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2006年3月27日 (月)

8冊目 『公共トイレ学宣言』

私たち人間は、様々な物事に興味を持ち、関心を示す。そう言ったときに、ほとんどの人はその事を否定しないと思います。しかし、その興味・関心の対象となっているものに目を向けてみると、無限に広がりを見せるこの世界の中で、実はごくわずかな領域にしかこれまで目を向けてこなかった、もしくはあまりにも身近すぎてこれまで考えることがなかった、そういったものの存在に気づく人も多いのではないでしょうか。私にとって、身近すぎてこれまで考えることがなかったもの、その一つがトイレでした。なぜトイレに関心を向けるようになったのかについては後述するとして、今回紹介するのは、

『公共トイレ学宣言』 木村元保 1994.6 経済調査会

公共トイレ学宣言』 木村元保 1994.6 経済調査会

です。まず目次から紹介すると、

はじめに (西岡秀雄)

第1章 公共トイレ学序論 (木村元保)

第2章 トイレ研究開発物語 (木村元保)

第3章 トイレ民俗学 (岩淵聡文)

第4章 トイレ形態学 (光藤俊夫)

第5章 トイレ機能学 (小渡佳代子)

第6章 トイレ心理学 (永田良昭)

第7章 トイレ教育学 (安東利夫)

第8章 医療活動とトイレ (山下香枝子・大竹政子・藤村龍子)

鼎談 進化するトイレ (川原ゆり・羽田徹・木村元保)

平成トイレ学のすすめ (西岡秀雄)

となっており、トイレに関して様々な学問・視点からアプローチされていることが分かります。

さて、トイレと一口に言っても、家のトイレと外出先でのトイレが全く違うものであることは、多くの人が体験的に知っていることだと思います。家のトイレが特定の人間(主にその家の家族)に使用されるのに対して、駅、公園等にあるトイレは、不特定多数の人に使用されています。そのことから、同じ人物にも関わらず、使用時の動作やマナーが違っているということが、意識的もしくは無意識的に行なわれていることも珍しいことではないと思います。

駅や公園のトイレに対して悪い印象を持ってしまう原因としてよく言われるのは、汚い・暗い・危険・窮屈・壊れているといった、頭文字にKをもつこれらの状態です。ではなぜそのような状態になってしまうのか。このことについて、長年トイレ修理・整備の現場で働いてきた木村元保氏は、

本来、トイレの理想的なあり方は、常に清潔と安全が保たれていることである。この二つが保たれているとき、人は快適性を感じ、そのトイレを快適だと認識する。その快適性を保つのは、使う人だけが注意すれば済むような問題ではない。トイレ周辺の仕掛けや働きに対する問題点をよく洗い直さなくてはならないのだ。つまり使う人、造る人、そして管理する人すべてにとって、快適性の保たれるトイレを考察することである。すなわち、トイレのたたずまいを構成する要素として、人間が「使う・造る・管理」する点を切り離しては考えられないのだ。

と述べています。つまり、トイレは使う人によってのみ、その快適性を左右されるのではなく、造る人・管理する人を合わせた三者によって成り立っているのだから、その三者ともが快適性を感じるトイレが今後追求されなくてはならないということです。このことは、非常に画期的かつ現場発で重みのある、これからのトイレを考える上で非常に示唆的かつ出発点となる提言ではないかと思いました。

この本を読んで、トイレに関するいろいろなことが見えてきました。日本において洋風便器が増えてきたのは、生活様式の洋風化もさることながら、その施工・管理の容易さも一因であるとのことでした。和風便器は埋め込み式なので、破損した場合の取替えが非常に大変で、その点洋風便器は施工も管理も容易であるそうです。この「造る人」にとっての和風・洋風便器の違いについての認識は初耳だったため、非常に驚きました。

また、「使う人」については、スーパーやデパートなどで和風・洋風の両方があった場合、その使用頻度は2~5倍の差で和風利用者が多いとの事です。その理由として、使用に際して肌を触れなくてすむという、その非常に強力な一点が和風利用につながっているという興味深い考察もなされていました。このことは、現代日本人の清潔志向・潔癖志向を端的に示す事実であると思います。

木村元保氏は、第2章で節水革命と題する文章を綴られており、その中で、多くの人のトイレ利用時の傾向を分析し、それを基に水量を調節し、周辺設備を見直したことによって、ものすごい量の節水に成功した、過去の自身の事例について述べられています。

先日、「モッタイナイ」という言葉とその思想を世界中に紹介しているワンガリ・マータイさんがテレビに出演されていて、その時に、日本では当たり前であるトイレの大・小のレバーは、他の国にはない素晴らしい節約の術であるということをおっしゃっていました。このことにも驚きましたが、トイレは多くの水を利用するので、環境問題を考える上で、その水の節約や利用方法を考えていくことは非常に大きなことであると改めて思いました。

ところで、なぜ私がトイレに関心を持つようになったかというと、数年前に新聞で、学校のトイレをきれいに整備することで、子どもが学校のトイレを利用するようになった、という記事を見つけたことがきっかけでした。記事の内容を大まかに説明すると、学校のトイレを利用すると、からかわれたり嫌なあだ名をつけられたりするために、利用するのを我慢している子どもが非常に多く、何とかその状況を変えようと、学校のトイレを改修して、利用するのが楽しくなる、使いやすくなる、安心できる空間になるようにした結果、子どもたちがトイレを利用するようになったということでした。上級生に近づくにつれて、学校のトイレを利用しなくなるということが書かれていましたが、このことは私たちにとって、非常に大きな課題を突きつけていると思います。

つまり、トイレ=恥ずかしい、人に知られたくないという考え方についてです。確かに私もそういう気持ちは少なからず持っていますし、今回トイレに関する本を紹介している時点で、何らかの違和感や嫌悪感さえ感じている人もいるかもしれません。しかし人間にとって排泄行為は、生命活動の中でも非常に重要なものです。恥ずかしさを感じることと、その結果トイレの使用を躊躇してしまうことは、全く別のことではないかと思います。

実はこの本の中に、トイレ教育学という興味深い論考が載っていました。幼児期からその成長段階にあわせて、どのようにトイレの使い方を教えるか、そして小中高段階においては、トイレを教育活動の中にどう位置づけていくかということです。言うまでもなく、学校のトイレはみんなで使用する公共のものであり、子どもたちが成長し、社会に出たときに、公共の施設をどのように利用するか、そしてそこでどのような役割を果たすかということの土台となる、大切な機会と場所を提供してくれる空間ではないかと考えています。

ここ数年、学校教育の中で「食育」を重要視し、推進する動きがありました。これは、子どもたちの食環境の改善と充実を狙ったものです。だとしたら、食と表裏一体を成しているともいえる、トイレに関する教育も充実させていく必要があるのではないかと私は思っています。もちろん、食もトイレも家庭における充実が第一義だと認識した上での話ですが。本書では、鳥取県倉吉市における「トイレからの町づくり」について少し取り上げられていました。市内の学校ではトイレ教育にも力が注がれていたそうで、是非そのことについて詳しく知りたいと思いました。

時代の移り変わりとともに、トイレに対する人々のニーズは多様化してきています。「公衆便所から公共トイレへ」「便所からいこいの場へ」の言葉に集約されているものは、単に排泄を目的とする時代から、快適さを求め、トイレの利用以外にもオムツの交換や、授乳、また休憩したりと、人々の安らぎ空間として、公共トイレの場が求められる時代になってきたということに他なりません。

公共トイレに、まだまだ課題は残されています。プライバシーを守るために入り口を見せなくし、密室空間を作り出すことは、時に犯罪を助長するという思わぬ結果を引き起こすことも考えられます。公共トイレにおけるプライバシーの確保と安全の両立は、学校における門扉の施錠による安全と地域コミュニティの両立という、いかに両方を成り立たせるかということの難しさと共通している部分があると思います。

トイレの奥深さを知ることとなった1冊でした。

◎関連リンク◎

日本トイレ協会

アクトウェア研究所

(株)木村技研

みんなで作ろう学校トイレ

水まわり事例紹介 学校(TOTO COM-ET)

神奈川県茅ヶ崎市立松林小学校(TOTO COM-ET)

みんなできもちよく使えるトイレに(学びの場.com)

学校トイレ先進都市サミット世田谷宣言

排泄にまつわるお話

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