カテゴリー「歴史」の3件の記事

2010年5月 9日 (日)

土佐をゆくぜよ

私はこれまで日本史において、主に戦国時代に興味を抱き続けてきて、幕末期にはほとんど目を向けることがなかったのですが、2010年、NHK大河ドラマ「龍馬伝」にすっかりはまってしまい、ようやく遅まきながら日本史における幕末期の面白さに目覚め、関連書籍を買っては読み、少しずつ理解を深めていたのですが、ふと思ってしまったのです。

そうだ、高知へ行こう!

かくして数年ぶりに旅の予定を立てて、5月の連休中、土佐めぐりへと旅立ったのでした。

新幹線で岡山まで出て、特急南風に乗りかえ、いざ高知へ。

岡山から高知までは思いのほか時間がかかりましたが、その道中、瀬戸大橋を通過したり、大歩危・小歩危の雄大な景色を眺めることが出来たりと、飽きることなくずっと窓の外を見て過ごしました。

岡山駅で買った駅弁を食べ終え、高知はもうすぐだ~。

JR高知駅に到着。なんとも開放感のある駅舎です。駅のホームからは、駅前で開催中の「土佐・龍馬であい博」の会場を見渡すことが出来ました。

高知駅では、香美市にアンパンマンミュージアムがある高知県ならでは、アンパンマンの大きなぬいぐるみがお出迎え。ちょうど子どもの日の前だったので、ドキンちゃんのモニュメントの近くには鯉のぼりが飾られていました。

高知駅周辺を散策していて気になったのですが、駅周辺の信号機だけが青く塗られていたのは何故なのでしょうか?高知市内の他の信号機は普通の色(灰色)だったので、気になりました。

駅前の高知・龍馬ろまん社中は大賑わい。連休中ということもあって、入口には長い行列が。10分ほど並んで、中に入ることが出来ました。「龍馬伝」で使われた衣装などが展示されていました。

ろまん社中に併設された高知観光情報発信館「とさてらす」には、珊瑚で出来た龍馬像が展示されていて、すごいインパクトがありました。

市内を行き交う路面電車(土佐電気鉄道、通称・土電)は、どの車両もカラフルでした。

で、まずは徒歩で市内を巡ってみることに。自由に歩いて、土地勘を掴むのが自分の流儀なのです。(ただし、この後暑さでバテることに…)

歩道橋から見た高知駅前。

高知名物のぼうしパンを、駅前のコンビニ「スリーエフ」にて購入。一緒に買った、爆弾おにぎりも美味しかったです。

事前に高知の美味しいものを調べていて見つけたのが、「おむすび・たけざき・玉子焼」の名物・玉子焼。イオンモール高知に足をのばし、玉子焼を一本購入。昼食に出来たてを頂きました。素朴ながら王道の味、美味しかった~♪

イオンモール高知内の本屋さんで、高知ならではの本はないかな~と思って見て回っていると、高知コーナーに何やらいいものが。

おぉ、これは土佐弁の本じゃ!これで土佐弁をつかむき。

休日とあって、イオンモール高知はたくさんの人で賑わっていたのですが、ふと聞こえてきた会話の中に、「~き」「~しゆう」といった独特の言葉遣いが混じっていて、あぁここは高知なんやな~と実感して嬉しくなりました。その土地の言葉というものは、やっぱりいいですね。

長距離の移動と、季節外れの炎天下での散策に体力を消耗したため、初日は早めに就寝。高知に来たのにまだ鰹も食べてないよ~、明日こそは絶対に食べるぞ~。

はい、ここから2日目です。早朝の涼しいうちに移動開始。

まずは山内神社へ。立派な大木があり、さすがの風格。

これは近くを流れる鏡川。

鏡川沿いから歩くこと数分、おぉ、あった~、龍馬郵便局。まだ朝早かったので、他の観光客は来ておらず、ゆっくり見ることが出来ました。

ポストの上にも龍馬さんが。

龍馬郵便局のすぐそばには、龍馬の生まれたまち記念館がありました。

坂本龍馬誕生の地。

散策していてふと公園で発見した、くじら~。

朝の散策を終え、さてさて、いよいよ旅の主眼であった桂浜へ。

高知駅から桂浜行きのバスに乗りました。

ところで、バスの旅は楽しいですね♪自分は電車よりもバス派なんだと自覚しました。

桂浜はさすがにすごい人出でした。龍馬ブームによる道路の混雑を回避するため、今年のGW中は一般車両は桂浜に通じる道が通行止めになっており、代わりにシャトルバスが運行しています。

おぉ、これが有名な桂浜の龍馬像か~。まずは銅像の裏側をじっくりと。なかなか裏側はガイドブックにも載ってないので。

う~む、堂々たる素晴らしい立ち姿に唸りました。

とっても暑かったので、名物あいすくりんを頂くことに。優しくてどこか懐かしい味わいでした。

やった~、桂浜だ!ほんまに、ここまで来ちゃったんやな~と感慨にふけること数十分。数組の家族写真のカメラマン役を引き受けました。ここ土佐の地で、人様のお役に立てて良かったです。

それにしても、ほんまにどこまでも雄大な景色。これは心が広くなるはずと、なんだか納得。

桂浜をすっかり堪能し、もう一度龍馬像のもとへ。龍馬像と同じ視線を味わえる「龍馬に大接近」は大賑わい。桂浜に満足していたので、今回は大接近してきませんでした。

よし、次は坂本龍馬記念館へレッツゴー!

坂本龍馬記念館へ近づいていくと、館内への入場制限がかかり、入館を待つ人の長い行列が出来ていたのですが、今回を逃したら次は何年後になるかと考えた結果、並ぶことにしました。

待ち時間、龍馬に扮した記念館の方がずっと龍馬にまつわるクイズを出題してくれていたので楽しく、有意義な時間を過ごせて良かったです。

館内に、司馬遼太郎さんが銅像の龍馬さんに充てたメッセージが展示されていたのですが、これには感銘を受け、じっくりと見入ってしまいました。やはり並んででも入館したのは正解でした。

記念館の屋上から桂浜を眺める。

さて、ここからが大変でした。
(大変になった原因は自分にあるのですが…)

ちょっと観光ルートから外れたところへ行きたくて、先程バスで来た道を、海岸沿いに歩き出したのですが、行けども行けども目的地の目印も見えず、昼食も取らず出発してしまったのでお腹も減り…、暑さも身体にこたえてきて、あぁ軽率な行動をした…と嘆くことに。

歩くこと小一時間。やった~、ようやく看板を発見!

安心したので、近くにあったレストランで少し遅めの昼食をとることに。念願の鰹のたたきを頂きました。新鮮だったので、初めて塩で食べたのですが、香りが違いました、美味しかったな~。

昼食を終え、そこからさらに歩くこと数分。ようやく辿り着いたのは、若宮八幡宮。ここには県内でも屈指の像と言われている、長宗我部元親像があるのです。

いやはや、立ち姿が見事な長宗我部元親像を目の当たりにし、来て良かったと疲れも吹き飛びました。幕末の英雄が坂本龍馬であるとすれば、戦国時代にあって四国の雄と言えば、もちろん長宗我部元親。

私は以前から長宗我部元親が好きで、ここには是非来ようと思っていたのですが、龍馬中心の観光コースから外れていることもあって、人の姿はまばらで、少し寂しく思いました。

いつか大河ドラマで取り上げてほしい武将であり、その生涯は波乱に満ちており、描かれるとすれば非常に面白いと思います。今はその日を楽しみに待っています。

その右手は四国の地を我が手中に収めんとしています。

さて、これで目的を果たしたものの、かなり歩いてきたので今更桂浜には帰れず、どうしようかと、とりあえず高知駅の方向へ歩いてみることに。高知駅まではここから10キロ以上あるので、どこかでバス停を見つけようと、深く考えず、地図を片手に歩いていたのですが、やはり慣れない土地にあって、どこで道を間違えたのか、気づけばそこは高知の港の行き止まり。これはいかん、どうやって帰ろう。

行きつ戻りつすること、計数時間。足は棒になり、ほんまにもうあかんと思った時、ようやくバスの案内所に辿り着き、無事に高知駅まで帰ってこれました。さすがに適当に歩きだしたことは後悔しました。なにせ、途中いくつかバス停があったのですが、すごかったのが祝日・休日は運休、平日は午前に1本だけというバス停があり、これには一人、「少なすぎっ」とつっこみを入れました。

高知駅で買った、土佐小夏。みかんよりも皮は黄色く、甘くて美味しかったです。

夜は、美味しい食べ物が揃ったひろめ市場へ行きましたが満員御礼で座ることが出来ず、食べ物だけ仕入れて帰ってきて食べました。

いよいよ最終日、朝は駅前をぶらぶら。高知中央郵便局。

高知駅のロッカーに荷物を預け、高知城へといざ出陣!

か、か、階段、急!

あれっ、これってもしかして裏側ルートに来ちゃった?

苔むす、素晴らしい城の石垣。

高知城が見えてきた~、陽気にすでに汗ばんできています。

いよいよお城の中へ。ぼんやり写りこんでいるのは、隣にいた観光客の方です。

黒潮の波をかたどった欄間。このデザインはこの後、どこかで再登場しますよ。

ようやく最上階まで登ったど~。

ここから高知市内を一望できます。これは、どの方角だったっけかな?

しゃちほこ!

山内家、そして三菱の源流がここにありました。

エイヤーッ!私、一領具足と申します。

城の石段を降りる途中、外国から観光に来ていた家族とすれ違ったのですが、男の子がニンジャ、ニンジャと連呼していたのが微笑ましかったです。

高知城の入口に立つその背。これは一体誰でしょう?

我は板垣退助なり。

板垣死すとも自由は死せず。

太陽光フラーッシュ!(すいません、眩しかったです)

立派な石垣風の高知県立文学館。思いのほか面白くて、長居してしまいました。

山内容堂について、展示からその生涯を概観することが出来たのですが、えっ!?容堂は武市半平太のたった2歳上!「龍馬伝」だと数十歳離れていると思ってたので、これに一番驚かされました。

高知城の入口には、山内一豊の像がありました。以前、一豊の生涯も大河ドラマになってましたね。

やっぱり後ろからも。

すいません、ルートが逆だったもので、高知城の入口が出口。

高知城を出て、てくてく歩いていると、賑やかな人だかりが。行ってみると、中央公園で「こうち春花まつり」が開催されていました。時間があったので、よさこい鳴子踊りと高校の吹奏楽部の演奏にしばし聞き入りました。いや~良いタイミングで来れて良かったです。

市内をぶらぶら歩き、はりまや橋へ♪

高知駅に戻ってきました。高知は銅像もポスターもパネルも、龍馬だらけです。本当にみんな龍馬が好きで、郷土の誇りなのだと感じました。

駅にこんな置き物がありました。ブレ気味ですいません。

では最後に。職場に高知出身の同期がいるのですが、高知土産といえば「かんざし」ということを教えてもらっていたので、はりまや橋の近くにある、浜幸さんに立ち寄りました。

京都に帰ってから、紙袋のデザインに気づいて感動しました。

やっぱり思い切ってブームに乗って、高知に行ってきて良かったです。

以上、土佐(をゆくぜよ)日記でした。

なお、この記事はかなりの後出し記事です。あしからず。

◎関連リンク◎

大河ドラマ「龍馬伝」

土佐・龍馬であい博

土佐電気鐵道株式会社

イオンモール高知

ショップたけざき

Yahoo!辞書 - ぼうしパン

簡易土佐弁辞典

龍馬の生まれたまち記念館

高知県立坂本龍馬記念館

メッセージ~銅像還暦によせて~司馬遼太郎

高知県若宮八幡宮

ひろめ市場

高知城

高知県立文学館

高知県庁

高知新聞

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2009年10月 4日 (日)

77冊目 『ベルカ、吠えないのか?』

年を重ねるほど、時間が経つのが早く感じられる。

その理由の一つとして、驚いたり感動したりすることが少なくなっていくから、ということが挙げられているそうです。いろいろな経験をして、もはや驚かない、だから過ぎていく毎日に印象が残らず、あっという間に時間が経ったなぁと感じてしまうんですね。

その意味において、昨年ある一冊の本とのまさに驚くべき出会いがあり、今もその時の読書が強く心に残っています。秋の再読本第三弾として今回紹介するのは、

『ベルカ、吠えないのか?』 古川日出男 2008.5 文藝春秋(文春文庫)

ベルカ、吠えないのか?』 古川日出男 2008.5 文藝春秋(文春文庫)

という本です。装丁からして、一頭の黒い犬が力強く吠えていて、読者の心に強い印象が残ります。

名前のない島が、ゼロの時間の内側に漂いはじめる。そこは世界の終わる場所のようであり、また、世界がこれから生まれ落ちようとしている原初の場所のようでもある。激しい雨がしばしば降る。烈風はやまず、立ちこめる霧が消える気配はない。しかし、雑草は黄色い花を咲かせる。日本軍はイヌ用の糧食は、何週間かぶん、残した。豪雨のときは塹壕にこもり、イヌたちはその白い島にいる。霧の島にいる。(P24-25)

第二次世界大戦。かつては米国領キスカ島であり、日本軍によって鳴神島と和名が与えられ、そして今、名前を持たない島。そこにいる忘れられた四頭のイヌ。

北、正勇、勝、エクスプロージョン。

この四頭の軍用犬から物語、否、歴史が語られ始めます。誰によって?むろんイヌたちによって。

イヌたちは、人間によって翻弄され続けます。その命が果てるまで、否、その子孫たちの命が連綿と続いていく限り。

朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン戦争、東西冷戦。イヌたちは翻弄されながら、しかしその命をつなぎながら、歴史を紡ぎ続けていきます。時に生まれ落ちた世界と別れ、しかし地球上にいる限り、時間も場所も越えてまた出会うことになるイヌたち、否、もはや地球を飛び出したイヌもいる。

スプートニク二号には、気密室が設けられて、そこに生物が乗り組んだ。宇宙飛行を体験する地球ではじめての生命体。人間ではなかった。搭乗させられていたのは、一頭の雌犬だった。気密室にはのぞき窓が開けられていた。そして雌犬は、地球を見下ろしていた。(P131-132)

20世紀、戦争の世紀を疾走し続けたイヌたちの物語。

正直、初めて読んだ時、ここまでの読後感があることを予想できませんでした。今までに読んだことのないくらいエネルギーが充満し、危うくて、独特の語り口によってテンポよく走り続ける文体。そのすべてにやられ、圧倒されました。

昨年の初読の興奮から時間が経ち、今回再読しましたが、やはり相変わらずやられてしまいました。本当に面白かったです。

作者自身、「想像力の圧縮された爆弾」と本書を語っているだけに、読み手を選ぶ作品かもしれません。ダメならしょうがない、でもこの作品が強く心に残る読み手はまだまだたくさんいるはずです。未読の方がいらっしゃれば、是非この秋読んでみてください。お勧めの本です。

本書において、イヌたちは地球上のあらゆる地点を縦横無尽に駆け抜けていくのですが、「bookmarks=本の栞」のほんのしおりさんが、Google Mapsを使ってイヌたちの動き、系譜を追われているのがとても面白いアイデアだなと思いました。いやはや素晴らしいです。読書も本を読んで終わりではなく、そこから出発して、さらにそこにいろいろなものが付随したり、発展させていけるのが、本当の醍醐味といえますよね。

本書を読みながら、何度も頭の中に蘇ってきたあのテーマ曲。それはドラマ「鹿男あをによし」のエンディング曲として話題になったあの曲でした。(本書とは関係はありません、あしからず。)

鹿たちの疾走ではなく、こちらはイヌたちの疾走でしたが、あの力強さとリズミカルなテンポを聞くと、本書のほうを思い出しそうです。

まだ未読の作品がたくさんあるので、今後も古川さんの著作に注目していきたいと思います。

イヌよ、イヌよ、お前たちはどこにいる?

うぉん。

◎関連リンク◎

ベルカ、吠えないのか?(文藝春秋)

二十世紀をまるごと書いた 古川日出男 自著を語る(文藝春秋)

作家の読書道:第46回 古川日出男(WEB本の雑誌)

「メッタ斬り!版 第133回 芥川賞、直木賞選考会」文学賞メッタ斬り!(Excite)

『ベルカ、吠えないのか?』(八方美人な書評ページ)

・『聖家族』 古川日出男 2008.9 集英社

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古川 日出男 『ベルカ、吠えないのか?』(bookmarks=本の栞)

はっちの太鼓本 太鼓本だ~♪どどんがどんっ!

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2006年3月15日 (水)

7冊目 『歴史人口学で見た日本』

あの時代、日本列島にはどれくらいの数の人々が生活していたんだろうか。学校で歴史を学びながら、ふとそんなことを考えたことがありました。天下統一を目指した織田信長が生きたあの時代、どれくらいの人が彼と時代を共にしたんだろうか、日本が近代へと歩みを進めた明治維新の頃、どれくらいの人が時代の転換期を生きたのだろうかと。そんな私の疑問に一筋の光を射し込んでくれた本。それが今回紹介する、

『歴史人口学で見た日本』 速水融 2001.10 文藝春秋(文春新書)

歴史人口学で見た日本』 速水融 2001.10 文藝春秋(文春新書)

です。歴史人口学という学問について、この本と出会うまでは名前すら聞いたこともなく、何も知らない状態でしたが、一読してみて、非常に興味深く、また面白い学問であるという印象を持ちました。

歴史人口学の歴史はおよそ半世紀と、学問としてはまだ新しく、フランスのルイ・アンリによって確立された学問だということでした。歴史人口学は、その名の通り過去の人口について明らかにすることが目的で、近代国勢調査以前の不完全なデータを基礎として、人口学の手法を用いてそれらを分析する学問です。日本では1920年に初の国勢調査が実施されているので、歴史人口学が光を当てるのはそれ以前ということになります。

さて、それでは近代国勢調査以前の不完全なデータとは一体どんなものなのか。それが各国によって大きく違っているのです。歴史人口学発祥の国フランスでは、「教区簿冊」の分析が行われました。「教区簿冊」とは教会に備え付けられている記録簿で、そこには洗礼を受けたとき、結婚したとき、墓地に埋葬されたときの3つが個人ごとに記録されています。ルイ・アンリは、「教区簿冊」を用いて、個々人が生まれてから死ぬまでをずっと追いかけていくことを基本として、それを何十、何百、何千と集めていきました。すると、当時の人々が平均いくつで結婚し、何人子どもを生み、どれくらい生きたかということが浮かび上がってきたわけです。このような方法で当時の人口に関する指標が得られるようになったことが、歴史人口学が学問として歩みだしたその始まりでした。

では日本はというと、「宗門改帳」が注目されました。「宗門改帳」は江戸時代の初期に記録され始め、それは一神教であるキリスト教が広まるのを良しとしなかった幕府が、一人ひとりについて、キリスト教徒ではなく仏教徒であることを寺に証明させ、判をついて提出させたものでした。日本における歴史人口学の先駆者となった著者は、この「宗門改帳」に注目し、その研究・分析を行なってきました。著者は、その研究・分析によって、江戸時代初期の人口は1200万人程度で、その後17世紀中に人口爆発が起こり、享保期(1716~1736)には3000万人程度であったとしています。

私ははじめ、歴史人口学というものに対して、その時代にどれくらいの人がいたかが分かる程度ではないかという先入観を、その冠した名前から勝手に持ってしまっていましたが、この本を読み進めていくうちに、実際にはそれだけではなく、歴史の中に埋もれてしまっていた固有名を持つ人々の生涯を追っていくことで、ミクロな視点による歴史、すなわち、その時代を生きた一人ひとりの実像を浮かび上がらせ、その一人ひとりの生涯が何十人、何百人、何千人と重なっていくことで、トップダウンの歴史とは違った、ボトムアップの歴史が見えてくる、すごい可能性を秘めた面白い学問であるという認識に至りました。

江戸時代に起こった世帯規模縮小の理由とは、そして日本人の代名詞とも言える「勤勉」の源流?「勤勉革命」が起こった当時の社会背景とは。これまでの歴史観に、こうした歴史人口学の視点を持ち合わせることで、より多角的な深みを増した歴史に出会えると思います。

ところで話は少しそれますが、「過去」はその字が示すように、すでに過ぎ去ってしまったものごとのことですよね。しかしその、確かにあった「過去」は時間とともに人々の記憶から失われ、その存在を証明しうる物証もやがて失われていきます。そして「現在」。失われてしまった「過去」は、人々にとって好奇心をそそられるロマンの宝庫となっています。人類の進歩、また技術革新によって「新」発見されるのは「過去」。それも「最古の○○」と言われれば不思議と人々の関心は高まります。

「未来」に、今はまだ顔を見せていない「過去」が新発見されるというのは、なんとも面白いことだなと思います。

◎関連リンク◎

歴史人口学で見た日本(文藝春秋)

歴史人口学(Wikipedia)

ユーラシア人口・家族史プロジェクト

歴史人口学を学ぶ

人口問題(新書マップ)

速水融『歴史人口学で見た日本』(井出草平の研究ノート)

・『大正デモグラフィ 歴史人口学でみた狭間の時代』 速水融 小嶋美代子 2004.1 文藝春秋(文春新書)

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