カテゴリー「3.はっちの太鼓本」の23件の記事

2015年1月20日 (火)

93冊目 『聲の形』

元気が出てきたので、久々に書評記事を書きたいと思います。

今回私が紹介するのは、

『聲の形』 大今良時 2013.11 講談社(講談社コミックス マガジン)

聲の形』 大今良時 2013.11 講談社(講談社コミックス マガジン)

という本です。『こえのかたち』と読みます。全7巻で、昨年12月に7巻が発売されて、完結したところです。

物語は、小学6年生の石田将也のクラスに、西宮硝子が転校してきたことから動き始めます。硝子は聴覚障害者でした。

日々、退屈なことを嫌い、仲間とつるんで元気が有り余っていた将也は、硝子に目をつけます。今まで関わったことのないタイプの硝子をからかい始めたのです。いや、将也本人にはからかいの自覚は無かったかもしれません。

しかし、将也の行為は次第にエスカレートしていき、硝子は共に卒業することなく、また転校を余儀なくされます。硝子が転校した後、今度は将也が仲間から「外され」、中学、高校と誰とも関わろうとせず、一人生きていました。

将也は決心します。6年生の時に離れて以来の硝子に会おうと。会って、命を捨てようと…。

1巻は読んでいて辛くなる展開です。感情移入したくなる人物がいない、子どもも親も先生も…。子ども時代のいじめは残酷です。ここまでやるか、誰も止めないのかと、読んでいて腹が立ってきます。

しかし、全7巻を読んだ今言えるのは、これほど人間の気持ちを揺さぶる、考えさせられる漫画は久しぶりだなと。

自らの過ちに気が付いたとき、人にはそれぞれの選択があります。忘れてしまうことも、気がつかなかったことにしてしまうことも出来る。しかし、将也の選んだ道は、二度と取り戻せない、あの小学生の日々と、そして自分が傷つけた硝子と、正面から対峙することだったのです。

いじめも聴覚障害も、両方とも重いテーマではあります。が、『聲の形』はそれを訴えたいのだけではないと感じました。もう取り戻せない過去とどう向き合うのかという人間としての選択、人生における時間の使い方、責任の取り方。。。

読み手は、『聲の形』の世界に入る中で、きっと自分自身をもえぐられると思います。だからこの作品を読まないという選択も出来ます。しかし、私は、この作品を多くの人に読んでほしいと思いました。

加害者と被害者、しかしそれは本当にそうなのか。簡単に分けてしまうことで見えなくなることがあるのではないか。人にはそれぞれ生きていくうえで、どうしようもないことがあります。だからこそ、人の声に耳を傾けることが必要ではないか。時には声なき声に。。。

『聲の形』に出会えたことに感謝します。

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聲の形(マガメガ MAGAMEGA)

聲の形(1) [作]大今良時(BOOK asahi.com)

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2010年1月23日 (土)

92冊目 『セント・メリーのリボン』

読書の醍醐味とは、もちろん人それぞれではありますが、私にとってそれは、無数にある書籍の中から、何らかの縁でその本を手にし、それが自分の読書人生の中でかけがえのない一冊になるであろうという予感がし始めた時の、読書中の幸福感であると言えます。

そんな本との出会いがきっとこれからの人生の中でまだまだあると思うと、自分が読むまで待っていてねという気持ちになり、その本を知るきっかけ、出会うきっかけを求めて、今日も本へのアンテナを張り巡らせているところです。

その本は、自分が生まれる前に書かれているかもしれないし、今現在まだ誰にも書かれていない、将来生まれる作品かもしれません。

他の誰かが何と言おうと、自分が素敵な本と巡り合ったと思えた作品は、やはり誰かに伝えたいと思うものです。ただ、なんだか力んでしまって、スッと記事を書いて紹介することが出来ず、いつの間にかタイミングを逃すということが、もう何度あったかなと思います。

巧いこと紹介しようという見栄を捨てて、素直に紹介できれば、もっとそんな本を紹介していけるかなと自分でも思っており、それがこのブログの課題でもあります。

さて、今回私が紹介するのは、

『セント・メリーのリボン』 稲見一良 2006.3 光文社(光文社文庫)

セント・メリーのリボン』 稲見一良 2006.3 光文社(光文社文庫)

という本です。私はこの作品を手にするまで、この作者の名前を聞いたことがありませんでした。

「いなみ いつら」さんと読みます。そして、残念ながらすでに他界されている稲見さんの作品に巡り合えたことを、読書中に感謝しながら読みました。冒頭で書いたとおり、稲見さんの作品が自分にとってかけがえのないものになる予感がしたからです。

本作は「傑作小説集」と銘打たれ、目次を見ると、

焚火

花見川の要塞

麦畑のミッション

終着駅

セント・メリーのリボン

あとがき

となっており、表題作を含む、5つの中短編で構成されています。

あとがきの中で、著者は、

〝男の贈りもの〟を共通する主題とした。
誇り高き男の、含羞をこめた有形、無形の贈りもの――というテーマでは、今後とも書きたいと思っている。(P239)

と述べられています。

私は頁を捲りながら、その作品の情景があまりにもはっきりと頭の中に浮かんでくることにまず驚きました。登場する人物が「生きている」ためには、当然その「世界」が生きていることが必要とされます。その点、著者が描きだす「世界」は、フィクションではない、本物の時間が流れている「世界」を映し出していると信じるに足りるほど、豊かな情景が広がっていたのです。

そんな作品の情景を生きる登場人物たちも、みな「生きて」いて、彼らがそれぞれの人間関係を紡いでいく様は、どれもが地に足のついた深い人間ドラマとなって、読者である私の心に確かなインパクトを伴って、刻みつけられていきました。

表題作である、「セント・メリーのリボン」は、猟犬専門の探偵業を生業とする、竜門卓の物語です。相続した広大な山林の中に探偵舎を構え、その土地を狙う輩に怯むことなく、自分の生き方を貫く竜門。そんな彼のもとには、いなくなってしまった犬の捜索依頼が舞い込んできます。ある仕事の縁から、盲導犬を探すことになった竜門は、なんとかその足跡を辿っていくのですが…。

勧善懲悪ではない人間ドラマ、罪を憎んで、その人間をも救おうとしてしまう優しさ。これは、稲見さんが描きだす人間に共通することかもしれませんが、器用ではないけれど、確かな自分があって、人とは違っていても自分の生き様に誇りを持ち、心の奥底に優しさを秘めている男たちの物語。

以前読んだ時には気がつかなかった、それぞれの作品の良さにも、再読したことで新たな魅力を感じました。本当にまだまだこれから作品を書いていかれるというところで、亡くなられたということが残念でなりません。残された作品の数々を今後もじっくりと味わっていきたいと思います。

この作品と著者を知るきっかけとなったのは、数年前に読んだ、
『活字の砂漠で溺れたい』さんの記事でした。本当に素敵な出会いとなったので、私もこの作品と、著者の稲見さんの魅力をまだ知らない人に、少しでも知ってもらえたらなと思います。

最後に、再読して、思わず唸った文章の一節を。

木立ちが疎らになって、林が明かるくなった。林の向うに平地が見えた。おれは足を止めた。そのとたん、足元から群鳥がとび出した。鋭い羽音が、おれの心臓を掴んだ。二つ、三つ、四つと鳥は次々と放射状に飛び、藪に消えた。落葉の精のような、コジュケイだった。拡げた短い翼に日が当った瞬間、羽毛の中の銀と朱の色がきらめいた。
落葉を焚くあの強烈な匂いに近づいていた。(P14「焚火」)

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セント・メリーのリボン(光文社)

春のドラマスペシャル 猟犬探偵・竜門卓 セント・メリーのリボン(テレビドラマデータベース)

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優しく枯れていきたい(活字の砂漠で溺れたい)

忘れられた本のために(活字の砂漠で溺れたい)

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2009年11月30日 (月)

86冊目 『闇の守り人』

すぐそこに、今年も師走がやってきました。どうしても何かと急いてしまう日常にあって、ふと心を立ち止まらせることができる読書の時間をとれるよう、心がけたいなと思います。

さて、先日、上橋菜穂子さんの『精霊の守り人』を紹介しましたが、未読の方は本当にお勧めなので是非読んでほしいなと思います。もう読まれた方は、今回も一緒にバルサの旅を追っていくことにしましょう。今回私が紹介するのは、

『闇の守り人』 上橋菜穂子 2007.7 新潮社(新潮文庫)

闇の守り人』 上橋菜穂子 2007.7 新潮社(新潮文庫)

という本です。『守り人・旅人シリーズ』の第二作目の作品です。

目次を紹介すると、

序章 闇の中へ

第一章 闇の底に眠っていたもの

第二章 動きだした闇

第三章 <山の王>の民

第四章 <ルイシャ贈りの儀式>

終章 闇の彼方

となっています。

『精霊の守り人』はバルサの長い旅路の序章、チャグムとの出会い、そして私たち読み手との出会いの物語でもありました。前作で少しだけ語られたバルサの壮絶な過去の一端。

用心棒として、否、家族のように思えるようになったチャグムを守り抜いたバルサは、生まれ故郷であるカンバル王国へと向かっていました。故郷を訪れるということ、それはバルサにとって、大変な覚悟を伴うものであったに違いありません。

バルサは、これまでずっと、故郷を忘れようとしてきた。バルサにとって、故郷は、ふれれば痛む古傷のようなものだったからだ。

身体についた傷は、時が経てば癒える。だが、心の底についた傷は、忘れようとすればするほど、深くなっていくものだ。それを癒す方法はただひとつ。――きちんと、その傷を見つめるしかない。(P19)

幼いバルサは、当時何も分からないまま、家族と引き離され、その後養父となる、父・カルナの親友であったジグロと共に、カンバル王国を脱出します。王国の暗い陰謀によって命の危険に晒されていたことを知る由もなかったバルサ。苛烈な運命の歯車はこの時動き出したまま、今もバルサの心に行き場のない怒りと苦しみを残し続けていたのです。

25年ぶりに戻ってきた故郷、カンバル王国では、真実は闇の中に葬られ、全く違う話が事実として人々に記憶されているようでした。友との約束を守りバルサを救ったジグロは、国を裏切った悪人に仕立て上げられ、かつては百年にひとりといわれるほどの天才的な短槍使いとしてその名を轟かせ、氏族の誇りとされた男であったはずが、今では氏族の恥として蔑まれ、氏族の名を貶めた者として恨みの対象にもなっていたのです。

国の状態はというと、もともと貧しい王国であるカンバルにとって、とてつもない富である宝石「ルイシャ」を得る機会である「ルイシャ贈りの儀式」も、もう何十年も訪れない状態が続いていました。

捻じ曲げられた真実と、訪れることのない「ルイシャ贈りの儀式」。そこへ25年ぶりに故郷の地を踏んだバルサの存在が、この国の人々を、そして過去と表裏一体である未来を動かしていくことになります。

いくらあらすじを書いたところで、この作品のすごさを百分の一も伝えられないであろうことがもどかしいですが、私が伝えたいのは、この作品を未読の人は本当に羨ましいなという素直な気持ちです。

もう一度白紙の心でこの物語と出会いたい。

物語はクライマックスに向けて、読み手の感情を揺さぶり続けます。自らの心の傷口から目を逸らすことなく、辛くても見つめようとしたバルサだったからこそ、その瞬間は訪れたのでしょう。

弔いの槍舞いの衝撃。

本当にバルサが必要とした人と、お互いが本心でぶつかり合った場面では、もはや涙が流れるのを止めることは出来ませんでした。作品としてはファンタジーの王道と言われるのかもしれませんが、決してこの物語は子どもだけのものではありません。むしろ、子どもの頃には分からなかったであろう、人が「生きて」いくうえで呑み込まねばならない複雑な気持ちや、受け入れるしかない不本意な運命といったものが、大人の読み手であるからこそ分かる部分もあると感じる作品です。

上橋さんは、あとがきでこう綴られています。

偕成社から出版されている軽装版の後書きにも書きましたが、『精霊の守り人』は、子どもたちに人気がある一方で、『闇の守り人』は大人から支持されているようです。これは、多分、『闇の守り人』は、バルサという大人が、過去と向きあう物語だからなのでしょう。

バルサは、なんらかの事件の渦中にある人を守る用心棒なので、もともとは事件の当事者ではありません。ですから、たとえ主人公として立っていても、どこか「傍らに居る」感じのする人です。

しかし、「守り人シリーズ」全十巻の中で、本書は唯一、バルサ自身が事件の核となる部分があり、それゆえ、彼女の葛藤が物語の中核を貫くことになりました。大人が『闇の守り人』を支持してくださる理由は、きっと、そこにあるのだろうと感じています。(P378-379)

昨年、その時の感想を記事には出来ませんでしたが、自分の中では2008年に読んだ作品の中で、一番心を動かされた、感動した作品です。さらにつけ加えると、感動だけにとどまらず、物語としての面白さもあり、一度読み始めると、どうしても先が読みたくなり、散りばめられた伏線と謎の真実を知りたくなり、思わず徹夜してしまったほどでした。

前作の『精霊の守り人』と合わせて、本当にお勧めの作品です。カンバルで古い傷と向き合ったバルサの旅は、ここから更に続いていきます。

「やってくれるだろう。わしはな、運命がバルサをこの地に呼んだのだと思っているんだ。バルサには、運命なんて言葉で、かるがるしくかたづけるな、とどなられたがな。だが、この世には、こんなことが――ふしぎな糸で、たぐりよせられるようなことが、ときおり起こるものだ。そうじゃないかね?」(P298)

◎関連リンク◎

上橋菜穂子『闇の守り人』(新潮社)

守り人&旅人 スペシャルページ(偕成社)

85冊目 『精霊の守り人』(2009年11月28日)

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2009年11月22日 (日)

83冊目 『ファイトじじいクラブ』

…二人の祖父に捧ぐ

過日、11月1日、母方の祖父が天寿を全うし、この世を去りました。

初孫だった私は、妹と共に幼いころからずいぶんと可愛がってもらい、今もたくさんの楽しかった思い出が心に残っています。奇しくも、『二十一世紀に生きる君たちへ』を贈ってくれた祖父を思いながら、感想記事を書いたのは先月末のことであり、その矢先の急な出来事で、正直なところかなり動揺しました。

ちょうど5年前に父方の祖父も他界しましたが、私にとって越えるのが大変だった10代の半ばから終わりにかけてを支えてくれた、二人の祖父には本当に感謝の思いでいっぱいです。

あの一番苦しかった時の家族の支えなくして、今の私の社会生活は到底考えられませんが、あの頃みんな健在であった、4人のおじいちゃんとおばあちゃんには、生きるということ、そのものを教わり、これからもそれを心の中に大切に抱いて生きていきたいと思います。

実は、祖父が亡くなる少し前に、私はある本を書店で見つけ、その内容に心を打たれて、ここで紹介しようと思っていたのですが、まさかこのような形になるとは思っていませんでした。

祖父がいなくなってしまった寂しさを感じながら、そしてずっと可愛がってもらったことに感謝の思いをこめて、今回私が紹介するのは、

『ファイトじじいクラブ』 山本健太郎 2009.9 エンターブレイン(BEAM COMIX)

ファイトじじいクラブ』 山本健太郎 2009.9 エンターブレイン(BEAM COMIX)

という本です。

祖父は読書家で、愛用していた単車で頻繁に図書館へ通っていて、家にもたくさんの蔵書がありました。今でも家族みんな、それぞれ趣味は違えど本が好きなことに変わりはありませんが、祖父は私が子どものときから、この本は読んだ方がいいと、たくさんの本を勧めてくれました。

私は以前は、読書したり本を買うということにそこまで力を入れていなかったのですが、働き出して、自分で賃金を得るようになってから、本を読むこと、本を買うことに拍車がかかり、今に到っています。

本を買って、中に目を通してから、『あっ、失敗したな…、とほほ』と思うことも時々ありますが、後悔をおそれていたらいい本と出会う機会を逃してしまうかもしれないと思い、本だけは惜しまず買うことにしています。

それで、この本を書店でぱっと見かけた時、作者も聞いたことがないし、宣伝も見たことがなかったのですが、タイトルと表紙の挿絵に何か感じるものがあり、期待半分で手にしたわけです。すいません、今回はかなり前書きが長くなってしまいましたが、いよいよ中身を紹介します。

目次を見ると、

ファイトじじいクラブ

空の下の人々

人になる

目堂君は幸せ

シショーカムバック

という5つの短編が収められており、表題作である「ファイトじじいクラブ」は100頁ほどの中編となっています。

小学校1年生のリュウ太君は毎晩不思議な夢を見ていました。夢の中では二人の祖父が本気で決闘していて、夢から覚めると両親に、今日は父方、母方どちらが勝ったと伝えるのです。

リュウ太君は、学校で上級生がケンカを売ってきても、祖父の決闘の姿を思い出し、怯むことなく挑みます。でも…まだ1年生、力でも体格でも劣るリュウ太くんは負けてしまうのですが、この夜も夢に二人の祖父が現れて、リュウ太くんを励まします。

なぜ毎晩夢の中で、祖父二人は決闘し、その姿をリュウ太君に見せているのか。そこには悲しい理由があったのです。

リュウ太君が生まれるのを楽しみにしていた二人の祖父は、その出生を感じ取りながら、時を同じくして亡くなってしまったのです。以来、夢の中で生き様を伝え、リュウ太君の成長を見守るために、決闘を繰り返していたのです。そんな祖父の思いをちゃんと受け止めて、リュウ太君は立派に成長していました。決して怯まずいろんなことに立ち向かうリュウ太くんでしたが、両親が離婚するという大きな出来事を前にして、ある決意をするのでした…。

思いがけず、素晴らしい作品に出会ったと思いました。リュウ太くんの健気さと祖父の思い、その両方に涙腺が緩んで、この作品がとても愛おしく感じました。

他の4つの短編について、表題作に比べると、画も若干洗練されていない部分を感じつつも、独特の世界観があって、どの作品も共通して「切なさ」を感じさせられるところが印象に残りました。

「空の下の人々」を読んで、井上陽水さんの『傘がない』を思い出しました。

著者の山本健太郎さんは、まだ他の作品を出されていませんが、これから注目していきたいなと思います。

そして私は、これからも本を読んでいきます。

父方 母方 ありがとう(P73)

追記1:2010年2月14日(日)

今月発売の、『ダ・ヴィンチ 2010年3月号』の中で、日本で初めてマンガ学部を設立した京都精華大学マンガ学部の特集記事があったのですが、卒業生として、山本健太郎さんが紹介されていました。

1982年京都生まれということで、年も近かったんですね~。厳密には、山本さんはマンガ学部の前身である、芸術学部マンガ学科を卒業されたようです。

ところで余談ですが、いつもなら発売日をしばらく過ぎても本屋さんに置いてある『ダ・ヴィンチ』が数日後には置いていなくて、少し大きい書店に探しに行ってきました。なるほど、今月は堺雅人さんの特集記事が巻頭で組まれていました。う~む、恐るべし。誰の特集記事を組むかで、販売部数も相当左右されるんだろうなと感じさせられた出来事でした。

◎関連リンク◎

ファイトじじいクラブ ビームコミックス(株式会社エンターブレイン)

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【オススメ】 山本健太郎/ファイトじじいクラブ(マンガ一巻読破)

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2009年10月11日 (日)

79冊目 『八朔の雪』

台風一過、爽やかな空気と秋の空。やっぱり1年の中でこの時期が一番好きです。

思索の秋。澄み渡る空気の中で、あれこれといろんなことを考えますが、それはひとまず置いておくとして、今回私が紹介する、いや是非とも紹介したいのは、秋の再読本第四弾、

『八朔の雪』 髙田郁 2009.5 角川春樹事務所(ハルキ文庫)

八朔の雪』 髙田郁 2009.5 角川春樹事務所(ハルキ文庫)

という本です。この本を知ったきっかけは、発売されてすぐに新聞に掲載された出版広告でした。

角川春樹さんが「十年に一冊の傑作」と激賞されている作品がどんなものかと興味が湧き、これまで時代小説にはなかなか手が出なかったのですが、一度読んでみようと仕事帰りに本屋さんで手に取り、通勤時に読んでみることにしました。

江戸・神田の御台所町に店を構える蕎麦屋「つる家」。大坂から出てきた澪(みお)の出した料理が客の怒りを買ってしまったところから作品は幕を開けます。

丸顔に、鈴を張ったような双眸。ちょいと上を向いた小さな丸い鼻。下がり気味の両の眉。どちらかと言えば緊迫感のない顔で、ともに暮らす芳からも「叱り甲斐のない子」と言われている。それなのに料理が絡むと、自分でも抑えようのない感情が生まれて、それが顔に出てしまうのだ。(P7)

店主の種市が作る蕎麦と酒目当ての客で繁盛している「つる家」。大坂と江戸の味の好みの違いになかなか慣れることが出来ない齢十八の澪に、種市は店で出す酒に合う一品を作ってほしいと頼むのですが…。

本書の目次を紹介すると、

狐のご祝儀―ぴりから鰹田麩

八朔の雪―ひんやり心太

初星―とろとろ茶碗蒸し

夜半の梅―ほっこり酒粕汁

巻末付録 澪の料理帖

となっていて、表題作を含む4つの中編の連作による作品です。

読み進めるうちに少しずつ澪の生い立ちが明らかになっていくのですが、幼くして天涯孤独の身となってしまった澪と、大坂でも名の知れた料理屋「天満一兆庵」の女将だった芳との親子のような結びつきの強さには、何度も胸にぐっとくるものがありました。

澪には確かに生まれ持った料理の才があります。しかし、それはいわゆる天才的というよりは、澪を取り巻く人々との強い結びつきや思いやり・情の深さ、そして叱咤激励してくれる人々の存在によって開花しているものなのだなと感じました。

感情の波が去って、澪が鼻を啜りながら顔を上げると、種市の顔深くに刻まれた皺を涙が伝っていた。はっと息を飲んだ澪を見て、種市は初めて自分が泣いていることに気付いた。袖でぐいっと涙を拭うと、照れてみせる。

「人間、生きてりゃ泣きたくなるくらいのことはあらぁな。泣いて良い、泣いて良いのさ」(P54)

苦労し、試行錯誤を繰り返しながらも、徐々に、そして着実に江戸での評判を上げていく澪に対して、それを妨害しようとするものが現れます。自分の周りの大切な人たちが傷つく姿を目の当たりにして、自分の道を諦めてしまおうと考えた澪に、思いがけない人物からの「思い」が伝えられます。

幼い日、澪は易者に「雲外蒼天」の相だと言われたことがありました。

「頭上に雲が垂れこめて真っ暗に見える。けんど、それを抜けたところには青い空が広がっている――。可哀そうやがお前はんの人生には苦労が絶えんやろ。これから先、艱難辛苦が降り注ぐ。その運命は避けられん」

「けんど、その苦労に耐えて精進を重ねれば、必ずや真っ青な空を望むことが出来る。他の誰も拝めんほど澄んだ綺麗な空を。ええか、よう覚えときや」(P98)

澪の行く手には、辛いこと、苦しいことが次々に起こります。しかし、澪は一人ではありません。父親のように深い思いやりのある種市、母親のようにいつも見守ってくれている芳、澪を励ましてくれる医師の源斉先生、そして澪の作る料理に時に厳しい、しかし的を射た助言をくれる侍・小松原の存在。

困難を前にしてお互いを頼りにし、たとえ心が折れてしまいそうになっても、それでも立ち向かっていく中で成長していく澪と、澪を取り巻く人々の絆や情の厚さに、何度も涙腺が緩みました。澪だけでなく、種市や芳もこれまで生きてきた中で辛いことを抱えてきており、それだけに澪の作る料理が人々を幸せにしてほしいと切に祈りたくなります。

私は時代小説にこれまで馴染みがなかったのですが、本書はとても読みやすく、情に満ちているけれどもくどくなく、その上出てくる澪の作る料理がものすごく美味しそうで、読んでいると作中の客同様、思わず生唾を飲み込んだという、本当に素敵な作品でした。

ここで朗報ですが、『八朔の雪』に続く、第二弾『花散らしの雨』が近日発売されます。

本書では明らかにならなかった、小松原が一体何者なのかということや、「天満一兆庵」再建への道筋がどうなるのか、そしてあの「太夫」との関係は、など気になることがいっぱいです。

何より澪の創作した新たな料理が、文章で味わえるのが本当に楽しみです。続編をここまで期待した作品は自分にとっては久々のような気がします。

今回再読したことで、続編を読む体制はバッチリです。自分の読みたい本の傾向は自分もある程度偏っているし、人それぞれだと思いますが、本書はこれまで時代物に馴染みのなかった読者にとっても手に取りやすい本だと思います。

澪の下がり眉も味わい深く見える素敵な装画をされているのは、多くの作品で活躍されている卯月みゆきさんです。

ちなみに、『八朔の雪』を読んだ後、あまりの読後感の良さに、著者の別の作品も読んだところ、それもすごく良かったために、髙田郁さんはすごい!と私は一躍ファンになってしまいました。髙田さんの今後のご活躍に期待しております。もっともっと作品を読んでみたいです。

頭上には今年最後の青空が広がっている。真澄の空だ。

雲外蒼天。

忘れへん。生きてる限り、絶対に忘れへん。(P251)

◎関連リンク◎

八朔の雪 みをつくし料理帖(角川春樹事務所)

『八朔の雪 みをつくし料理帖』髙田郁 立ち読み(e-hon)

版画家・イラストレーター 卯月みゆき webサイト

vol.2「八朔の雪ーみをつくし料理帖」髙田 郁(L4BOOKS)

・『花散らしの雨 みをつくり料理帖』 髙田郁 2009.10 角川春樹事務所(ハルキ文庫)

81冊目 『花散らしの雨』(2009年10月21日)

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2009年10月 4日 (日)

77冊目 『ベルカ、吠えないのか?』

年を重ねるほど、時間が経つのが早く感じられる。

その理由の一つとして、驚いたり感動したりすることが少なくなっていくから、ということが挙げられているそうです。いろいろな経験をして、もはや驚かない、だから過ぎていく毎日に印象が残らず、あっという間に時間が経ったなぁと感じてしまうんですね。

その意味において、昨年ある一冊の本とのまさに驚くべき出会いがあり、今もその時の読書が強く心に残っています。秋の再読本第三弾として今回紹介するのは、

『ベルカ、吠えないのか?』 古川日出男 2008.5 文藝春秋(文春文庫)

ベルカ、吠えないのか?』 古川日出男 2008.5 文藝春秋(文春文庫)

という本です。装丁からして、一頭の黒い犬が力強く吠えていて、読者の心に強い印象が残ります。

名前のない島が、ゼロの時間の内側に漂いはじめる。そこは世界の終わる場所のようであり、また、世界がこれから生まれ落ちようとしている原初の場所のようでもある。激しい雨がしばしば降る。烈風はやまず、立ちこめる霧が消える気配はない。しかし、雑草は黄色い花を咲かせる。日本軍はイヌ用の糧食は、何週間かぶん、残した。豪雨のときは塹壕にこもり、イヌたちはその白い島にいる。霧の島にいる。(P24-25)

第二次世界大戦。かつては米国領キスカ島であり、日本軍によって鳴神島と和名が与えられ、そして今、名前を持たない島。そこにいる忘れられた四頭のイヌ。

北、正勇、勝、エクスプロージョン。

この四頭の軍用犬から物語、否、歴史が語られ始めます。誰によって?むろんイヌたちによって。

イヌたちは、人間によって翻弄され続けます。その命が果てるまで、否、その子孫たちの命が連綿と続いていく限り。

朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン戦争、東西冷戦。イヌたちは翻弄されながら、しかしその命をつなぎながら、歴史を紡ぎ続けていきます。時に生まれ落ちた世界と別れ、しかし地球上にいる限り、時間も場所も越えてまた出会うことになるイヌたち、否、もはや地球を飛び出したイヌもいる。

スプートニク二号には、気密室が設けられて、そこに生物が乗り組んだ。宇宙飛行を体験する地球ではじめての生命体。人間ではなかった。搭乗させられていたのは、一頭の雌犬だった。気密室にはのぞき窓が開けられていた。そして雌犬は、地球を見下ろしていた。(P131-132)

20世紀、戦争の世紀を疾走し続けたイヌたちの物語。

正直、初めて読んだ時、ここまでの読後感があることを予想できませんでした。今までに読んだことのないくらいエネルギーが充満し、危うくて、独特の語り口によってテンポよく走り続ける文体。そのすべてにやられ、圧倒されました。

昨年の初読の興奮から時間が経ち、今回再読しましたが、やはり相変わらずやられてしまいました。本当に面白かったです。

作者自身、「想像力の圧縮された爆弾」と本書を語っているだけに、読み手を選ぶ作品かもしれません。ダメならしょうがない、でもこの作品が強く心に残る読み手はまだまだたくさんいるはずです。未読の方がいらっしゃれば、是非この秋読んでみてください。お勧めの本です。

本書において、イヌたちは地球上のあらゆる地点を縦横無尽に駆け抜けていくのですが、「bookmarks=本の栞」のほんのしおりさんが、Google Mapsを使ってイヌたちの動き、系譜を追われているのがとても面白いアイデアだなと思いました。いやはや素晴らしいです。読書も本を読んで終わりではなく、そこから出発して、さらにそこにいろいろなものが付随したり、発展させていけるのが、本当の醍醐味といえますよね。

本書を読みながら、何度も頭の中に蘇ってきたあのテーマ曲。それはドラマ「鹿男あをによし」のエンディング曲として話題になったあの曲でした。(本書とは関係はありません、あしからず。)

鹿たちの疾走ではなく、こちらはイヌたちの疾走でしたが、あの力強さとリズミカルなテンポを聞くと、本書のほうを思い出しそうです。

まだ未読の作品がたくさんあるので、今後も古川さんの著作に注目していきたいと思います。

イヌよ、イヌよ、お前たちはどこにいる?

うぉん。

◎関連リンク◎

ベルカ、吠えないのか?(文藝春秋)

二十世紀をまるごと書いた 古川日出男 自著を語る(文藝春秋)

作家の読書道:第46回 古川日出男(WEB本の雑誌)

「メッタ斬り!版 第133回 芥川賞、直木賞選考会」文学賞メッタ斬り!(Excite)

『ベルカ、吠えないのか?』(八方美人な書評ページ)

・『聖家族』 古川日出男 2008.9 集英社

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古川 日出男 『ベルカ、吠えないのか?』(bookmarks=本の栞)

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2009年9月13日 (日)

74冊目 『ダブ(エ)ストン街道』

子どもから大人になるにつれて、変わっていくとよく言われるのが「味覚」ですが、私の場合、味覚だけでなく、行動するときの感覚がだいぶ変わってしまったなとつくづく思います。

子どもの頃は結構情報を集めて、きっちり計画を立てて行動していたのですが、もはや今では、完全に感覚的に行動しています。大まかな時間と大まかな方向で動く、それが心地いいのですが、やはり失敗も多々あります。

そんな私が手にしたのは、秋の再読本第二弾、

『ダブ(エ)ストン街道』 浅暮三文 2003.10 講談社(講談社文庫)

ダブ(エ)ストン街道』 浅暮三文 2003.10 講談社(講談社文庫)

という本です。以前ここでも紹介した『実験小説 ぬ』の作者による作品ということで、この本を知り読んだのですが、これは私にとってはかなりツボの作品でして、ずっと紹介できないのが残念だったので、今回再読した次第です。

目次を見ると、

第一章 目覚めよと呼ぶ声す

第二章 愛しい君の手紙に見入って

第三章 入場

第四章 悲しみは多くの人の心を捉える

第五章 パノラマ

第六章 春の声

第七章 大地礼賛

第八章 終曲

双六式浅暮三文ができるまで

となっています。

ヨーロッパ中を旅する流しの考古学者・ケン(吉田健二)は、ドイツのハンブルクで出会った恋人のタニアと暮らしていました。が、タニアには強度の夢遊癖があり、ある日眠っている間にいなくなってしまったのです。ケンは、タニアから届いたハガキを手掛かりに、彼女を探す旅に出ます。そのハガキにはタニアが「ダブエストン」で待っていることが記されていました。

『ダブ(エ)ストンなる大島は世界の神秘なり。近隣の諸島で原住民は不可能なることをかく語る。「ダブ(エ)ストン街道を曲がる」と。また、もしくはあり得ないことをかく語る。「ダブ(エ)ストン街道から抜ける」と。

いずれもまじないの如き、戯言なりしが、しかし余はダブ(エ)ストンに漂着して、その言葉の正しきことを実感せり。まさしく、迷うべくして迷う者が到るところ、そもダブ(エ)ストンなり。そして余は発見せり』(P13-14 未完の『赤道大全』より)

なんとかダブ(エ)ストンと思われる島に辿り着いたケンでしたが、タニアに到る手掛かりがありません。洞窟を抜け、森に出たケンは郵便屋のアップルと出会い、お互いの目的を果たすために、二人で助け合いながら旅を続けます。

ダブ(エ)ストンでは、誰もが道に迷っています。ケン達は都であるドサイを目指すことにしますが、どちらに進めばよいかの判断も容易ではありません。道中、ドサイを目指して二年以上走り続けている駅伝の集団や、流しのブラスバンドに出会います。

一方その頃、ダブ(エ)ストンでは、同じように「王様」の一行があてもなく前進し続け、ダブ(エ)ストンから少し離れた洋上では、海賊船の中で幽霊となった乗組員が行く先を巡って揉めています。

ケンとアップルはその道中、出会いと別れを繰り返し、またアクシデントにも襲われ、ケンの命も危うい状況に陥ります。果たして、ケンはもうタニアに会うことが出来ないのでしょうか。

しかし、ダブ(エ)ストンで彷徨い続けるそれぞれの人生(人じゃないのもたくさん)が交差するとき、次々と道が開けていきます。そしてついにはダブ(エ)ストンで怖れられている「赤い影」の秘密が明らかになり、ケンは真実に気づくとともに、その事実を受け入れなければならない状況に置かれます。果たしてケンの旅は、どこへ向かうのか。

この作品は、正直好みが分かれるかもしれませんが、私は大好きです。こうやって迷いながら成り立っている土地も、また真実なのかも知れないと感じるほど、このダブ(エ)ストンの世界が好きになりました。悲しむべきは、今、本書が手に入りづらくなっていることです。

もしも手にとる機会があれば読んでみてください。そしてこの迷いの世界にはまってしまった方がいたら、

是非ここで待ち合わせしましょう!

彼等がいつまでも、迷い、つまずき、だまされ続ける旅を進んでいることを私は祈りたい。目的地は見果てぬ夢だからこそ輝くのだ。だからこそ流れていくのだ、流されるのではなく。放浪こそが安らかな休息なのだ。(P307)

◎関連リンク◎

ダブ(エ)ストン街道(講談社)

GURE GROOVE

「ダブ(エ)ストン街道」文庫化に寄せて 浅暮三文(ビーケーワン)

26冊目 『実験小説ぬ』(2006年12月4日)

はっちの太鼓本 太鼓本だ~♪どどんがどんっ!

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2009年1月24日 (土)

62冊目 『宇宙兄弟』

昨年、久しぶりにプラネタリウムに行きたいと思いながら、結局行けないまま年を越してしまいました。夜空に浮かぶ星座は数あれど、自分の心の中でひときわ輝き続けている星座はというと、やはりオリオン座です。子どもの頃に学校の理科の授業で天体について習い、実際にはっきりと星座を見ることができた感動が強く残っているのだろうと思います。

「宇宙」という言葉を聞くと、大人になった今でも、果たしてそこにはどんな世界が広がっているのだろうかとワクワクしてきますが、未知なる世界である宇宙への憧れは人類にとって本能的なものなのかもしれないですね。今年こそはプラネタリウムに行こうと思っている私が今回紹介するのは、

『宇宙兄弟』 小山宙哉 2008.3 講談社

宇宙兄弟』 小山宙哉 2008.3 講談社

という作品です。

物語の舞台は2025年。子どもの頃、宇宙飛行士になるのを夢見た南波六太南波日々人。弟・日々人は夢を叶えて宇宙飛行士となり、月での任務に備えてヒューストンで訓練を受けています。一方、兄の六太は勤めていた自動車開発会社で一騒動を起こし、退職を余儀なくされ、無職となってしまいます。

夢を実現し、どんどん先へ進んでいく弟。子どもの頃から『「兄」とは常に弟の先を行ってなければならない』との思いをもつ六太は、自分は今まで何がやりたかったんだろうかと苦悩します。

そんな六太を再び立ち上がらせたのは、弟の日々人でした。子どもの頃に兄弟で交わした約束、そして新規宇宙飛行士選抜試験への応募。物語は、六太が宇宙飛行士を目指して進んでいく姿を描いていきます。

という風にあらすじをひどくまじめに書いてみましたが、実際に読んでみると、何度も思わず噴き出してしまうくらい面白いです。六太の天然さというか、いいボケっぷりが自分にはかなりツボでした。

登場人物としては、南波兄弟以外にも宇宙飛行士を目指す人々がたくさん出てきますが、六太と同い年で妻子がある真壁ケンジ、医師でこの作品のヒロインともいえる伊東せりかがしっかりと脇を固めています。あと、日々人の飼っているアポがとてもかわいいです。

現在4巻まで刊行されており、物語はこれまで宇宙飛行士を目指す人間が乗り越えていかなければならない様々な試練やストレスを、時にシリアスな人間関係の描写を交えながら描いてきました。作品の各所に散りばめられた笑いのエッセンスと、物語を引きしめる宇宙飛行士になることへのまじめさが相まって、非常に面白い作品になっていると思います。笑いのエッセンスは、至る所にそっと配置されているので、ぜひ丁寧にコマを辿ってみてほしいです。装丁も、キラキラとした星が散りばめられていて、子どもの頃の宇宙に対する純粋な憧れを感じさせてくれて、とてもいい感じです。

3次試験の終盤まできた4巻が終わって、ここからどのような展開になっていくのか非常に楽しみです。

六太、かぺー!

追記1:2009年3月9日(月)

昨晩、NHKスペシャル「宇宙飛行士はこうして生まれた~密着・最終選抜試験~」を見ました。まさに現実の「宇宙兄弟」です。

10年ぶりに日本人宇宙飛行士の候補者が選ばれるということで963名の応募があり、その中から最後まで残った10名が最終選抜試験を受けている様子が画面に映し出されました。

10人ともパイロットや医者など、すごい経歴の持ち主でしたが、さすが最終選抜試験にまで残っている人たちだなぁと感じさせる風格と顔つきをしているように感じ、宇宙への夢を語るその表情には凛々しさと清々しさが漂っていました。

科学や工学といった知識の豊かさだけでなく、コミュニケーション能力やユーモア力、緊急時対応能力など、宇宙に出てから異質な環境の中でやっていける総合的な能力が必要な、ものすごく大変な職業だなと改めて思いました。だからこそ夢や使命感、家族の支えが最後まで崩れ落ちないための大事な土台となるのでしょうね。

再放送が明日の深夜にあるそうなので、見逃した方は是非ご覧ください♪

再放送:2009年3月11日(水) 午前0時45分~1時34分(10日深夜)総合

ちょっと話は変わりますが、実は先月念願だったプラネタリウムを見る機会がありました。仕事の関係で東京へ行った際に、池袋にあるコニカミノルタ・プラネタリウム“満天”に寄ってきました。やっぱり星空を見るのは素晴らしいですね。日本科学未来館にも行きたかったのですが、時間の関係でこちらはまたの機会となりました。

◎関連リンク◎

宇宙兄弟(1)(講談社)

モーニング 宇宙兄弟(e-1day)

インタビュー 「宇宙兄弟」編集者(sorae.jp)

「宇宙への夢」マンガでも(YOMIURI ONLINE)

JAXA 宇宙航空研究開発機構

世界天文年2009

全国のプラネタリウムマップ(日本プラネタリウム協議会)

コニカミノルタ プラネタリウム“満天”

日本科学未来館

NHKスペシャル|宇宙飛行士はこうして生まれた ~密着・最終選抜試験~(NHKオンライン)

・『宇宙においでよ!』 野口聡一 林公代 2008.6 講談社

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2008年5月31日 (土)

60冊目 『光の帝国 常野物語』

果たして「彼ら」は実際にいるのか、いないのか。私は知らない。

いや、忘れているだけなのかもしれない。

今回私が手にしたのは、

『光の帝国 常野物語』 恩田陸 2000.9 集英社(集英社文庫)

光の帝国 常野物語』 恩田陸 2000.9 集英社(集英社文庫)

という本でした。

物語は、「常野(とこの)」をルーツに持つ人々が、それぞれの時代や境遇の中にあって、その生き様を少しずつ垣間見せてゆく、短編の連作集として構成されています。

彼らは、それぞれが秘めている特殊な能力に時に戸惑い、時に使命を自覚しながら、生きていこうとしています。

「常野」と言うのは、地名なのかと思っていたが、その一族の総称でもあるらしい。いろいろな特異な能力を持っていたが、極めて温厚な、礼節を重んじる一族だったという点では話が一致している。そもそも「常野」というのも、常に在野であれという意味らしい。権力を持たず、群れず、地に溶け込んで、という主義だというのだから、随分スマアトな連中じゃあないかね。(P103-104)

物語は、

大きな引き出し

二つの茶碗

達磨山への道

オセロ・ゲーム

手紙

光の帝国

歴史の時間

草取り

黒い塔

国道を降りて…

という10の短編から成り立っていますが、それらは少しずつ関連しており、物語を読み進めていくごとに、次第に「常野」の姿が浮かび上がってきます。

最初の短編「大きな引き出し」を読み始めた私は、早くも「常野」の人々の物語に引きずり込まれていきました。春田光紀は小学校四年生の少年。彼が普通の子どもと違っていたこと、それは彼ら一家が「しまう」ことが出来たということでした。

「あの子、今苦しい時だと思うよ。自分のしてることに疑問を持ってる時期なのよ。『しまう』のは早くなったけど、まだ『響いて』きてないの」(P16)

常野の人々が持つ能力は、私たちがよく使う言葉で表現されながらも、その能力は大きな謎に満ちています。彼らの能力は一体何のために備わっているのか。光紀も自分に備わった能力、級友たちと自分との違いに気付きながら納得がいかない様子でしたが、あることをきっかけに自分の役割を自覚させられるような出来事がおこります。光紀の目覚めた能力がそのように使われたことに、こちらにもじ~んと胸に「響く」ものがありました。

表題作となっている「光の帝国」は連作の中でちょうど真ん中にありますが、実際、常野を語る上で極めて重要な人物である「ツル先生」が中心に据えられて語られていることもあり、短編の中でも非常に印象的な物語となっています。

――やがては風が吹き始め、花が実をつけるのと同じように、そういうふうにずっとずっと前から決まっている決まりなのだ。僕たちは、草に頬ずりし、風に髪をまかせ、くだものをもいで食べ、星と夜明けを夢見ながらこの世界で暮らそう。そして、いつかこのまばゆい光の生まれたところに、みんなで手をつないで帰ろう。(P121)

私が一番印象に残ったのは、「歴史の時間」で矢田部亜希子と春田記実子が語りあう場面でした。

記実子が続ける。

「あたし、古臭い言葉だけど『継続は力なり』って言葉好きなの。あれは本当だと思うわ。ずうっと続けなくちゃ。いろいろ試して、試して、試し続けなくちゃ。ちょっとやってみただけで、いったい何が分かるっていうの?みんなで長い長い時間の先を目指して、ずっと歩き続けなくちゃいけないの。でないとあたしがここにいる意味ないもの」

「意味?意味なんて必要なのかなあ。生きてる意味なんか考えるから、みんな不幸になっちゃうんだよ」

亜希子は思わずむきになっていた。記実子がふわりと笑う。

「あれ、さっき言ってたことと矛盾しない?毎日の平凡な繰り返しが嫌なのは、矢田部さんが生きてる意味を求めてるからじゃないの?意味を考えないのなら、毎日時間に流されていればいいでしょう」

亜希子はぐっと詰まった。その瞬間、不意に彼女はこの場面が自分にとって重要な場面であることを直感した。ずっと歳をとって、大人になった時に、自分が繰り返しこの場面を思いおこすであろうことを。暗い校庭の漣。窓ガラスを覆う雨の膜。前の席からこちらを振り向く端正な白い顔。(P159)

小中学生の頃、学校での講演やイベントの際に、感想として『今日のことは大人になっても忘れないと思う』と述べたり、書いたりした気がするが、今となっては何の場面でそのように思ったかさえ思い出せない。

しかし、先の場面のような、これが自分にとって重要な場面であることを直感した記憶が自分にもあったことを思い出した。それは時間も場所もバラバラだが、用意された「場」や「時間」がそのような思いにさせるのではなく、本当に何気ない会話や出来事の中に、それこそ唐突に現われるものではないかと思う。

そして実際にそういう思いに捉われた場面というのは、今だに折にふれてふっと思い出される。何度も何度も思い出すから、ものすごい強い記憶になっている気がする。そういった記憶は自分自身にとってしか価値がないものなのかも知れないけれど、ずっと大切にしていきたいと思えるものである。

この場面でもう一つ印象に残ったのは、「みんなで長い長い時間の先を目指して、ずっと歩き続けなくちゃいけない」という言葉。物語全体を通して明らかになっていく「常野」の人々のことを匂わすような言葉ではあるけれど、自分もこのような思いを抱いたことがあったことを思い出させてくれた。

多感な高校生の時、誰もが思い悩むのと等しく、自分もずっとずっと考え続けていた。限りある命だからこそ、その生を全うしようと努力すること。そしてその努力の成果を次の命に伝えていくこと。その連綿と続いてきた無窮の命の流れの先に何があるのかは想像できないけれど、自分も生きるだけ生き切ろうと思った日のこと。

物語とはちょっと逸れてしまいましたが、常野に関わるたくさんの人々のエピソードや想いに触れて、何度も心を揺さぶられました。謎が新たな謎を呼び、その全容はまだまだ明らかにされていませんが、心の中に非常に強く印象づけられた作品でした。

まだ「常野」を知らない方に、そしてついこの間まで知らなかった自分自身に薦めたい一書です。

「ずいぶん遠回りしちゃったね」(P272)

◎関連リンク◎

光の帝国(集英社 BOOKNAVI)

蒲公英草紙(集英社 BOOKNAVI)

『蒲公英草紙』恩田陸(集英社)

エンド・ゲーム(集英社 BOOKNAVI)

常野だより(集英社)

・『蒲公英草紙 常野物語』 恩田陸 2008.5 集英社(集英社文庫)

・『エンド・ゲーム 常野物語』 恩田陸 2005.12 集英社

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2007年9月23日 (日)

53冊目 『夏の葬列』

それが自分にとって大切な出会いであったと気がつかないまま、ずっと後になってから気がつくということ。たとえ長い時間が過ぎてしまっていたとしても、そのことに気がつけたことは幸せなことなのかもしれません。そんなことを思ったのは、今回紹介する、

『夏の葬列』 山川方夫 1991.5 集英社(集英社文庫)

夏の葬列』 山川方夫 1991.5 集英社(集英社文庫)

という本を手にしたことがきっかけでした。

本書の表題作となっている「夏の葬列」は、中学生の頃に国語の教科書に載っていたので、それが私にとって作家・山川方夫さんとの出会いだったわけです。しかし、この作品がもっていたなんともいえない罪の意識の情景や戦時中を描いていたということが、この出会いを私から遠ざけてしまっていたのです。最近になって、そういえば昔学んだ「夏の葬列」をもう一度読み直してみたいと思ったのがきっかけで本書を手にしました。

目次を見てみると、

夏の葬列

待っている女

お守り

十三年

朝のヨット

他人の夏

一人ぼっちのプレゼント

煙突

海岸公園

という作品が収められています。前半の作品は短編、いわゆるショート・ショートと呼ばれるものが並んでいますが、後半の2作品、煙突と海岸公園は中編といえるくらいの文量があります。

先に本書を読んでの感想を言うと、私は山川さんの作品を全部読んでみたい衝動に駆られるほど感銘を受けました。中学生のときに作品から感じた「罪深さ」が、読み手の私が変わったためなのか、敬遠したいものではなく、生きていくうえで受け入れていかなければならないものと感じられ、作品には著者自身の、様々な苦悩を抱えながらも生きていく生き様が映し出されているように思え、そのことに好感が持てました。

作品の内容もさることながら、その美しい言葉遣いにも惹きこまれました。作品の中で、最も感銘を受け、何度も読み返してしまった「朝のヨット」という作品にこんな一文があります。

黒い海は、やがてその底の蒼緑色と、表面の波立ちとをあきらかにし、舷に散る白い飛沫を縫い、ほのかに細い虹の脚が明滅した。糠雨のようなこまかな繁吹が少女の頬を濡らして、そのくせ澄んだ浅い色の空は、その日の上天気を約束していた。(P53)

この「朝のヨット」という作品では鴎が重要な役割を果たしているのですが、この作品の素晴らしさと鴎という組み合わせから、私はある句を思い出しました。それは、以前『遅読のすすめ』という本で知った、三橋敏雄さんの、

かもめ来よ天金の書をひらくたび

という句です。本を開くとそこに現れるカモメの姿。私にとって、カモメは読書とは切ってもきれない存在になってしまったようです。そういえば、記事のタイトルのところにも一羽ずつカモメが降り立っていたことに今更ながら気づきました。

本書の巻末に展開されている、解説、鑑賞、年譜の各コーナーも興味深かったです。34歳のときに交通事故により、あまりにも短いその生涯を閉じられた山川方夫さんを惜しみながら、後世に生きる私は、残された作品を大事に読み継いでいきたいなと思いました。

◎関連リンク◎

夏の葬列(集英社)

・『安南の王子』 山川方夫 1993.10 集英社(集英社文庫)

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