが次の時代を生きる人々に伝えたかったこととは。

想像しました、もし自分が何かを伝えたいとすれば、何をどうやって伝えるかと。これは非常に難しいことだと思います。何故なら、何を伝えるかということは、即ち自分自身を深く深く見つめる多くの時間と精神力を伴うからです。

自分が生きてきて、次の世代に本当に伝えたいこと。それは人間の生き方や生き様そのものが一番多くを語るのかもしれません。だとすれば、この作品で司馬さんが語ることは、まさに司馬さんの生きることそのものであると言えると思います。今後、司馬さんの作品を読むとき、その思想の根本はこの作品にあるのだということを頭の片隅に置き、読んでみたいなと思います。

「人間の荘厳さ」に書かれた、真新(まっさら)の、自分だけの心の充実という人間の荘厳さには私自身、深く共感するものがありました。

何かを伝えるということは、すなわち自分自身の哲学を、生き方を築いていくことだと深く認識させられた作品でした。また折に触れて、自分自身を省みるうえで読みなおしていきたいです。

もう一度くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分にきびしく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして〝たのもしい君たち〟になっていくのである。(P40)

◎関連リンク◎

司馬遼太郎記念館

文学碑(司馬遼太郎記念館)

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2007年5月26日 (土)

36冊目 『遅読のすすめ』

電車で通勤するようになって、自分の読書生活に大きな影響がありました。片道1時間弱ほど電車に揺られている間、朝晩の読書の時間を確実に得ることが出来るようになったので、本棚に眠っていた本を起こしては読み、起こしては読み…という毎日を過ごしています。時には読書に浸りすぎて、下車駅にすでに着いていて慌てて降りたり、涙腺が緩んで出社前に感傷的になったりすることもありますが、すごく充実した時間を得ることが出来てとても満足しています。

人それぞれに自分の読書スタイルというものがあると思いますが、私にはこの人はどんな読書スタイルなのだろうと気になっている人がいました。それは山村修さんで、今回紹介するのは山村さんの読書スタイルが垣間見られる、

『遅読のすすめ』 山村修 2002.10 新潮社

遅読のすすめ』 山村修 2002.10 新潮社

という本です。まず目次を見てみると、

1章 ゆっくり読む

2章 幸福な読書

3章 暮しの時間

4章 大食いと多読

5章 読書の周期

6章 本を手にして

あとがき

となっています。

山村さんの読書は、数をこなすといったスタイルとは正反対に、1冊の本を本当にじっくりとかみしめ、そして味わうというものだったようです。本を読むという行為に対する真面目さ、そして何よりも愛や情熱、喜びといった思いがひしひしと伝わってきました。

本のタイトルにもあるように、『ゆっくりと読む』ということ、そのことがもっと大切にされ、肯定されていいのではないかと、山村さんは多くの本の一節を引用しながら読み手に語りかけます。

読みかたはたいせつだ。書き手が力をつくして、時間をかけて、そこに埋めこんだ風景やひびきをとりだしてみるのは、ちょうど熟して皮がぴんと張りつめたブドウの一粒を、じっくり味蕾に感じさせてみるようなものだ。

忙しい暮しのなかで、ゆっくりと本を読むのはあんがいむずかしい。しかしブドウのみずみずしい味わいは、食べかた一つにかかっている。おなじように、読みかた一つで本そのものがかわる。快楽的にかわる。この本ではとくにそのことを書きたかった。(P169)

私にも思い出に残る本との出会いがこれまで何度かありました。その出会いは本の一節や印象的な場面を伴って、自分自身の肉となり血となって、いつまでもその輝きを失わないように思えます。ただし、その場面を本当に当時感じたように味わうためには、階段を一歩一歩上がっていくように、もう一度初めから通読してそこに再び辿り着くことが必要な気がします。端折ってしまうと、その輝きも鈍いものになってしまうのではないかと私は思っています。

本書で、三橋敏雄さんの、

かもめ来よ天金の書をひらくたび

という俳句に山村さんが出会ったエピソードが綴られているのですが、私もこの句がとても気に入って、忘れられないものとなりました。

山村さんは昨夏、56歳という若さで逝去されました。山村さんがどのように本と出会い、そしてその時間を大切にされてきたのか。

本を読むということについて、たくさんの喜びと愛情がつまったこの本は、私にとって座右の一書というべきものになりそうです。現在手に入れるのが難しく、私も図書館で借りて読みましたが、一読者として願わくば、新潮文庫化されてたくさんの人の手にされる日が来ることを望みます。

本はゆっくり読む。ゆっくり読んでいると、一年にほんの一度や二度でも、ふと陶然とした思いがふくらんでくることがある。一年三百六十五日のうち、そんなよろこびが訪れるのは、ただの何分か、あるいは何秒のことに過ぎないかも知れない。それでも、速く読みとばしていたなら、そのたった何分、何秒かのよろこびさえ訪れない。(P9)

◎関連リンク◎

・『“狐”が選んだ入門書』 山村修 2006.7 筑摩書房(ちくま新書)

・『書評家〈狐〉の読書遺産』 山村修 2007.1 文藝春秋(文春新書)

はっちの太鼓本 太鼓本だ~♪どどんがどんっ!

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2007年3月10日 (土)

35冊目 『ガラスの地球を救え』

『火の鳥』『ブラック・ジャック』『ブッダ』、10代の多感なときにたくさんの手塚作品に触れ、人間の業や苦しみを、そして生命の輝きをそこに感じたことが懐かしく思い出されます。最近では『どろろ』が映画化されて話題になりましたが、亡くなられてなお、その作品群がますます輝き続ける手塚作品に通底するものとは一体何なのでしょうか。今回私が手に取ったのは、

『ガラスの地球を救え』 手塚治虫 1996.9 光文社(知恵の森文庫)

ガラスの地球を救え』 手塚治虫 1996.9 光文社(知恵の森文庫)

という本でした。手塚作品は現在でも刊行され続けており、一体その生涯を通じてどれだけの作品を残されたのだろうかと思っていましたが、本書の「刊行によせて」によると、

昭和二十一年、十七歳でデビューして以来、ただただマンガとアニメーションに生きた人でした。マンガ七百余作品、アニメーション六十余作品、マンガの原稿総枚数はじつに、十五万枚以上にのぼります。(P3)

とありました。マンガ七百余作品とあり、いかに手塚作品の全貌を掴むことが難しいかが分かりました。しかし考え様によっては、いつまでも手塚先生の「新作」に出会い続けることが出来るともいえ、それは一読者として非常に嬉しいことです。

私にとっての手塚作品のイメージ、それは「生命の尊厳」「戦争の悲惨さ」、そして「人類の未来」。人間の光と影、その両方を自らの命をもって書き尽くされた方だという印象があります。今でも心に残っているのが未来社会を書いたあるマンガで、食べ物は栄養補給のためだけに存在していて食事を楽しむことは出来ず、空を飛ぶ鳥は絶滅してしまったために機械仕掛けのものである、という描写があったことです。そのような作品に触れたとき、私は当たり前のように目の前にあった毎日の食事の風景や、人工ではない植物や鳥の鳴き声がどれだけ素晴らしいものなのか、改めて気づかされたのでした。

手塚先生は、人類の未来について常に考えられていたようです。数ある作品の中から代表作を選ぶことは難しいですが、世代を超えて愛されている作品に『鉄腕アトム』があります。

これまでずいぶん未来社会をマンガに描いてきましたが、じつはたいへん迷惑していることがあります。というのはぼくの代表作と言われる『鉄腕アトム』が、未来の世界は技術革新によって繁栄し、幸福を生むというビジョンを掲げているように思われていることです。

「アトム」は、そんなテーマで描いたわけではありません。自然や人間性を置き忘れて、ひたすら進歩のみをめざして突っ走る科学技術が、どんなに深い亀裂や歪みを社会にもたらし、差別を生み、人間や生命あるものを無残に傷つけていくかをも描いたつもりです。

ロボット工学やバイオテクノロジーなど先端の科学技術が暴走すれば、どんなことになるか、幸せのための技術が人類滅亡の引き金ともなりかねない、いや現になりつつあることをテーマにしているのです。(P26-27)

科学技術の発展は、人類全体の未来を考えるという高い倫理観を伴なってこそのものであって、そのバランスが崩れてしまえば、手塚先生の言う「科学技術の暴走」が起こることは容易に想像できます。

日本のロボット技術の発展の背景として、「鉄腕アトム」の存在が大きかったということをよく耳にします。年々高まっていくロボットの性能を目の当たりにすると、人間とロボットとの関係は極めて今日的な課題として重要になってきていると実感します。手塚作品はその重要で難しい課題に私たちが向き合わねばならないとき、必ず多くの示唆を与えてくれると思います。以前ここで書いた山海さんも同じ心を持っていると思います。

ようこそ山海さん(2006年12月3日)

手塚作品の特徴の一つとして、魅力のある悪役の存在を挙げることが出来ます。もしも勧善懲悪のストーリーばかりであったなら、作品の厚みも深みもこれほどまでに豊かではなかったことでしょう。本書の、「〝悪〟の魅力」「負のエネルギー」という項目で手塚先生が述べられている、人間の「善」と「悪」の二面性についての認識と、自分自身を関連させた話は非常に面白かったです。

本書を読み進めていくと誰もが必ず気づくはずです。いかに手塚先生が「子どもたち」のことを考え、人類の未来を憂えていたのかを。手塚先生の子ども時代の経験、そして悲惨な戦争体験が本書でも語られていますが、それらはすべて、未来を築いていく「子どもたち」に向けて必死で「思い」を伝えようとしてのものであることが分かりました。もちろん、手塚作品にもその思想は通底しており、そこから気づくことも多いのですが、こうして文章となって直接的にその「思い」が語られると、手塚作品を支えてきた土台とも言うべき巨大なエネルギーの源を見た思いがしました。

本書のタイトル『ガラスの地球を救え』には、副題として「21世紀の君たちへ」という言葉が添えられています。人類の未来を憂えながら、21世紀を生きることが出来なかった手塚先生、その「思い」を21世紀に生きる私たちが学び、受け取ることは手塚先生が喜ばれることなのではないかと思います。

昨秋、NHKで「ラストメッセージ」という番組が放送されて、その第一集には手塚治虫さんが選ばれていました。非常に素晴らしい内容で心に残っていたのですが、3月11日(日)の24時40分(12日(月)の0時40分)から再放送されるそうです。まだご覧になっていなければ、ぜひこの機会にご覧になられることをオススメします。(関係者じゃありません…汗)

◎関連リンク◎

ガラスの地球を救え(光文社)

ラストメッセージ 第1集 「こどもたちへ 漫画家・手塚治虫」(NHK)

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2006年11月16日 (木)

24冊目 『ぼく、ドラえもんでした。』

絵の上手い下手に関わらず、誰もが一度は描いたことがあるであろうキャラクター、「ドラえもん」。「どらえもん」と言葉を入力して変換すると、ちゃんと「ドラえもん」になります。子ども向けのマンガ連載からスタートし、テレビ放映され、一躍国民的アニメになった「ドラえもん」。その声優さんとして愛されてきたのが、ご存知、大山のぶ代さんです。今回私が紹介するのは、大山さんが26年間のドラえもんとの日々を振り返り、綴られた、

『ぼく、ドラえもんでした』 大山のぶ代 2006.6 小学館

ぼく、ドラえもんでした』 大山のぶ代 2006.6 小学館

という本です。本の装丁がとっても素敵で、大山さんの温かな人柄が伝わってくるようです。その手に抱かれたドラえもんがかわいらしく、思わず本を手に取ってみようという気になります。そして、タイトルもすごくいい。これはもう、読むしかありません。目次を見ると、

まえがき

第1章 運命の出会い

第2章 テレビ「ドラえもん」スタート

第3章 『のび太の恐竜』公開!

第4章 映画ドラえもん時代・1 ~怒涛のドラ波

第5章 藤本先生の思い出

第6章 映画ドラえもん時代・2 ~先生の蒔いた種

第7章 ありがとう、ドラえもん。

第8章 伝えていきたいこと

あとがき

となっています。本を開いて、まず始めに読者が目にするのが、「大山のぶ代グラフィティ」。大山さんの子ども時代から始まって、女優としての活躍、ドラえもんとの出会い、そして今日に至るまでの写真が飾られています。

第1章は、ドラえもんとの出会いから始まります。ドラえもんは、1970年に小学館の幼児誌・学年誌で連載が始まりました。そして大山さんがドラえもんと初めて出会ったのが、アニメのパイロット版「勉強べやのつりぼり」を見せてもらった、1978年8月だったそうです。大山さんは、ドラえもんを演じるにあたって、このように考えられていました。

二一一二年九月三日生まれのあの子は、現代から百年以上未来の世界で、人間のお手伝いをするロボットです。しかも「子守り用」ネコ型ロボットとして造られました。小さい子どもの世話をしたり一緒に遊んだり、お勉強したりするのが仕事です。

だったら、はじめからけっして悪い言葉はインプットされていないはず、と思ったんです。ちゃんとご挨拶ができて、目上の人には敬語を使って、まして相手を罵倒するような言葉なんて、絶対言わないだろう、と思ったんです。(P34-35)

この思いは、主役の「ドラえもん」「のび太」「しずかちゃん」「ジャイアン」「スネ夫」を演じる5人に共有され、そして、26年間の歴史が紡がれていったのです。原作者の藤本弘さんとの初めての出会い。そこで大山さんにかけられたのは、最高の褒め言葉でした。

「ドラえもんって、ああいう声だったんですねえ」(P39)

アニメ「ドラえもん」は1979年4月の放送開始後、ぐんぐんと人気が上昇し、1980年には映画「のび太の恐竜」が公開されます。その当時のエピソードとして、なんと「のび太の恐竜」は、リハーサル2日・本番1日で録音されたそうです。日が変わって声の調子が変わるといけないからという理由だったそうですが、まさか一日で録音していたとは知らず、驚きました。

私にとって、ドラえもんの映画を見に行った最初の記憶があるのが、1989年の「のび太の日本誕生」です。確か「ギガゾンビ」というのがいて、「アーイーアー、イオチタオー」という奇妙なまじないをしていたという、かすかな記憶が今も残っています。復活する土偶が怖かったです。以前、母に聞いたところ、初めて連れて行ったのは1987年の「のび太と竜の騎士」だったと言われました。残念ながら映画を見に行った記憶はないのですが、原作で一番好きなのは、この「竜の騎士」でした。昔から地底の国というのが大好きで、洞窟や地下に作った部屋など、わくわくしながら読んでいました。

第7章までで、ドラえもんとの出会いから、主役を演じてきた5人(大山さん曰く「ドラ一組」)が卒業するまでのエピソードが綴られています。私がもっとも印象に残ったのが、最後の第8章でした。「伝えていきたいこと」と題された第8章では、大山さんがドラえもんと出会うまでに歩いてきた道のりが記されています。

今ではドラえもんの声として、誰からも愛されている大山さんの声。しかし幼少時、そして多感な中学生の頃、その声が「良くない」と周りからいろいろと言われて辛かったときのことが語られています。

「学校へ行くのがつらい……」。大山さんが次第に学校で口をきかなくなっていく過程は、読んでいてとても辛かったです。しかし、大山さんの人生はこのまま終わりはしませんでした。お母さんに悩みを打ち明けることが出来たとき、お母さんからの言葉は、大山さんを叱咤激励するものでした。大山さんはお母さんの言う通りだと、学校で「あるクラブ」に入ります。そして、それは大山さんの未来を開く大きな一歩になったのです。

大山さんは、そんな最愛のお母さんを若くに亡くされています。辛かったこと、そして母、家族からの愛情。大山さんの温かさと愛情は、そうした出来事を内包しながら大きく育まれてきたのでしょうか。そしてそれは、「ドラえもん」を通じて、多くの人にたくさんの笑顔や温もりの波動を起こしてきたように思います。

ドラえもんが「のび太く~ん」と心配する声は、大山さんの愛情が詰まった言葉として、私の胸の中にいつまでも留まって離れません。

大山さんの人柄がにじみ出たユーモアのある文章と、ドラえもんにまつわる多くのエピソードが満載の、いろいろな思いが心に残る本でした。

◎関連リンク◎

「ぼく、ドラえもんでした。」(小学館)

インタビュー 大山のぶ代(Yahoo!ブックス)

<話題の一冊>『ぼく、ドラえもんでした。』 著者・大山のぶ代さんに聞く(NIKKEI NET)

インタビュー 大山のぶ代さん(ドラえもんチャンネル)

女優・声優 大山のぶ代さん(北海道新聞)

大人のためのドラえもん特集(Yahoo!JAPAN)

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2006年11月 6日 (月)

22冊目 『旭山動物園園長が語る 命のメッセージ』

ずいぶんと長い間、動物園に行っていない気がします。いや、そういえば動物園に行った記憶がない?先日、図書館でふと目に留まったのが「旭山動物園」という文字。手に取ってみると、旭山動物園の園長さんの本でした。動物園といえば、今や「旭山動物園」と言われるくらい、マスコミでも取り上げられ、ドラマ化もされ、私もちょっと気になっていたので、早速読んでみることにしました。今回紹介するのは、

『旭山動物園園長が語る 命のメッセージ』 小菅正夫 2005.8 竹書房

旭山動物園園長が語る 命のメッセージ』 小菅正夫 2005.8 竹書房

という本です。

まず目次を見てみると、

はじめに

第一章 生き物に夢中だった少年時代

第二章 命を伝える動物園

第三章 生きる意味って何だろう?

第四章 動物から学ぶ親子の関係

第五章 考える力、発見する目

おわりに

となっています。

タイトルにもあるように、園長の小菅さんが語られたことが本になっているので、平易で読みやすい文章でした。内容はというと、小菅さんが動物たちと関わってきた中で学んできたこと、感じてきたことを、「命のメッセージ」として読者に投げかけるものになっています。全体を通して、人間社会が行き詰まってきている今こそ、動物の生き方、そして、その命から多くのことが学べるのではないかという強い思いが感じられました。

第二章の「命を伝える動物園」では、旭山動物園がどのような信念と思いによって現在の姿になったのかがよく伝わってきます。

もちろん命を伝えることは「こども牧場」だけではなく、旭山動物園全体の命題です。ですから、僕たちは、動物たちが弱って動けなくなって死ぬところまできちんと展示します。動物の老いも隠さないし、死を伝えることも全く厭いません。なぜかといえば、死を伝えることなくして、命を伝えることなどできないからです。(P55)

動物園で何かの動物の赤ちゃんが生まれたときだけ「生まれました!」と宣伝してお客さんを喜ばせ、いざ死にそうになったら、今度はかっこ悪いからと言って、奥にしまって見せないようにする。そして、その動物は人知れず死んでいく。そんなことをしていたら命は伝わらないと僕は考えています。動物は本当に堂々と死んでいきますよ。「じゃあな」と言って去っていくのです。(P58)

小菅さんは、自身が子どものときの様々な生き物との関わりを思い出しながら、現代の子どもたちと動物とが触れ合える機会が極端に減っていることを大変危惧されていました。そうした思いが、園内で直に動物と触れ合えるスペースが確保されていることに繋がっているようです。

子育てや家族のあり方について、そして小学校へのインターネット導入についての話は、その思いが分かると同時に、やや願いが先行しすぎて、現代社会の土台に根を下ろしていない、少し時代回顧的な印象も受けました。

もう少し、旭山動物園について詳しく知りたかったのですが、この本はタイトルに銘打たれているように、小菅さんの「メッセージ」なので、どのような思いで動物園に関わられているのかという、その気持ちはすごく伝わってきました。旭山動物園に関して、他にも本が出ているようなので、そちらも読んでみたいと思いました。もちろん、旭山動物園に足を運べたら、それが一番なのですが。

現代の日常生活でなかなか伝わらなくなってしまった「命」を、何とかして伝えたい。僕が今、旭山動物園の園長をしながらいつも心で願っているのはこのことです。(P16)

◎関連リンク◎

旭山動物園公式ホームページ

旭山動物園写真館(ほぼ日刊イトイ新聞)

旭山動物園:終了の夏期営業 入場者230万人超す(MSN毎日インタラクティブ)

be between テーマ:動物園(asahi.com)

・『「旭山動物園」革命』 小菅正夫 2006.2 角川書店

・『戦う動物園 旭山動物園と到津の森公園の物語』 小菅正夫 岩野俊郎 2006.7 中央公論新社

・『旭山動物園のつくり方』 原子禅 2005.4 柏艪舎

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2006年9月29日 (金)

19冊目 『職人学』

「職人」という言葉を聞くとき、みなさんはどんな印象を持ちますか。大辞林(三省堂)で「職人」を調べてみると、

大工・左官・飾り職・植木屋などのように、身につけた技術によって物を作り出したりする職業の人。

と説明されていますが、「職人」という響きから、私はそれ以上の何かを感じます。

働く人を指す言葉として、労働者、勤労者、作業者など、いくつかの言葉が思い浮かびますが、これらの呼称と「職人」という言葉の違いは一体何なのでしょうか。そのことを考えるヒントとして、「職人」と付く言葉を列挙してみると、職人気質職人魂職人芸職人肌などの言葉がありますが、なんとなくイメージが浮かび上がってきませんか。

経験に裏打ちされた確かな技術と熟練の技を持ち、信念を持って自分の仕事を誇りとする人。そして何となく、頑固なおじいさんの姿が私には浮かんできます。果たしてそのような「職人」像は本当なのか。それを探るべく、今回私が手に取ったのは、

『職人学』 小関智弘 2003.11 講談社

職人学』 小関智弘 2003.11 講談社

という本です。著者の小関さんは高校卒業後、約50年間、旋盤工として工場で働いてこられました。その傍ら、執筆活動もされていて、著書が直木賞、芥川賞の候補にもなったという、すごい経歴を持った方です。本書では、小関さんが自身のこれまでの旋盤工としての人生を振り返りながら、また、たくさんの「職人」さんとの出会いとエピソードを交えながら、「職人」とはどのような人のことを指すのかを明らかにしています。

以下は、五十年余りの町工場での旋盤職人としての体験と、たずね歩いて感銘を受けた人たちの姿や、教えられた書物から、これからの時代にあるべき職人像、戦闘的な職人像とはどのようなものかを、主として現在の工場に足場を据えながら探ろうという試みである。(P27)

目次を見てみると、

序章 職人の条件

第Ⅰ章 身につける

第Ⅱ章 場数を踏む

第Ⅲ章 ものを見る目を養う

第Ⅳ章 熟練工は一品料理を熟(こな)す

第Ⅴ章 超一流に挑戦する

第Ⅵ章 仕事を通して徳を積む

第Ⅶ章 職人の喜びと誇り

あとがき

となっています。各章はいくつかのエピソードで構成されているのですが、その見出しは、「金属を舐める」、「鉄が匂う、鉄が泣く」、「機械にニンベンをつけろ」など、職人ならではの表現で、目次を見ただけで私はとてもワクワクしてきました。

本書の最大の特徴は、「職人」のことを自身も「職人」である著者が書いているということです。感覚的に分かっていることでも、そのことを言語化し、他者に伝えるのは非常に難しいことですが、小関さんの経験と豊かな文才によって、「職人」の世界が鮮やかに立ち上がってきて、その中に読み手をぐいぐいと引き込んでいきます。かのリンカーンのスピーチをもじって、「職人の職人による職人のための本」と言えるかもしれません。

具体的なエピソードが語られているので、門外漢には機械の名前などなかなか頭にものの姿が浮かばず、すべてを理解することは難しいのかもしれません。しかし、そんなことは非常に瑣末なことだと言い切れるほど、それ以上に「職人」というものを深く知ることが出来て、感銘を受けた非常に素晴らしい本でした。

「アメリカの職人気質と日本の職人気質」(P102)という項目があったのですが、これには思わず「なるほど」と頷きました。西本正樹さんの『アメリカよ大志をいだけ!』(1982 篠崎書林)という本の内容が紹介されているのですが、調べてみると『アメリカよ大志をいだけ!』を入手するのは今となっては難しそうなので、どんな内容か気になった方は、是非この『職人学』を手に取られることをお薦めします。

他にも印象に残った箇所は数え切れませんが、身近な話として、缶詰のふたに安全革命を起こした、谷啓製作所の話が特に心に残りました。

プルトップ缶(タブを引っ張るだけで開缶する)が主力になっている缶詰のふたは、ふたを取ったあとの切り口が鋭利で、なんとか安全なものが出来ないかと、世界中の缶メーカーが研究を進めていました。ふたと本体、一方だけを安全にする技術は達成されたものの、両方を安全にするのが非常に困難な状況の中、ダブルセーフティを初めて実現したのが、谷啓製作所の会長、谷内啓二さんでした。

谷内さんが、指の切れない安全なプルトップ缶に挑戦したのは、1983年にアメリカのピアニストが缶で指を切って、約1億円の損害賠償の訴訟を起こしたという新聞記事を読んだのがきっかけで、以来何度も試作を繰り返しながら、1988年8月15日の真夜中に、ついに完全に安全な缶が出来たそうです。こうして結論だけを言うのは容易いですが、本当に実現する日が来るのかも分からない中で、コツコツと研究と試作を続けた、そのプロセスが本文中で紹介されており、感銘を受けました。身近な安全が、このような努力によるものだと知り、缶詰を見る目が変わりそうです。

本書を通じて、私にとっての「職人」像は大きく変わりました。「職人」とは技術と熟練に加えて、固定観念にとらわれず、経験をたよりとして新たに創造し、工夫し、追求し、開拓していく人を指すということ。そこに老若男女の区別はありません。本書では、女性の職人さんも紹介されています。そして、自分よりも素晴らしい職人を育てようとする心を持っているということ。なによりも、本書を書かれた小関さん自身が、「ものづくり」の後進たちに大きな期待を込めて、エールを贈っている気持ちが本文を読みながらしっかりと伝わってきました。

時代が変われば、扱う機械も道具も、あらゆる環境が変わっていくのは必定です。しかし、その現場に臨む際の、大きくて豊かな「職人」精神は、これからも引き継がれていってほしいなと心から思いました。

私はいろいろな因果の巡り合わせで、現在自転車工場で検査員として勤務しています。小関さんは「ものづくり」の現場の中でも、旋盤工として製造に携わられてきた方です。私の勤めている工場は、いわゆる「組み屋」と言われているところで、製造された部品を組んで検査し、親会社に納品するという仕事をしています。私の仕事は、組んで仕上がった製品の外観検査と規格検査をしていくことです。本書は製造に携わる方のエピソードが中心なので、少し事情は違うのですが、それでも作業の様子や道具の名前など、自身の日常と関連した箇所も多く、読みながら何度も頷きました。

私がしている作業では、100分の1ミリ単位の検査と修正が必要で、ここに勤めてから、100分の1ミリの違いの大きさに気づかされることになりました。100分の5ミリの差ともなると、世界が全く違ってきます。時代が進むにつれて、製品によっては、10000分の1ミリの精度、もしくはそれ以上の精度を要求されるものも出てきているそうです。その技術のおかげで、どんどんと製品の小型化が進められ、私たちの生活に大きな変革がもたらされています。

検査の作業で「振れ見治具」という道具を用いているのですが、その「治具」に関する記述には驚かされました。

治具はもともとは外来語で、英語ではJIGと書く。近代工業が日本に入ってきたとき、JIGを治具と書き替えた日本の工場の人たちの知恵には、あらためて感じ入るが、いまでは治具という言葉が定着して、現場で働く人のほとんどは、それが英語であることさえ知らない。(P95)

「治具」が英語由来だとは、私も知りませんでした。これも含めて非常に勉強になることが多かったです。

最後になりますが、小関さんの思いを端的に表した箇所を引用させて頂いて、本の紹介を締めくくりたいと思います。

わたしはずっと自分の著書のなかで、「職人とは、ものを作る手立てを考え、そのための道具を工夫する人である」と書いてきた。間口の広さに甘んじて、奥ゆきの深さを探ろうとしなかったなら、どんな仕事をしたって楽しいはずはない。間口のところで、ただ手慣れてしまったら、ロボットと変わらない。ロボットと同じような働きぶりからは、どんな進歩も発見も、働く楽しさも生まれないのである。

広い間口から入っても、その奥ゆきを極めようと努力する人だけが職人なのである。(P26)

追記1:2006年10月19日(木)

小学生の頃、社会の時間に「第一次、第二次、第三次産業」という言葉を教わりました。ちょっとこの言葉について振り返ってみたいのですが、大辞林ではこのように説明されています。

【第一次産業】

C=クラークによる産業分類の一。原材料・食糧など最も基礎的な生産物の生産にかかわる産業。農・林・水産業など。一次産業。

【第二次産業】

C=クラークによる産業分類の一。製造業・建築業・鉱工業・ガス・電気・水道業などをいう。日本の統計では、ガス・電気・水道業は第三次産業になっている。

【第三次産業】

C=クラークによる産業分類の一。商業・運輸・通信・金融・公務・サービス業などをいう。日本の統計では電気・ガス・水道業を含める。三次産業。

いわゆる「ものづくり」の世界である製造業は、第二次産業に分類されています。社会の発展・成熟に伴なって、第一次・第二次産業の比率は下がり、第三次産業の比率が高まっていくということを学んだ記憶があります。

日本でも第一次・第二次産業の比率が下がってきていますが、私は、第一次・第二次産業こそが、やはり社会の基盤であると思っています。第三次産業は、私たちの目に「見えます」。コミュニケーションが欠かせないという点で、見せる産業だと言えるかもしれません。それに比べると、第一次・第二次産業は、その生産物は私たちの目に明らかですが、生産過程はなかなか「見えない」。

私は工場でほぼ一日を過ごしています。作業工程自体が企業秘密だということも十分考えられるので、そこをオープンにするメリットはないのかもしれません。しかし、生産過程が見えなさすぎて、商品と、商品の製造に関わっている人があまりに分離されているような気がしてなりません。最近は「トレーサビリティー」という考えが浸透してきたこともあり、生産者と消費者が結ばれるということが増えてはきていますが、それでもまだまだ生産物全体からすると微々たるものです。

「見える製造業」「見せて魅せる製造業」という考え方はどうでしょう。私は製造現場で働いたことで、ものづくりというのは生産物だけでなく、その生産過程も含めて考えることが自然なことだと思うようになりました。実際、生産過程が見えるのは興味深いですし、なんとなくそれ自体がアート、芸術性を帯びているように思えます。工場でしている作業を、突然街の大通りで同じようにやったら、絶対に新鮮に面白く感じられると思います。そんなことを考えながら仕事をしています。

ところで言葉というのは面白いもので、「生まれたてのニワトリ」「身長10キロメートル」など、ありえないことでも言葉を組み合わせることは出来るので、どんな表現も可能なのですが、時にその言葉の組み合わせが現実になることがあります。「青いバラ」が開発された話は有名ですが、ここで述べるのは先の話に関連して「第○次産業」という言葉です。たくさんの興味深い考察に出会えます。みなさんの目で確かめて見てください。

第四次産業 Google 検索

第五次産業 Google 検索

第六次産業 Google 検索

◎関連リンク◎

職人学(講談社)

職人学 講談社 小関智弘(ブックス成錦堂)

“粋な旋盤工”小関智弘フェア(e-hon)

今週のインタビュー 小関智弘さん(Mammo.tv)

小関智弘「職人道」(塩田合金所)

「現代の名工(卓越した技能者)」表彰制度のコーナー(厚生労働省)

北九州マイスター(福岡県北九州市)

不思議!手が切れないプルトップ缶の工場~谷啓製作所(凡才中村助教授の憂鬱)

モノづくり職人ホームページ

ドイツの職人の道マイスター制度と日本の職人への道の現状(職人の技)

達人図鑑(YOMIURI ONLINE)

職人ネットワ-ク

職人.com

株式会社 ミツトヨ

・『職人力』 小関智弘 2005.10 講談社

・『仕事が人をつくる』 小関智弘 2001.9 岩波書店(岩波新書)

・『手仕事を見つけたぼくら』 ガテン編集部 小関智弘 2001.2 小学館(小学館文庫)

・『鉄、千年のいのち』 白鷹幸伯 1997.6 草思社

・『美味いとは何か』 数江瓢鮎子 2002.5 恒文社21

・『洟をたらした神』 吉野せい 2001.1 埼玉福祉会

はっちの太鼓本 太鼓本だ~♪どどんがどんっ!

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2006年1月29日 (日)

4冊目 『藤山一郎とその時代』

小学生の頃だったと記憶しています。昭和歌謡を振り返る番組で、藤山一郎さんの「青い山脈」を聴いたとき、なんとも言えない清廉さと哀愁を感じ、また、現代J-POPを盛り上げる歌い手とはまったく違う、その独特の歌い方にも強い関心が芽生えました。

私は現在二十代半ばの、藤山さんが活躍した時代が疾うに過ぎ去った後に生まれた世代に当たりますが、そんな私にとって「青い山脈」が思い出の曲となっているというのは不思議なものだと自分でも思います。今日紹介するのは、藤山一郎さんの生涯を辿ったこの本、

『藤山一郎とその時代』 池井優 1997.5 新潮社

藤山一郎とその時代』 池井優 1997.5 新潮社

です。目次を眺めると、

プロローグ 急逝

1 第一の母校・慶応

2 音楽学校の青春

3 歌手「藤山一郎」の誕生―「酒は涙か溜息か」

4 テイチク時代―「東京ラプソディー」

5 戦争そして軍歌

6 南方へ

7 収容所のアコーディオン

8 荒野にひびけ―「長崎の鐘」

9 若く明るい歌声に―「青い山脈」

10 四三回の紅白

11 流行歌への疑問

12 奉仕の精神をいかす

13 日本の自動車史を生きる

14 最後の作曲

エピローグ 冨士霊園

という構成になっています。

著者ははじめに、このように記しています。

藤山一郎は明治という時代も残りあと一年という明治四四年(一九一一年)に生を受け、満州事変の始まった昭和六年(一九三一年)に「キャンプ小唄」「酒は涙か溜息か」でデビュー。戦時中は、戦時歌謡を歌い、軍のために南方の島々を慰問。終戦後、その南方の島で収容所生活をおくり、帰国して「青い山脈」「長崎の鐘」などの大ヒット曲をとばす。しかし、歌謡曲の堕落に疑問を感じ、NHK専属となって、ホームソングをはじめ、正しい歌、皆で歌える歌の普及に努めた。さらに、ロータリークラブやボーイスカウト活動など、昭和三〇年以降に活発となる社会奉仕は晩年まで続けられた。

「楷書の歌声」「楷書の人生」を貫いたこの藤山一郎の生涯を追うことは、大正・昭和、さらに平成と日本の歩みを追うことでもある。(P9 プロローグより)

私は大学進学に向けて勉学に励んでいたとき、机の目の前に、あるメモを貼っていました。それは、「青い山脈」の歌詞に、山脈のイラストを添えた手書きの自作メモでした。

『若く明るい 歌声に

雪崩は消える 花も咲く

青い山脈 雪割桜

空のはて

今日もわれらの 夢を呼ぶ』

この歌詞を眺めていると、希望を歌う声が聴こえてくるようで、いつでも目に入る机の前の壁に貼っていたのでした。

2005年末に行われた、第56回 NHK紅白歌合戦では、「スキウタ」アンケートが実施され、その1位にはSMAPの「世界に一つだけの花」が選ばれました。そのことに関連した話になりますが、この本では、「青い山脈」が日本人の最も好む歌のベストワンであるという、二つの調査の結果を紹介しています。

一つは、1980年、TBSによる『日本人の好む歌ベスト一〇〇〇』、そしてもう一つが、1989年、NHKによる「昭和の歌・心に残る二〇〇」。いずれも1位は「青い山脈」となっており、「青」という色の持つ「標準的・清潔志向」、「山脈」の持つ「故郷志向」が作用しているとの指摘や、日本人の持つ適当な保守性・潔癖性・進歩性・曖昧性を要因とする分析などが紹介されています。

私が面白いと思ったのは、慶応普通部で同級生だった岡本太郎さんとのエピソードで、2人の卒業時、成績は藤山さんが52人中51番で、岡本さんが52番だったそうです。国民栄誉賞受賞歌手と日本を代表する芸術家がここに並んでいたことは、なんとも意外かつ、だからこそ人生は面白いと感じさせてくれました。

大学入学直後に、同回生の前で歌を歌わねばならなくなり、とっさに歌ったのが「青い山脈」で、その後、同回生の間では、私と言えば「青い山脈」だという学生生活を送ることになりました。

そんな思い出のつまった「青い山脈」ですが、これを機会に、まだ藤山一郎さん本人の歌声を聴いたことのない方には、ぜひ一度、清々しく澄んで特徴のある、あの歌声を聴いてほしいなぁと思います。

◎関連リンク◎

藤山一郎(Wikipedia)

青い山脈(山の愛唱歌集)

・『藤山一郎自伝 歌声よひびけ南の空に』 藤山一郎 1993.10 光人社(光人社NF文庫)

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