カテゴリー「日本」の6件の記事

2007年1月19日 (金)

31冊目 『BRUTUS クール・ジャパン!?』

「なんしか、どないかせんなあかん。」

最近の私の口癖ですが、どないもならないことが多い今日この頃、否、過去・未来か。松坂世代を先輩に持ち、日本で暮らすこと四半世紀になりますが、メジャー行きが決まった松坂投手とは違い、ごくごく狭い世界を右往左往している私には、今「世界」は一体どんなもんかということを知る機会が殆どありません。そんな私が思わず手にとってしまったのが今回紹介する、

『BRUTUS 608 クール・ジャパン!?』 2006.12 マガジンハウス

BRUTUS 608 クール・ジャパン!?』 2006.12 マガジンハウス

という雑誌です。タイトルが示すとおり、「クール・ジャパン」特集が組まれているわけですが、「クール・ジャパン」って何でしょうか。

2002年、米国のジャーナリスト、ダグラス・マグレイが「日本のGNC」という記事を『フォーリン・ポリシー』誌に発表しました。GNCとは、国民総生産GNPのProductをCoolに置き換えたものです。彼は国力を経済力の指標ではなく、「どのくらいクール(カッコいい、魅力的)であるか」という指標で示すことを提案しました。そして、日本はGNCがきわめて高い国であると評したのです。この時彼が高く評価したのは、マンガ、アニメ、ゲームなどのポップカルチャーでした。

それをきっかけに今では、ポップカルチャーだけでなく、映画、音楽、文学、食、ファッション、建築、プロダクトデザインなどにまで範囲を広げ、日本の文化力が「クール・ジャパン」というコトバでくくられ、世界中で注目を浴びています。(P18)

ふむふむ、冷たいパンなお話ではなかったので安心しました。

特集のトップには「いつから日本はクールになったの?」という年表が載っているのですが、これがいきなり面白いです。日本文化としての北斎漫画がパリで「発見」された1856年から現在に至るまで、日本という枠組みを飛び出した日本文化と世界との関わりをザザザ~ッと一覧で見ることができます。

使い古されたステレオタイプの日本とでもいうべき、「サムライ」「ゲイシャ」「スシ」「フジヤマ」。この特集を読んで、それどころじゃない、世界はもっと日本を知っていたということに驚かされました。あらゆるカテゴリの日本文化が紹介されているのですが、私が関心を持ったものを挙げてみます。

え~っと、まずはケニアのナイロビにコロちゃんコロッケ初上陸という話題。「コロッケ」という新感覚の食べ物が家族連れやサラリーマンに大人気なんだそうです。クールな日本の国民食、それが「コロッケ」だ!

続きまして、タイが大変です。アニメ「一休さん」が1982年に紹介されて好評を博し、以来20年以上にわたって放映され、国民的人気を得ているそうです。さすが仏教の国ですなぁ。『このはし、わたるべからず』はどうやって翻訳されたのでしょうか、気になるところです。新右衛門さんの子孫が格闘技をしていると知ったらさぞかし驚くでしょうね。

イランでは日本の「クールビズ」が画期的で、クールだと注目されたそうです。「環境」や「エコロジー」の分野は、最近盛んに聞く「持続可能性」とも相まって今後ますます重要になってくると予想されますが、日本文化に織り込まれてきた「もの」を大切にするという精神の一端である「モッタイナイ」が注目されたように、「古さ」ではなく「良さ」に注目して日本文化を捉えなおすということの大切さを、『異文化からみた日本へのまなざし』をきっかけに教えられた気がします。

昨年話題になったのがイギリスでの「スードク(数独)」の大ブーム。ローマ字で「SUDOKU」と書かれていると、不思議と新鮮なものに思えてきます。特集で最も記事が割かれていたのが「モスクワ(ロシア)」での日本文化。空手や相撲に加えて、キティちゃん、村上春樹にアニメと、新旧入り乱れているようですが、その光景はとても新鮮なものでした。

というわけで、思っていたよりも世界は現代の日本をよく見ていたんだということを知り、面白く驚きました。(ぎゃぼ~)

「日本文化」を世界に映し出した「クール・ジャパン」について知るということ、それは日本文化の「新鮮さ」を逆輸入することで、自国のことを再確認することに他ならないことだと思いました。

特別付録として、描き下ろし作品「公園」が収録された、大友克洋BOOKがついてきます。

と、ここまでがこの記事の「起承」部分、ここからがさあ大変「転結」部分です。

こういった日本文化に関する特集や内容を見聞きする度に思うのは、自分が果たして日本文化に「参加」出来ているのか、ということ。例えば私が他の国へ行って、その国の人々から『「日本文化」を背負った日本人』という眼差しを向けられて、果たしてその期待に応えられるのかということ。

つまりは、アニメやゲームに携わるようなクリエイティブな仕事をしているわけでもなく、日本の伝統技術を受け継いだ高度な技もなく、そんな自分は一体どう「日本人」なんだろうということをどうしても考えざるをえないわけです。

空手や剣道、相撲もしないですし、和服を着ることも無い。和食は食べるのは好きやけど、自分で作れる料理はごく限られているし。そう考えていくと、畳の部屋があるとか、風呂に入るとか、箸を使うとか、かなり日常的なレベルまで持ってきて、そやけど果たしてこれ=日本?と自問自答することになってしまうのです。

正直、それを難しく考えていくことは私には無理なので、そういった日常レベルの衣食住環境も含めて、そういったやり方や習慣を享受して生活を送っていることも、文化の担い手だといえるんだと私は思うことにします、今から。

私の好きな日本文化、「コタツ」「高校野球」「大阪弁」「日本語」。

◎関連リンク◎

BRUTUS No.608(BRUTUS ONLINE)

クール・ジャパンの誕生(前編)―鹿鳴館主義を超えて―(文化庁メディア芸術プラザ)

クール・ジャパンの誕生(後編)―オリエントの片隅から―(文化庁メディア芸術プラザ)

“甲子園”米で映画化…「KOKOYAKYU」が完成(ZAKZAK)

Kokoyakyu High School Baseball(PROJECTILE ARTS)

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2007年1月10日 (水)

29冊目 『ニッポンの投書』

「笑い」とは何か。求めれば逃げられ、しかし思いがけず掴んでいたりもする。テレビではお笑い芸人さんたちが、日々その技芸を競い合っていますが、なにも「笑い」はプロだけのものではありません。むしろ市井の人々の何気ない日常の中で生み出される「笑い」の方が、狙っていないぶんだけ破壊力が凄まじいのではないかと私は思っています。

さぁ、この本を紹介してしまうのですね。今回私が手に取ったのは、

『ニッポンの投書』 2005.2 宝島社

ニッポンの投書』 2005.2 宝島社

という本です。日常の中の「奇妙」で「変」な言葉や風景を切り取ってはツッコミを入れ続けてきたVOWシリーズ。その姉妹書であるこの本では、いろいろな雑誌や新聞に投稿された文章に光を当てて、ツッコミを入れまくっています。

何なんでしょうか、この一般の人々の爆発的な言葉の力は。決して誰かを笑わそうなんて思って投稿しているはずないのに、むしろ真剣で情熱的な文章が並んでいるのに、笑わずにはいられない(笑)

内容を書くことが出来ないので伝えるのが難しいですが、個人的にはP8、30、36、44の投稿が好きでした。う~む、これでは何も伝わらない(汗)宝島社の本書のページで、内容が一部だけ紹介されています。そしてその『ファストフード』の投稿は、私が好きなP8の投稿だったりします。私と笑いのセンスが一致した方、是非本書を読まれたし。

こんなに面白いのに、ネット書店で今現在、全滅なのは何故なのでしょうか。状況から察するに、この本は好き嫌いがあるんでしょうね。本屋さんや古本屋などでたまたま見つけられたら、是非一度手にとって見てください。日本はまだまだ捨てたもんじゃないと勇気が湧いてきたりこなかったり…。私はこの本から人間の潜在的な生命力の大きさを感じました。(大げさ)

よし、今度は違う方面からいってみよう。投稿がテーマの本ということで、装丁が封書風でなかなか素敵です。封書だけに、水木しげる先生の妖怪ポストの切手がデザインされています。

「あの有名人の投書を大公開!」というコーナーでは、『失踪日記』で時の人となった吾妻ひでおさんが失踪時に投稿していた幻のマンガも掲載されています。ちなみに本書の方が『失踪日記』よりも若干早く発売されています。

おっと、思いがけずいつものペースを乱してしまった。最後になりましたが目次を紹介すると、

第一章 投書のフリースタイル

第二章 苦悩する人々

第三章 テレビ欄の世界

第四章 主張する人々

第五章 売ります買います探してます

第六章 地方紙の世界

第七章 専門誌の世界

となっています。この他にもミニコーナー多数ありです。ページを開くと、左に投稿された本文が、右に投稿へのツッコミ及び感想が添えられています。

この本は読み手を試します。笑うか笑わないかはあなた次第!

なんて当たり前なコメント~、で終わり。

◎関連リンク◎

ニッポンの投書(宝島社)

まぐまぐVOW

はっちの太鼓本 太鼓本だ~♪どどんがどんっ!

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2006年11月23日 (木)

25冊目 『ニッポンのマンガ』

マンガ大国日本。今や「マンガ」は、世界共通言語になりつつあると聞きます。なぜ日本ではここまで「マンガ」文化が発展したのかについて、『漫画の神様』手塚治虫さんの存在を抜きにして考えることは出来ません。膨大な量のコミックスが毎年刊行され、ヒット作が次々と生まれている広大な「マンガ」の世界を、「手塚治虫」という視点から俯瞰した一冊の本、それが今回紹介する、

『ニッポンのマンガ』 2006.10 朝日新聞社

ニッポンのマンガ』 2006.10 朝日新聞社

です。この本は、手塚治虫文化賞10周年を記念して、アエラムック『AERA COMIC』として刊行されました。タイトルが「日本の漫画」ではなく、「ニッポンのマンガ」となっているところに、日本に留まらない人気と広がりを得ている「マンガ」の姿が反映されていると感じました。最近、オーストリアの日本語での表音表記についての話題が出ていますが、他国でも日本通の人によって「ニホン」「ニッポン」が広がっていくのかもしれませんね。

さて、まず「手塚治虫文化賞」についてですが、どのような賞なのかについて本書から引用させていただきたいと思います。

手塚治虫文化賞とは

日本のマンガ文化の発展、向上に大きな役割を果たした手塚治虫氏の業績を記念し、手塚氏の志を継いでマンガ文化の健全な発展に寄与することを目的に、朝日新聞社が1997年に創設。その前年に発行された全マンガ単行本が対象となる。(P187)

受賞者に贈られる「アトム像」は、非常に素晴らしいデザインです。

本書を開いてすぐに目に飛び込んでくる「大賞作家 夢の競演」の文字。その看板に偽り無く、浦沢直樹さん、井上雄彦さんなど次々と人気漫画家が登場します。やはり見所は本書のために書き下ろされた5作品です。

12年ぶりの短編『月に向って投げろ!』(浦沢直樹)

ファン待望、5年ぶりの執筆『おりがみでツルを折ろう』(高野文子)

あづまSFの真骨頂『墓標』(吾妻ひでお)

ほら話的ホラー『空気のような…』(諸星大二郎)

名手の鮮やかな演出『月の夜』(谷口ジロー)

この5作品を楽しめる時点で、この本には相当な価値を感じますが、すごい内容はこれだけに留まりません。2006年9月10日(日)に開催された10周年記念イベント「マンガ未来世紀」の様子が掲載されているのですが、これがすごい。

第3部の萩尾望都さん、浦沢直樹さん、夏目房之介さんのセッションでは、巨匠「手塚治虫」「大友克洋」の存在が次世代のマンガ家に与えた影響を考えるという、非常に面白い内容でした。第1部、第2部についても見逃せない内容です。

そしてさらにすごかったのが、井上雄彦さんと重松清さんの対談。多くの読者に支持される2人の〝表現者〟。その2人が魂の部分を擦り合わせるかのようなやり取りを交わしながら、井上雄彦さんの作品について語り合う様子は凄まじかったです。ものすごく惹きつけられながら読みました。

マンガの周辺というコーナーでは、「三大週刊少年誌の部数下落」「フランスで日本マンガ争奪戦」「大人のための多メディア展開」という、3つのタイトルでコラムが書かれており、興味深く読みました。

現代マンガの見取り図となる「大人のためのCOMICナビ」では、手塚治虫文化賞が創設された1997年から2006年現在までの注目されるマンガについて、年毎に解説されていて、この10年間の流れがよく分かります。全体を通じてとにかく内容がものすごく濃いので、じっくり読むと結構時間がかかります。が、この時間は非常に有意義で、心弾むものになりました。

本書でエンディング・メッセージを寄せられているのが養老孟司さん。養老さんは、いよいよ11月25日に開館する、全国初の総合まんが博物館「京都国際マンガミュージアム」の館長に就任されます。マンガミュージアムの開館についても、非常に期待大です。

これで紹介出来たのはほんの一部です。マンガ通だという人、普段マンガをあまり読まないという人、本書を通して、広大な「マンガ」の世界を見渡す稀有な試みの立会人になりませんか。完全保存版。その名の通り、「ニッポンのマンガ」における記念碑となる一冊でした。

追記1:2006年11月24日(金)

昨日の記事を読み返してみると、すごいすごいばかりで、どうすごいのかがちっとも伝わってこないことに気づいたので、追記します。

「表現者からのオマージュ」というコーナーがあります。ここでは、これまでに大賞を受賞された作家さんへ、自らも〝表現者〟である方から贈られた文章が掲載されているのですが、これがいずれも名文、いや本心から作家・作品への敬意や愛が伝わってくる見事なものでした。

特に印象に残ったのが、作家・川上弘美さんから高野文子さんに贈られた「一瞬が心にとどまる 読みとばせない快さ」という文章でした。

まんがにしても、小説にしても、映像にしても、わたしたちはその中にある情報の多くを、「読みとばして」いる。何を「とばす」かは瞬時に頭の中で決められ、「とばされた」ものが、意識の表面にのぼってくることは、ほとんどない。とばされたものは、そこにもうないものに変化し、先に書いたように、「主人公の服装は読者であるわたしの目には記号化されて、何を着ていたとしても、結局何も着ていないのと同じことになってしまう」というようなことが、常におこなわれてゆくはずなのである。(P59)

そのように綴られている川上さんですが、高野さんの作品を読むときはそうならなかったと言います。

流れるようなコマを読みつがせる、ということと、一つのコマの中にある世界に立ち止まらせる、という、矛盾するふたつの読みかたを、すべての高野作品は可能にしつづけてきたのは確かなことなのである。(P59)

近年の高野作品において、「読みとばさせない」力は、ますます強くなっているように思う。これを書くのはさぞ力のいることだろうなあ、と愛読者であるところのわたしは素朴に感心するし、また同時に「何もないところから何かをぎゅっとしぼりだす」ということをつたないながらも行っている実作者のはしくれとしては、理念的には楽しいだろうけれど実務的にはほんに骨だろうのう、と、しみじみ思う。(P59)

川上さんの言う、「読みとばさせない」力。高野さんの作品を読みたくなりました。

「表現者からのオマージュ」は、この他に、映画監督・本広克行さんから浦沢直樹さんへ、作家・松尾スズキさんから吾妻ひでおさんへ、作家・酒見賢一さんから諸星大二郎さんへ、作家・夢枕獏さんから岡野玲子さんへの文章が、それぞれ綴られています。

そして昨日に引き続き何度でも言いますが、やっぱりすごかった井上雄彦さんと重松清さんの対談。井上さんの作品への熱い思い、情熱があるからこそ生まれる、重松さんの鋭い質問と、それに対して己の魂から返答しようとする井上さん。この二人の対談は至極のものでした。

そう、そうなんです。肝心なことを忘れていました。この記事の冒頭で「手塚治虫」という視点といっておきながら、私はそのことについて何も書いてないじゃありませんか(反省)。正確にはアニメ「ジャングル大帝」や「鉄腕アトム」(共にカラー版)が手塚作品との出会いだったと思いますが、手塚マンガとの出会いは、「リボンの騎士」でした。母が子どもの時に読んだものが家に残っていて、小学生のときに本棚から出してきて読んだ記憶があります。

余談ですが、同時期に父の持っていた「夕焼けの詩」(西岸良平)を熟読していたので、現代よりも哀愁漂う時代の好きな子どもになってしまったのでした。中学生のときに、角川文庫の「火の鳥」を毎月の小遣いから捻出して少しずつ買い揃え、時間と空間を越えた超大作に胸を躍らせていました。その後、「ブラック・ジャック」「ブッダ」「アドルフに告ぐ」などを読んだ後に、短編シリーズも読むようになったのが高校生の頃でした。「雨ふり小僧」や「るんは風の中」、大好きでした。また手塚作品のこともここで書けたらいいなと思います。

◎関連リンク◎

ニッポンのマンガ(朝日新聞社)

朝日新聞手塚治虫文化賞(asahi.com)

手塚文化賞10周年(夏目房之介の「で?」)

虫ん坊2006年10月号 読者レポート「マンガ未来世紀」(Tezuka Osamu @World)

Tezuka Osamu @World

京都国際マンガミュージアム

各国語版「ドラえもん」など収蔵、まんが博物館開館へ(YOMIURI ONLINE)

日本のメディア芸術100選 マンガ部門(文化庁)

マンガの「扉絵」、ある・なし問題(Excite Bit コネタ)

マンガ雑誌の紙、なんで色分けしてあるの?(Excite Bit コネタ)

MANGA 英語入り(ことば・言葉・コトバ)

はっちの太鼓本 太鼓本だ~♪どどんがどんっ!

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2006年4月11日 (火)

9冊目 『日本人はカレーライスがなぜ好きなのか』

「あなたの好きな食べ物は何ですか?」

そう聞かれたら、みなさんは何と答えますか?「寿司」でしょうか、「焼肉」でしょうか、それとも「ラーメン」でしょうか。もちろん人それぞれに、私はこれだ、という食べ物があると思いますが、ここで忘れてはならない食べ物があります。そう、「カレーライス」です。

学校給食で待ち遠しかったカレーライス。家庭では今やおふくろの味となっているカレーライス。子どもから大人まで、多くの人が愛してやまないカレーライス。一体どうして日本人はこんなにカレーライスが好きなのでしょうか。今回紹介するのは、まさにこの問いをタイトルとして掲げたこの本、

『日本人はカレーライスがなぜ好きなのか』 井上宏生 2000.11 平凡社(平凡社新書)

日本人はカレーライスがなぜ好きなのか』 井上宏生 2000.11 平凡社(平凡社新書)

です。目次を見てみると、

プロローグ カレーとはいったいなんだ?

第一章 カレーは文明開化のクスリだった

第二章 日本でカレーはどう変身したか

第三章 カレーライスの先駆者たち

第四章 日本の軍隊はカレーが好きだった

第五章 奇跡の再生と百花繚乱のカレー

エピローグ カレー好きな日本人の不思議

となっており、日本におけるカレー史を紐解きながら、日本人とカレーとの、切っても切れない強い結びつきに迫っていく内容となっています。

さて、カレーライスは一体いつごろ日本に伝わったのでしょうか。本書によれば、明治維新(1868年)から数年が経った1972年に出版された、『西洋料理指南』『西洋料理通』という本でカレーが紹介されていることから、この頃にカレーが伝わっていたのは確かなようです。

みなさん、ここで重要な事実に気づきましたか?重要な事実とは、カレーは西洋料理として日本に伝わったということです。今ではカレーの本場がインドであることはほとんどの人が知っていることだと思いますが、日本にカレーを伝えたのはインドではなく、イギリスだったのです。つまりカレーは、インド→日本というルートではなく、インド→イギリス→日本というルートによって、間接的に日本にもたらされたのです。よく、日本のカレーはインドのカレーとは別物だということを聞きますが、それもそのはず。日本に紹介されたカレーは、インドで味わったカレーの味が忘れられず、本国イギリスでも食したいと、イギリス人が独自に作ったイギリス風のカレーだったのです。

明治といえば文明開化の時代であり、脱亜入欧の思想のもと、西欧諸国に追いつこうと、西欧の文化や生活が積極的に取り入れられた時代です。著者は、もしもカレーが当時、インドの料理として日本に紹介されていたら、これほどまでに日本人に受け入れられただろうかと読者に疑問を投げかけていますが、これには思わず、う~むと考えさせられました。

西洋料理として日本に伝えられたカレーでしたが、それは私たちに馴染みのある今のカレーとは少し違うものだったようです。先ほどの『西洋料理指南』のカレーの作り方を見ると、その材料として、ネギ生姜ニラエビタイカキ赤蛙といった食材が挙げられています。私たちに馴染みのある、じゃがいも、人参、たまねぎは出てきません。これらの食材がカレーの材料として用いられるようになったのは、もう少し後になってからのようです。

カレーといえば、なにもカレーライスだけではありません。今私たちの周りには、カレーうどんやカレーパンが人気のメニューとして存在しています。今では当たり前となっているこれらのメニューですが、その誕生の影には様々な苦心と創意工夫があったようです。

カレーの人気が高まっていくにつれて、そば屋やうどん屋からは客足が遠のくようになっていきました。店が存亡の危機にさらされる中で、ある店主が「ご飯にカレーが乗っているなら、うどんにカレーが乗ってもおかしくないはずだ」と考え、試行錯誤の末、カレーうどんを誕生させました。時は1904年ごろ、東京・早稲田にあった「三朝庵」という店で、その後、カレーうどんが人気となり、店はにぎわいを取り戻したそうです。

明治時代に伝わったカレーは、その後日本で着実に人気を広げていきましたが、戦争による負の歴史も背負ってきました。

ちなみに、太平洋戦争中、陸軍は英語を敵性語として徹底的に排斥している。その影響はわれらがカレーにもおよんでいる。長年、陸軍はカレーを「カレー汁」と呼んでいたが、戦時中、「辛味入汁掛飯」と呼ばれるようになった。カレーの三文字が敵性語だったからである。ただし、海軍では終戦まで「カレー」と呼んでいた。ドイツ流の陸軍が厳格だったのに比べ、イギリス流の海軍はリベラルだったからだといわれている。

ここ数年、札幌発のスープカレーの人気が日本全国に広がりました。カレー好きの日本人が、次は一体どのような新たなカレーの美味しさを見つけるのか、楽しみに待ちたいと思います。

追記1:2006年4月13日(木)

最近、緒形直人さんが出演しているハウス食品「北海道ホワイトカレー」のCMをよく見かけます。スープカレーの次はホワイトカレーがブームになるんでしょうか。白いカレーというのは、なんともインパクトがありますね。恐るべし北の大地。

北海道発祥のホワイトカレーはもう食べた?(Excite)

北海道ホワイトカレー(ハウス食品)

追記2:2006年4月13日(木)

2005年の大ベストセラー『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』と、今回紹介した『日本人はカレーライスがなぜ好きなのか』に共通することとはなんでしょうか?一つは新書であること。新書は出版界で現在、最も話題性があり、数十社が乱立する戦国の様相を呈しています。そしてもう一つはタイトルに「なぜ」があること。このことについて書かれた記事を本よみうり堂で見つけたので、ここにリンクしておきます。

なぜ多い?「なぜ」と問う本(本よみうり堂)

追記3:2006年4月13日(木)

中国といえば広く深い食文化を育んできたという印象がありますが、カレーに関して言えば、これまであまりメジャーな食べ物ではなかったようです。その中国に日本式カレーを広めようと、日本の各食品メーカーが次々と中国市場向けの商品を開発しているそうです。下の記事は二つとも2005年のものですが、その後果たして日本発のカレーは中国で普及していっているのでしょうか。気になるところです。

中国味の家庭用カレー発売(NIKKEI NET)

「レトルト文化」、中国で広げたい(NNA)

追記4:2006年4月14日(金)

私には忘れられないカレーがあります。何という名前の商品だったかは分かりませんが、その商品のCMだけは今でも鮮明に憶えています。木村佳乃さんがカレーを作りながら、「♪10分でカレーをつくろ~よ」と歌っているCMです。それを手がかりにして検索してみたところ、ハウス食品の「カレークイック」であることが判明しました。

カレークイック うまみとコクの中辛(ハウス食品) カレークイック スパイシーな辛口(ハウス食品)

あれ、すごく美味しかったんですよ。商品は調理時間を売りにしていたようですが、野菜(特にじゃがいも)がシャキシャキとした触感のまま味わえるカレーというのはすごい新鮮で、その当時は実家にいたのですが、夕食がカレーの時、何度かそのカレーを食べてました。結構好きだったので、出来ることならもう一度食べてみたかったのですが…。食べた記憶も結構前ですが、いつごろ見かけなくなったのかも正直思い出せません。

そこでさらに検索してみたところ、「カレークイック」は1999年の初めごろに発売され、2000年1月に製造中止になったそうです。そうやったんや…、実質1年くらいしか発売されてなかったんですね。

メーカー(ハウス食品)の評価としては、

『当初は手軽さで評価されたが、ネーミングやパッケージがレトルトカレーと間違えられることが多く十分浸透しなかった』

そうです。検索していると、美味しかったという意見がある一方で、美味しくない、これはカレーじゃない、という意見もありました。ん~、でももう一度食べたいな~。

さてさてホワイトカレーは1年後どうなっているのでしょうか。検索中、面白いページを見つけたのでリンクしておきます。おっと、ここの記事、相当長くなってきたな~。さすがカレー!

復活してほしいもの(食べ物)

追記5:2006年4月25日(火)

『めざましテレビ』(フジテレビ系列)で、めざましどっち?というコーナーがあるのですが、4月17日の放送の質問が、「カレーのつけあわせといえば…福神漬け or らっきょう?」というものでした。結果は福神漬けが86.6%(32,456人)、らっきょうが13.4%(5,009人)で、福神漬けの圧勝でした。番組の調査では、外国の人はらっきょうを選んだ人が多かったそうです。私はらっきょうが苦手なので、福神漬けを選びます。

今日、4月25日の『おはよう朝日です』(朝日放送)で、「カレー消費量日本一?鳥取カレー三昧の旅」という特集がありました。私はこれまで、鳥取に対してカレーのイメージは全く無かったのですが、調べてみると、鳥取市は一世帯当たりのカレーのルー購入量が全国一なんだそうです。特集では、カレーンジャーという鳥取のカレー文化を全国に発信しようと活動している人たちが出てきました。鳥取は全国有数のらっきょうの生産地でもあります。

めざましテレビ(フジテレビ)

鳥取カレー三昧の旅(朝日放送)

鳥取カレークラブ カレーンジャー

鳥取カレー倶楽部発足 "食文化"全国に発信(日本海新聞)

砂丘らっきょう(とっとり砂丘王国)

追記6:2006年8月3日(木)

4月にここで取り上げた「北海道ホワイトカレー」が、ここに来て熱気を帯びてきています。なんでかなと思ったら、これまで北海道と西日本限定での販売だったそうです。全然知りませんでした。8月7日から全国発売されます。

どうしても食べたくて、一度だけレトルトの「北海道ホワイトカレー」を食べました。口当たりはとてもまろやかで、辛さも控えめでした。見た目は本当にシチューそっくり。なかなか美味しかったですが、個人的には普通のブラウンのカレーがやっぱりいいなと思った次第です。

北海道で白いカレー人気 7日から全国発売へ(SANSPO.COM)

追記7:2006年9月17日(日)

追記5で、『めざましテレビ』(フジテレビ系列)の、めざましどっち?というコーナーのことを取り上げましたが、9月4日の放送では、「カレーにかけるとしたら…しょうゆ or ソース?」という質問が出されていました。結果はしょうゆが26.5%(9,417人)、ソースが73.5%(26,067人)で、ソースが全体の約4分の3の支持を集めていました。

驚いたことに、カレー専用のしょうゆ、ソースというものまであるようです。個人的には、どちらもかけないですね。余談ですが、子どもの時に、ごはんに海苔を敷いて、その上にカレーをかけて食べていたことをふと思い出しました。

めざましテレビ(フジテレビ)

「家カレー」もツウの味に! カレー専用ソース(Excite)

カレー名人のウスターソース(蛇ノ目食品 廣田徳七商店)

洋食屋さんのカレー醤油(湯浅醤油)

◎関連リンク◎

日本人はカレーライスがなぜ好きなのか(平凡社)

カレー博物館(横濱カレーミュージアム)

カレー資料館(ハウス食品)

スープカレーの歴史(ハウス食品)

こんなのいいね! 北海道ホワイトカレー(ハウス食品)

カレーの街よこすか(神奈川県横須賀市)

華麗なるBIT CURRYの世界

カレー天国(BRUTUS ONLINE)

『食』に関する調査資料(農林中央金庫)

カレーライス(新書マップ)

・『カレーライスと日本人』 森枝卓士 1989.2 講談社(講談社現代新書)

・『カレーライスの誕生』 小菅桂子 2002.6 講談社(講談社選書メチエ)

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2006年3月15日 (水)

7冊目 『歴史人口学で見た日本』

あの時代、日本列島にはどれくらいの数の人々が生活していたんだろうか。学校で歴史を学びながら、ふとそんなことを考えたことがありました。天下統一を目指した織田信長が生きたあの時代、どれくらいの人が彼と時代を共にしたんだろうか、日本が近代へと歩みを進めた明治維新の頃、どれくらいの人が時代の転換期を生きたのだろうかと。そんな私の疑問に一筋の光を射し込んでくれた本。それが今回紹介する、

『歴史人口学で見た日本』 速水融 2001.10 文藝春秋(文春新書)

歴史人口学で見た日本』 速水融 2001.10 文藝春秋(文春新書)

です。歴史人口学という学問について、この本と出会うまでは名前すら聞いたこともなく、何も知らない状態でしたが、一読してみて、非常に興味深く、また面白い学問であるという印象を持ちました。

歴史人口学の歴史はおよそ半世紀と、学問としてはまだ新しく、フランスのルイ・アンリによって確立された学問だということでした。歴史人口学は、その名の通り過去の人口について明らかにすることが目的で、近代国勢調査以前の不完全なデータを基礎として、人口学の手法を用いてそれらを分析する学問です。日本では1920年に初の国勢調査が実施されているので、歴史人口学が光を当てるのはそれ以前ということになります。

さて、それでは近代国勢調査以前の不完全なデータとは一体どんなものなのか。それが各国によって大きく違っているのです。歴史人口学発祥の国フランスでは、「教区簿冊」の分析が行われました。「教区簿冊」とは教会に備え付けられている記録簿で、そこには洗礼を受けたとき、結婚したとき、墓地に埋葬されたときの3つが個人ごとに記録されています。ルイ・アンリは、「教区簿冊」を用いて、個々人が生まれてから死ぬまでをずっと追いかけていくことを基本として、それを何十、何百、何千と集めていきました。すると、当時の人々が平均いくつで結婚し、何人子どもを生み、どれくらい生きたかということが浮かび上がってきたわけです。このような方法で当時の人口に関する指標が得られるようになったことが、歴史人口学が学問として歩みだしたその始まりでした。

では日本はというと、「宗門改帳」が注目されました。「宗門改帳」は江戸時代の初期に記録され始め、それは一神教であるキリスト教が広まるのを良しとしなかった幕府が、一人ひとりについて、キリスト教徒ではなく仏教徒であることを寺に証明させ、判をついて提出させたものでした。日本における歴史人口学の先駆者となった著者は、この「宗門改帳」に注目し、その研究・分析を行なってきました。著者は、その研究・分析によって、江戸時代初期の人口は1200万人程度で、その後17世紀中に人口爆発が起こり、享保期(1716~1736)には3000万人程度であったとしています。

私ははじめ、歴史人口学というものに対して、その時代にどれくらいの人がいたかが分かる程度ではないかという先入観を、その冠した名前から勝手に持ってしまっていましたが、この本を読み進めていくうちに、実際にはそれだけではなく、歴史の中に埋もれてしまっていた固有名を持つ人々の生涯を追っていくことで、ミクロな視点による歴史、すなわち、その時代を生きた一人ひとりの実像を浮かび上がらせ、その一人ひとりの生涯が何十人、何百人、何千人と重なっていくことで、トップダウンの歴史とは違った、ボトムアップの歴史が見えてくる、すごい可能性を秘めた面白い学問であるという認識に至りました。

江戸時代に起こった世帯規模縮小の理由とは、そして日本人の代名詞とも言える「勤勉」の源流?「勤勉革命」が起こった当時の社会背景とは。これまでの歴史観に、こうした歴史人口学の視点を持ち合わせることで、より多角的な深みを増した歴史に出会えると思います。

ところで話は少しそれますが、「過去」はその字が示すように、すでに過ぎ去ってしまったものごとのことですよね。しかしその、確かにあった「過去」は時間とともに人々の記憶から失われ、その存在を証明しうる物証もやがて失われていきます。そして「現在」。失われてしまった「過去」は、人々にとって好奇心をそそられるロマンの宝庫となっています。人類の進歩、また技術革新によって「新」発見されるのは「過去」。それも「最古の○○」と言われれば不思議と人々の関心は高まります。

「未来」に、今はまだ顔を見せていない「過去」が新発見されるというのは、なんとも面白いことだなと思います。

◎関連リンク◎

歴史人口学で見た日本(文藝春秋)

歴史人口学(Wikipedia)

ユーラシア人口・家族史プロジェクト

歴史人口学を学ぶ

人口問題(新書マップ)

速水融『歴史人口学で見た日本』(井出草平の研究ノート)

・『大正デモグラフィ 歴史人口学でみた狭間の時代』 速水融 小嶋美代子 2004.1 文藝春秋(文春新書)

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2006年2月 1日 (水)

5冊目 『「桜と日本人」ノート カラー版』

桜、さくら。

その言葉を聞くだけで、の麗らかな美しい光景が目の前に広がり、旅立ちの記憶がよみがえってくる、特別な名を持つ花です。毎年のように新たな「さくら」が歌われ、新生児の名前ランキングでは「さくら」が常に上位にランクインしています。日本人にとって「桜」とは、単なる花ではなく、そこに歴史や民俗、文化や芸術、様々な思いを重ね続けてきた、日本というものを考えるうえで、欠かすことの出来ない重要なものの一つなのではないでしょうか。今回紹介するのは、

『「桜と日本人」ノート カラー版』 安藤潔 2004.3 文芸社

「桜と日本人」ノート カラー版』 安藤潔 2004.3 文芸社

という、まさしく「桜と日本人」の深いつながりを、様々な視点・角度から考察した本です。何と言っても、カラー版なので、その装丁が非常に美しく、たくさん収められている桜の写真も色鮮やかに映え、眺めていると心が弾んできます。目次を紹介すると、

第一章 「サクラ」とは何か

第二章 古代の「桜」

第三章 「桜」に魅せられて

第四章 「桜」の民俗

第五章 お江戸の「桜」

第六章 「さくら」とことば

第七章 「桜」を象る

第八章 「サクラ」の名を借りて

第九章 暮らしの中の「さくら」

となっていて、九つの章と約五十の項目で構成されています。

作者はまえがきにおいて、

「さ・く・ら」ということばが耳に聞こえてきた時、その音感も含めて、人にはそれぞれどんなイメージやどんな心の動きが生まれるものなのでしょうか。そういうことを一つ一つ取り上げて、私はいつか、桜と日本人との関わりの全てを手操ってみたいと思うようになりました。

と記しており、「桜」に対する情熱が伝わってきます。

実際、この本を読み進めてみると、桜の歴史的な文脈を追うだけでなく、「桜」の切手や、その名を持つ日本酒を紹介したり、「桜」のつく地名を探ったり、「花咲爺」や「遠山の金さん」を取り上げたりと、まさしく「桜と日本人」の関わりを探るために、幅広い探求がなされていて、読者を飽きさせません。

ただ、その幅を広げているために、まだ解明されていない項目も扱うことになり、その点は解明が待たれるところですが、それらを含めても非常に面白く、興味の尽きない取り組みであると思います。日本古謡「さくら」(♪さくら さくら 弥生の空は)に関する疑問として、元となった古謡とは何か、なぜこれほど日本人に親しまれるに至ったのか、などが挙げられており、解明への取り組みは今後も続きそうですが、今から非常に楽しみです。

「サクラ」の語源としてはいくつか説があるようですが、作者曰く、

「農作業(稲作)を始める時期に咲き、その年の収穫の吉凶を占うべき、最も神聖かつ美しく大切な花」

との心情が込められた言葉だそうです。

私が「桜」を想像するとき、それはおそらく「ソメイヨシノ」なのですが、作者によれば、執筆段階で367種の桜が確認出来ており、今後も新種や未発見のものが見つかっていくのは確実なようです。一口に「桜」といっても、日本全国を見渡せば、それは千差万別であり、各地に伝説の桜や、天然記念物に指定された桜など、様々な桜が存在していることを知りました。やはり「桜」は、私たちにとって、身近にして相当奥の深いもののようです。

最後になりますが、この桜を扱った美しい装丁の本は、本棚にも花を咲かせてくれることでしょう。

追記1:2006年4月14日(金)

そういえば、平成の大合併で「さくら」という名前のついた自治体が誕生していたような気が。早速調べてみると、2005年3月28日に栃木県でさくら市が誕生していました。ちょうど桜の開花の時節に自治体も出発したんですね。

これまでは「さくら」という名の自治体といえば千葉県佐倉市が思い浮かびましたが、栃木県さくら市は本当に「桜」の「さくら」だけに、記憶に残りますね。ただ、地名として名乗るのは、なんとなく微妙な感じもします。「さくら」と聞いて、日本のこの場所だ!という、人々の共通認識はあまりないのではないでしょうか。

ともあれ、もしもさくら市の方と知り合いになれたら、ぜひ手紙を書きたいです。住所を書くのがちょっと嬉しいかも。もちろん、さくら市から届く郵便はさらに嬉しいでしょうね。ちなみに、さくら市の人口は約4万人だそうです。今後、出会いがあるのかなぁ。

栃木県さくら市

さくら市の「桜」開花情報

追記2:2006年4月14日(金)

京都・伏見の醍醐寺といえば、豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」の舞台として有名ですが、その醍醐寺で話題になっているのが、しだれ桜「土牛(とぎゅう)の桜」のクローン桜です。

醍醐寺・しだれ桜「土牛の桜」

「土牛の桜」は推定樹齢が150歳に達していて衰えが見られることから、クローン技術で「土牛の桜」を増殖させ、そのクローン桜は昨春初めて、わずかながら花を咲かせたそうです。そして今年、クローン桜は昨春に比べてたくさんの花を咲かせたそうで、先日ニュース番組でたまたま目にしたのですが、その姿は若木ながら確かに血筋を感じさせる(というかクローンなんですね)美しく立派なものでした。今から100年後、このクローン桜は人々の目を楽しませているのでしょうか。クローン技術は、このような場面にも用いられているんですね。

話の筋から逸れますが、昨年大きな話題となった「ど根性大根の大ちゃん」、その強靭な生命力で、もし子孫が無事成長していけば、いつの日かブランドになるかもしれないですね。

バイオ技術で増殖した『土牛の桜』のクローン桜(住友林業)

・『がんばれ大ちゃん』 みやざきあゆみ 2006.3 恒星出版

追記3:2006年4月14日(金)

「桜の開花をあらわすのに『○分咲き』という表現があるが、『○割』と言うのが適切ではないか」

との問い合わせがNHK放送文化研究所にあったそうです。そう言われると、確かに当たり前のように使っている『○分咲き』という表現は、なぜ『○割咲き』ではないのかという疑問が湧いてきました。詳しくは下の記事を参照ください。

○割○分○厘と聞くと、頭の中にはプロ野球のことが浮かんできますが、それはさておき『○分咲き』という表現だけでなく、咲き始めの頃に、『一厘咲き』という表現を耳にしたことがありませんか?うんと思ったあなたは、私のお仲間です。これって『一厘』じゃなくて、『一輪』なんですね。えっ?そんな間違いしないって?すいませんでした(汗)

サクラサク - ことばウラ・オモテ(NHK放送文化研究所)

◎関連リンク◎

カラー版 「桜と日本人」ノート(文芸社)

ニッポンの桜だより(今日のニッポン)

北海道松前郡松前町

「さくら」を冠する歌(Yahoo!ミュージック)

『心に残る桜ソングNO.1は!?』(ORICON STYLE)

名前ランキング2005(明治安田生命)

新書マップ 桜と花見

・『百分の一科事典・サクラ』 スタジオ・ニッポニカ 1998.4 小学館(小学館文庫)

・『桜が創った「日本」』 佐藤俊樹 2005.2 岩波書店(岩波新書)

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