カテゴリー「都道府県・地域」の4件の記事

2007年1月28日 (日)

32冊目 『122対0の青春』

先日、今春に開催される第79回選抜高校野球大会の出場校が発表されました。ついに高校野球も平成世代のものとなりましたが、球児たちの真剣で清々しいプレーは時代を超えてなお、私たちの胸を熱くしてくれるように思います。今回私が手にしたのは、

『122対0の青春 深浦高校野球部物語』 川井龍介 2004.5 講談社(講談社文庫)

122対0の青春 深浦高校野球部物語』 川井龍介 2004.5 講談社(講談社文庫)

という本です。まず目次を見てみると、

第一章 「先生たち、クビになるのか」

第二章 あってはならない試合なのか

第三章 ロボコップとへっぽこ球児たち

第四章 「挑戦」の季節がまたやって来る

終章 二〇〇二年春から――学校と彼らはその後……

文庫版のためのあとがき

となっています。

この物語が生まれたきっかけ、それは1998年夏の甲子園大会の地方予選、青森県大会でのある一試合にあったのです。1998年夏といえば、怪物投手・松坂大輔を擁する横浜高校が高校野球史上に残る数々の名勝負を生みながらの春夏連覇を成し遂げたことが思い出されます。華々しく頂点を極めた横浜高校と、ある意味で対極をなす高校野球の試合がこの夏行なわれていたことを、みなさん憶えているでしょうか。

1998年7月18日、大会4日目を迎えたこの日、青森県運動公園内にある県営球場では、第三試合「東奥義塾―深浦」戦が行なわれることになっていました。「東奥義塾高校」は甲子園にも出場したことがある野球の名門校、一方の「県立深浦高校」は青森県の西端、西津軽郡深浦町にあり、当時の在校生は143人という小規模校で、1986年に硬式野球部が発足して以来、夏の大会では勝ち星がありませんでした。

試合開始予定から30分が過ぎた午後2時33分、球審がプレーボールを告げました。地方大会の序盤戦であるこの試合の結果が、高校野球関係者のみならず日本全国の多くの人々に衝撃を与え、この試合に出場した選手達を巻き込んでの騒動に発展するとは、この時誰が予想出来たでしょうか。

「いったいどうやったらアウトがとれるんだろうか」(P30)

深浦高校野球部の工藤監督は途方に暮れていました。それもそのはず、試合が始まって一回表の「東奥義塾」の攻撃、「深浦高校」は1アウトもとれないまま24点を先取されていたのです。ようやくセカンドフライで1アウトがとれたのは8番バッターが3度目の打席に立ったときでした。

ようやくスリーアウトがとれたのは、のべ四十二人目の打者が三振に倒れたときだった。試合開始から五十七分、約一時間が一回の表だけの攻撃に費やされ、その間に東奥義塾の得点は「39」にのぼった。(P37)

「深浦高校」の攻撃はものの数分であっさりと終わってしまい、試合の殆どは「東奥義塾」の攻撃に費やされました。どんどん積み重なっていく「東奥義塾」の得点。もはや試合の勝敗は明らかです。それでも力の出し惜しみをしてこない「東奥義塾」。

一体この試合にどうやって決着をつけるのか。終着点探しの難題に対して、関係者の間に不安や心配が広がっていました。一時は工藤監督も決断しようとした「試合放棄」、しかし選手たちは様々な気持ちを抱えながらも最後まで試合を続け、「122対0」の7回コールドで試合は幕を閉じました。

3時間47分に及んだ「激戦」で深浦高校の選手たちは疲れきっていました。そんな選手たちとは無関係に、高校野球史上に残る「122」というこの試合での記録はその後、一人歩きを始めてしまうのでした。

YOMIURI ONLINE 2005年8月20日:1998年7月、東奥義塾に7回コールドで敗れた深浦の最後の攻撃。スコアボードには122-0が表示されている(青森県営球場で)

実は私も当時のことを微かに憶えています。野球の試合とは思えないその得点を新聞紙上で見かけ、そしてテレビでも扱われているのを見たように思います。多くの人にとって、初めて知る地方高校の名前と試合の衝撃。つまり、この試合によって「深浦高校」は「122対0」で負けた高校として、社会的に『誕生』してしまったのです。

試合後、選手たちの家族のもとには親類からの電話が相次ぎ、深浦高校には激励の手紙が届き、テレビではこの試合を巡って、「最後まで諦めずに頑張った」「大会に出る資格があるのか」といった意見が飛び交いました。

当事者である選手たちにとっては、あくまで「ある一試合」であり、注目されなければそれっきりだったかもしれないこの試合は、いつまでも深浦高校と野球部の代名詞として結び付けられ、事実ではないことが話されたり、選手の心情とは違うことが忖度されたりと、大きな波紋を起こし続けることになりました。

本書は、大きな話題となった試合当日の球場風景から始まります。試合中、選手たちはどんな気持ちだったのか、そして彼らを取り巻く関係者はどう思っていたのか。更に試合後の波紋に戸惑う選手たちの思いにも触れられています。

当然のことですが、深浦高校野球部は「122対0」から始まったわけではありません。工藤監督が深浦高校に赴任してきたこと、そして部員が集まり、チームがスタートしたこと。全てがこの試合に繋がっていきます。そしてこの試合後のことも著者はずっと追い続けていきます。「122対0」を味わった当時高校1年生の部員達のその後の軌跡を追った人間ドキュメントともいえる内容です。深浦高校野球部を中心にして語られていきますが、彼らを取り巻く家族や他校の選手、監督など、様々な人々の視点から「あの試合」を、そして「深浦高校野球部」を見ていくことで、真実に近づいていこうとする著者の姿勢に好感を持ちながら読みました。

著者は「文庫版のためのあとがき」で、このように記しています。

私が追ったのは主に深浦高校野球部の足跡だが、書きたかったのは野球の話だけではない。彼らの野球を通して見えてくる、さまざまなものである。それは、大げさに言えば人生における「勝ち負け」の意味といったものであり、また地方と都市の格差、そして古くて新しい問題である過疎である。(P294-295)

波紋を広げたあの試合をきっかけにして語られ始めたこの物語、多くの人々の交差を前にして、私にとっていろいろなことを考えるいい契機となったのは事実です。試合結果の数字だけで埋め尽くされた紙面でも、その一つひとつに人の気持ちや、大きくいえば「命」が宿っている、そんな当たり前のことを改めて感じさせられました。

現実はドラマほど物事がうまくおさまっていかず、人の気持ちも複雑で、素晴らしさばかりに満ちてはいません。それでも歩み続けること、いつか振り返って「あの時」の意味を分かる日が来るのだろうか。そんな読後感に包まれながら本を閉じました。

舞台となった青森県立深浦高校は少子化による高校再編の流れの中で、この4月から青森県立木造高校深浦校舎として、新たな一歩を踏み出すそうです。

本書の話題から逸れてしまいますが、著者の川井龍介さんがWEBマガジン[KAZE]風の編集長をされていると今頃知って驚いています。

追記1:2009年9月21日(月)

毎年、高校野球の盛り上がりとともに、この記事にたくさんのアクセスをいただいていますが、本書の続きともいえる記事をWEBマガジン[KAZE]で読むことができます。高校野球は世代が変わっていこうとも、連綿とたくましく続いていくのだと強く感じさせてくれます。

「122対0」から10年、敗者は蘇る(WEBマガジン[KAZE]風)

分校の挑戦、敗者は蘇る(WEBマガジン[KAZE]風)

◎関連リンク◎

122対0の青春(講談社)

IN-POCKET 「ノンフィクションとフィクション」川井龍介(講談社)

青森県立深浦高等学校

好投・好打 ひたむき マイタウン青森(asahi.com)

“歴史的大敗”チームの財産(YOMIURI ONLINE)

深浦高 県大会初の1勝(Web東奥)

連想出版がつくるWEBマガジン[KAZE]風

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2006年8月 6日 (日)

17冊目 『「野球」県民性』

8月に入り、長く続いた梅雨の季節をすっかり忘れさせてしまうくらいの、晴天・猛暑の日々が続いています。みなさま、屋内外の気温差で体調を崩されませんように。暑中お見舞い申し上げます。

さぁ、今年も茹だるような暑さとともに、いよいよこの季節がやってきました。夏の高校野球(第88回全国高校野球選手権大会)が本日ついに開幕しました。そして今日紹介するのは、高校野球を更に楽しむためのこの本、

『「野球」県民性』 手束仁 2005.8 祥伝社(祥伝社新書)

「野球」県民性』 手束仁 2005.8 祥伝社(祥伝社新書)

です。昔から大の高校野球ファンだった私は、野球の県民性なるものについての本が出版されると聞き、昨年の夏、発売されるとすぐに購入しました。

著者は「はじめに」で、本書のテーマである「野球県民性」について、このように記しています。

私自身も、全国各地の学校を訪れ、野球を観戦していく中で、各地の特徴や特色を感じてきたことも多い。それを自分なりの視点で分析しながら野球を見ていくと、選手にもチームにも、確実にその土地ならではの色があることが発見された。つまり、それぞれの県民性は、野球を通して見ることで、明らかに特徴づけられるのだ。「野球県民性」なる言葉があるのかないのかはわからないが、野球文化に風土の特徴があることだけは確かである。

それぞれの風土や土地の特徴に野球スタイルや野球人のプレースタイルを重ね合わせて見ることによって、新たな野球の楽しみ方も生じてくるはずだ。本書は、野球を一つの地場産業として捉え、県民性を語りながら考察をしていくことも一つの野球観戦の楽しみ方であるということを私なりに提案したものである。(P4-5)

本書では、47都道府県それぞれの地で、「野球がこれまでどんな道を歩んできたのか」、「県民と野球との関わりはどのようなものであるのか」といったことなどについて紹介されており、その内容はというと、北海道から沖縄県まで、まずはその県に住む人々の気質や傾向について記されていて、さらに高校野球を中心として、その地方を代表する野球人についてや、社会人野球、大学野球、少年野球の現状などが詳しくレポートされています。

各都道府県につき3~10ページずつ解説されていて、新書ながら計292ページとなかなかのボリュームがあります。たくさん記述されているのは、東京・大阪の10ページ、千葉・神奈川の9ページで、平均すると各県につき4、5ページくらいです。野球王国として名高い和歌山県についての記述はこんな感じです。

和歌山県は高校野球史の中でも大きな役割を果たしている。歴史上大きく見て、和歌山県は四度黄金時代をつくっている。しかも、それをことごとく異なる学校で築いているのだから、見事というか、素晴らしいというか、レベルが高いというか……。県の人口や産業などを比較してみた場合、これだけ全国制覇を成し遂げたのは、紀伊国屋文左衛門と松下幸之助に次ぐ偉業と言っていいのかもしれない。それだけに、和歌山県人にとって高校野球でつくりあげた時代というのは意味が深い。(P194)

ちなみに四度の黄金時代を築いたのは、戦前は、和歌山中(桐蔭高)、海草中(向陽高)、戦後は、箕島高、智弁和歌山高です。

本書にある著者のプロフィールによれば、野球を年間200試合観戦されているそうで、そのためか、その地方に住む人しか知らない、分からないような、高校野球や地元高への思いが各都道府県とも詳しく書かれていて、非常に面白かったです。例えば、今夏も埼玉県代表として出場する浦和学院については、このような記述がありました。

口の悪い埼玉県人の野球好きには、埼玉県勢の高校野球の意外な不振は浦和学院にあると言う人もいる。確かに素質に恵まれた選手が多く、事実、毎年のようにプロ野球に人材を送り込んでいる。素材力の高さは県内一であることは間違いない。それだけに、浦和学院に関しては代表になるだけでは許されないところがある。むしろ、県内では勝って当然、負けたら「何をやっているんだ」と言われかねない。それが彼らにとって余計なプレッシャーにつながり、そこで普通にプレーしていくことの難しさにつながっている。(P86)

代表校は県民の期待も大きいわけで、野球を「楽しむ」という次元とは別の世界で戦う大変さもあるようです。ともあれ、やっぱり地元の代表校が勝ち進むと嬉しいものですが。

日本における野球のルーツや偉大な野球人たちの足跡を辿ることが出来、また各地の高校野球の辿ってきた道と現状を知ることが出来て、満足の一冊でした。

ところで本書とは関係ない話ですが、この夏の高校野球は今年が第88回大会で、3年生は1988年生まれです。つまり、その大会で中心となる3年生の生まれた年(正確には年度)と、大会の回数が一致しているんですよ。

松坂世代と呼ばれる1980年生まれの世代が甲子園で3年生として活躍したのは、第80回記念大会でした。ということは、記念すべき第100回大会の中心にいるのは、2000年生まれの子どもたちということになります。まだまだ先の話ですが、今5、6歳の子どもたちが、将来逞しい球児となって甲子園にやってくる、その日が今から楽しみです。

ちなみに、この法則が通用するのは1946年の第28回大会からで、第1回大会は1915年にあったのですが、1941年~1945年まで戦争のために大会が中止されたために、この法則が生まれたのでした。

追記1:2006年8月20日(日)

夏の高校野球、試合観戦に欠かせない本といえば、週刊朝日・増刊号の『甲子園』です。私が持っているのは2002年の第84回大会の本からですが、ペラペラとめくると、新聞や「熱闘甲子園」を見て得た情報や試合結果が書き込んであり、いろんなことを思い出します。ちなみに、持っている5冊の背表紙はずっと「ビオフェルミン」でした。

今年の『甲子園』の編集中記が印象に残ったのでここで引用させていただきます。

女の子が選手として甲子園の土を踏む日はいつになるのでしょうか。そう思わずにいられないのは、この夏、高校野球の取材を担当している朝日新聞の記者の3分の1が女性だからです。かくいう私も、この増刊号の2人目の女性担当者です。お肌の曲がり角を迎えた身には、甲子園球場での日焼けが恐ろしくてたまりませんが、本大会終了後すぐに発売予定の「甲子園Heroes」もお楽しみいただけるようにスタッフ一同全力で取材活動に取り組みます。本誌・四本倫子(P186)

2006 甲子園(朝日新聞社)

◎関連リンク◎

「野球」県民性(s-book.com)

手束仁 Official Homepage

選手権大会(財団法人日本高等学校野球連盟)

激闘の記憶と栄光の記録

みんな、昔は球児だった(Yahoo!JAPAN)

Yahoo!ニュース 高校野球

第88回全国高校野球選手権大会(asahi.com)

第88回全国高校野球選手権大会(朝日放送)

第88回全国高校野球選手権大会(NHK)

熱闘甲子園(朝日放送)

おらが夏の甲子園。(ほぼ日刊イトイ新聞)

・『熱闘!高校野球47の勢力図』 手束仁 2005.6 アリアドネ企画

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2006年7月 1日 (土)

16冊目 『都道府県別気持ちが伝わる名方言141』

図書館へ行くと、ぐるぐると歩き回って、出来るだけいろいろなジャンルの本を借りるようにしているのですが、やっぱりコトバ系の本だけは最低一冊は選んでいます。先日図書館へ行ったとき、『おっ、面白そう』と、思わず手にとったのが今回紹介する、

『都道府県別気持ちが伝わる名方言141』 真田信治 2005.1 講談社(講談社+α新書)

都道府県別気持ちが伝わる名方言141』 真田信治 2005.1 講談社(講談社+α新書)

です。タイトルの「気持ちが伝わる」がグッときました。もし『都道府県別名方言141』だったら、なんだか味気なくて、手にとっていなかったかもしれません。本書は、

第一部 日本語のバリエーション

第二部 県別・方言の風景

の二部構成になっています。本書のメインである第二部では、各都道府県ごとに、それぞれの県の自然・生活・性向などを表現するキーワードが「名方言」として3つずつ掲げられていて、47都道府県×3で計141の「名方言」が紹介されています。

さて、私はこの本を読む前、きっと都道府県ごとに切り分けられて、コトバが羅列されているんじゃないかと思っていたのですが、読み進めていくと、その予想はいい意味で裏切られました。項目は各都道府県ごとに区切られているのですが、その県や県の方言にまつわる著者のエピソードが語られながら、都道府県を横断する記述がなされていたのです。ある方言や言葉の形式をピックアップしたときに、それをその県だけのものとして閉じ込めてしまうのではなく、他の都道府県の言葉と関連づけながら説明されていたので、非常に面白く感じました。ここではすべてを紹介することはできませんが、私の住む関西に関する記述を幾つか取り上げてみたいと思います。

近畿方言

範囲 京都府丹後地方と兵庫県但馬地方を除く近畿地方の大部分、および福井県若狭地方

特徴 この方言の代表は大阪府と京都府の方言であるが、両方言の間にはかなりの相違が見られる。たとえば、「来ない」に対応する方言は、ケーヘン(大阪的)、キーヒン(京都的)である。ただし、最近はいずれにおいてもコーヘンという形が一般的になりつつある。「行かない・行けない」に対応する方言は、イケヘン・イカレヘン(大阪的)、イカヘン・イケヘン(京都的)である。また、尊敬語の「行かれる・来られる」に対応する方言は、イキハル・キハル(大阪的)、イカハル・キヤハル(京都的)である。(P25)

京都府丹後地方と兵庫県但馬地方は、中国方言の範囲に入っているそうです。

和歌山県

1 アガ(自分) 「アガのこととも知らんと」(=自分のことだとも知らないで)

2 ~ラ(~よ) 「今度、つれもて行こラ」(=今度、一緒に行こうよ)

3 アル(いる) 「人がよーさんアルのし」(=人がたくさんいるねえ)

奈良県

1 ~ミー(~ね) 「ほんでミー、あのミー」(=それでね、あのね)

2 キサンジ(素直なさま) 「キサンジなお子たちですなー」(=素直なお子さんたちですねえ)

3 モムナイ(おいしくない、まずい) 「このなんきん、モムナイなー」(=このカボチャ、まずいね)

滋賀県

1 カナン(嫌だ、やりきれない) 「ほんな厄介な仕事カナンわ」(=そんな厄介な仕事は嫌だよ)

2 ~ケ(~かい) 「ほ~ケ、ほなしよケ」(=そうかい、それならしようかい)

3 ダシカイナ(いいじゃないか) 「ほな、帰るわ」(=じゃあ帰るよ)「まあダシカイナ」(=遠慮しなくてもいいじゃないか)

京都府

1 ハンナリ(明るくて上品なさま) 「ハンナリしたお着物着たはりますなあ」(=上品な着物を着ていらっしゃいますねえ)

2 ホッコリ(ほっとするさま) 「せわしない用事もすんだし、ホッコリしおすなあ」(=忙しない用事もすんだので、ほっと一息つきますねえ)

3 ナムナムスル(平凡に暮らす) 「おかげさんで、まあナムナムシいたしております」(=おかげさまで、まあ何とかやっております)

大阪府

1 ボチボチ(そろそろ) 「ほな、ボチボチ行きまひょか」(=それでは、そろそろ行きましょうか)

2 ~ネン(~のだ、~のよ) 「いつまで飲んでるネン」(=いつまで飲んでいるんだ)

3 ~ンチャウ(~じゃない) 「そういうこととちゃうンチャウ」(=そういうこととは違うんじゃない)

兵庫県

1 ~テヤ(~ていらっしゃる) 「どこぞ、いとっターったんけ」(=どこかに行っていらっしゃったんですか)

2 イヌ(帰る) 「ほな、もうインでくるわ」(=それじゃ、もう帰るよ)

3 ゴーガワク(腹が立つ) 「ほんま、ゴーガワイたで」(=本当に腹が立ったよ)

本書を通じて、ハワイの日本語の特徴は、ハワイへの移住民を一番多く出した広島県の方言を基調にしていることや、旧陸軍が長州閥によってつくられたことで、軍隊に「~デアリマス」調の山口弁が普及したことなど、ことばに関する様々なエピソードを知ることができました。

私は「おおきに」という言葉が好きで、日常生活でもよく使うのですが、「おおきに」についての記述がありました。

ちなみに、「おおきに」を「とても」の意味で使う用法は浮世草子などの古典や明治時代に出版された和英辞書『和英語林集成』などにも見られる、いわば共通語であった。現代の関西での「おおきに」は、かつて全国的に存在した「おおきにありがとう」が縮まった言い方なのである。(P165)

面白いというよりも、すごいと思ったエピソードが載っていました。

一九八四年度には、研究室のゼミでのフィールドワークに紀ノ川流域を対象に選んだ。徳川宗賢先生も参加してくださった。和歌山(城)を陣地として調査をスタートした徳川方と九度山(真田庵)を陣地としてスタートした真田方が紀ノ川中流域で合流したのも懐かしい思い出である。(P140)

大阪大学で徳川先生と真田先生が方言の研究をされていたなんて、出来すぎていますが、これも事実なんですね。

私が本書に非常に好感を持ったのは、著者である真田さんの研究者としての真摯な態度と、それぞれの土地で生きる人々への暖かい眼差しが、その文章からよく伝わってきたからだと思います。すっかり真田さんのファンになってしまったので、きっと他の著作もこれから読むことになるでしょう。最後になりますが、読者として私が受け取った、著者の言葉に対する思いを書き記して、本書の紹介を終えたいと思います。

日本でも昨今さまざまな言語が行き交うようになった。そのような中で、母語によって自らを表現する権利と、地域社会にアクセスする権利という両面から、異言語間の相互理解の問題も取り上げるべき時が来ている。基本的な言語権を考えるために、また、偏狭なナショナリズムや少数派の切り捨てに対峙するためにも。

ちなみに、言語権というのは、母語ないし母方言によって自らを表現する権利、また母語ないし母方言による教育を受ける権利のことである。もちろん、方言コンプレックスもいまだ完全に解消したとは言えない。言語権に関して言語の場合と方言の場合とは同等なのである。(P3-4)

さて、地域での生活ことばというものに対して、私たちはどのようなスタンスをとったらいいのであろうか。

私は、まず自分自身のことばを見つめる、ということから始めるべきであろうと考えている。大切なのは、ひとりひとりが自分の日々のことばづかいに感受性を持つことである。ことばに敏感であることはすなわち生きることに敏感であることだと言ったら大げさであろうか。その心持ちは自然に他の人に不快感を与えない気配りの表現という形で現れてくるはずである。そして、もし美しいことばというものがあるとすれば、それこそが美しいことばと言えるものなのではないだろうか。(P159)

◎関連リンク◎

都道府県別 気持ちが伝わる名方言141(講談社)

真田信治のページ(大阪大学)

共通語取り込む 「ネオ方言」(YOMIURI ONLINE)

若者の方言ブームを探る(FMK EVENING JOURNAL)

新書マップ 方言

登録番号69 真田伝説の里 和歌山県九度山町(asahi.com 勝手に関西世界遺産)

・『方言の日本地図』 真田信治 2002.12 講談社(講談社+α新書)

はっちの太鼓本 太鼓本だ~♪どどんがどんっ!

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2006年3月 6日 (月)

6冊目 『全国アホ・バカ分布考』

「この世のあらゆる謎や疑問を徹底的に究明する」ことをモットーとし、この3月で放送19年目に突入した関西が誇る名物番組。あまりにもアホらしい依頼から、作り物のドラマ顔負けの、気づけば心の琴線に触れまくりの感動巨編まで、「喜怒哀楽=生きること」を丸ごと包み込んだ、視聴者参加型の娯楽番組、それが「探偵!ナイトスクープ」ではないかと私は思っています。

その「探偵!ナイトスクープ」が「全国アホ・バカ分布図の完成」編を放送したのは1991年5月のことでした。当時私は小学生で、不覚にも「ナイトスクープ」の存在を知りませんでした。(たぶん放送時間には寝てましたね…。)ただ、「アホ・バカ分布図」というキーワードをどこかで得て、これまでずっと気にはなっていたのですが、実際どんな内容だったのかを知るまでには至りませんでした。そんな私が手に取った本、それが今回紹介する、

『全国アホ・バカ分布考』 松本修 1996.12 新潮社(新潮文庫)

全国アホ・バカ分布考』 松本修 1996.12 新潮社(新潮文庫)

です。内容はというと、まさに「全国アホ・バカ分布図の完成」編の放送に至るまで、番組制作の中心人物であった著者が、その発端から経過、さらに放送後の驚くべき展開、そしてついに辿り着いた『アホ・バカとは何か』の結論まで、当時の現場の熱気や息遣いをリアルに感じさせる見事な筆致を持って、鮮やかに書き出したものとなっています。

新婚サラリーマンからの依頼の葉書が、前代未聞の調査の発端でした。

「私は大阪生まれ、妻は東京出身です。二人で言い争うとき、私は『アホ』といい、妻は『バカ』と言います。耳慣れない言葉で、お互い大変に傷つきます。ふと東京と大阪の間に、『アホ』と『バカ』の境界線があるのではないか?と気づきました。地味な調査で申しわけありませんが、東京からどこまでが『バカ』で、どこからが『アホ』なのか、調べてください」

この依頼を受けて調査は始まります。しかし、そこには思わぬ事実が待ち受けていました。東京から大阪に向けて出発した『アホ・バカ』調査の旅で、突然、名古屋の『タワケ』が現れたのです。それは、なんとなく「東は『バカ』、西は『アホ』」だと考えていた概念を打ち砕く、衝撃の事実でした。さらに九州出身の岡部秘書が、「九州ではどう言うんですか?」との問いに、「『バカ』、って言う気がしますね」との、またしても衝撃的な発言。それは、近畿の『アホ』が、東西の『バカ』にはさまれているという、驚くべき事実が顔を出した瞬間でした。投稿者の何気ない依頼を発端として、このような衝撃的な経過を辿りながら、この『アホ・バカ』調査は、以後すさまじい展開をみせることになります。

当初、『アホ』と『バカ』の境界線を見つけるはずだったこの調査は、放送をきっかけに全国各地に息づいていた、それぞれの『アホ』や『バカ』を発掘する結果になりました。

『タワケ』『ゴジャ』『デレ』『ダラ』『ホウケ』『タクラダ』『ホンジナシ』『ハンカクサイ』…。全国各地には、その土地以外の人は聞いたことがなかった、これらの言葉が生きていたのです。では、それらの言葉は一体何なのか。その新たな謎に、著者と番組スタッフは向きあうことになります。

読んでみると分かりますが、著者は読み手が唸るほど、すさまじい量の資料に目を通し、そしてそれらの謎を一つひとつ読み解いていきます。そしてもはや娯楽番組の一企画という殻を破り、まさに知で知を磨く積み重ねの中から、これまでこれほど身近でありながら、誰もちゃんと研究してこなかった『アホ・バカ』というものの姿を、初めて浮かび上がらせていくのです。それはいつしか「言語地理学」における、立派な研究となっていきました。

著者は、最後に『アホ』と『バカ』はそもそも何だったのかについて、自らの説を打ち立てます。それは『アホ・バカ』調査のクライマックスであり、かつ核心となるものでしたが、私はこのクライマックスにかけての文章を追いながら、あまりの衝撃感動で、ほんまに胸が震えてきました。どこまでも真実に迫ろうとする人間の情熱と真剣さが、怖くなるくらいの発想と想像力をもって、その結論を導き出したのでした。著者は最後にその結論を、調査仲間に発表するのですが、その時の仲間とのやりとりは正直、鬼!です。私の表現力を持ってしては、「鬼」としか表現できません。その含意は、知を知で磨く調査の中心にいたのは、紛れもなく確かな実力と発想を持った、人間味溢れる猛者たちで、一体どこまで高みに行ってしまうんやという、読み手が恐ろしさを覚えるほどの爽快な見晴らしを見せてくれたというところでしょうか。

個人的に最も印象に残っているのは、沖縄で使われている『フリムン』の解読に際しての場面で、琉球の人々が先祖から受け継いできた大切な言葉であることをどこまでも信じたからこそ、その真実に迫ることが出来た、著者の熱意と魂に、自然と涙が出てきました。

みなさん、まだお読みになっていなければ、是非この『アホ・バカ』を辿る、どこまでもあほらしくて、どこまでも真剣な知の旅に出かけられることをお勧めします。

そうそう、肝心の『アホ・バカ』についてですが、一つだけ。実は『バカ』よりも『アホ』の方が、新しい言葉だったのです。そして『アホ』の本拠地、近畿も昔は『バカ』の本拠地だった!?現在、近畿の『アホ』が東西の『バカ』にはさまれているという事実は、「方言周圏論」に照らしてみれば…。おっと、あとは読んでからのお楽しみです。

ここに本当の「学び」の豊かさと楽しさを見つけることが出来ました。どこまでも恐ろしい奇跡の調査、その軌跡が詰まった本書は、文句なしに一読以上の価値ありです。

追記1:2006年3月22日(水)

先日、「さんまのスーパーからくりTV」の生徒だけの学級会という人気コーナーをたまたま見ていたところ、ある先生が「たわけ」という言葉を使われました。もしかしてと思って注意してみていると、やはり岐阜県高山市の高校の先生でした。ここはまさに「たわけ文化圏」なんですね。

個人的には「たわけ」と聞くと、NHK大河ドラマ「葵 徳川三代」で徳川家康を演じた、津川雅彦さんの顔が浮かんできます。江戸幕府をひらいた徳川家康は三河の出身。当然家臣も三河から江戸へと行ったわけで、そのために「たわけ」は江戸の武士の言葉として広がり、そのことから今も時代劇などで「たわけ」が使われているようです。

もう一つ、九州でも「バカ」が使われているということに関連して、WBC(ワールドベースボールクラシック)で世界一になった王JAPANの一員で、九州のイチローと呼ばれているという川崎宗則選手のご両親が、決勝戦をテレビ観戦されている場面が先日放送されていました。

川崎選手は鹿児島県出身で、ご両親もおそらく九州の方だと思うのですが、お父さんが観戦中に思わず熱が入り、「バカ」と言っていました。あぁやっぱり「バカ」を使ってるんやと頷きながら、標準語とは少し違う、なまりの入った「バカ」からは何とも言えない温かみが感じられました。そういえば、博多出身の武田鉄也さんも「ばかちん」って言ってましたね。やはり九州では「バカ」が勢力を広げているようですね。

◎関連リンク◎

全国アホ・バカ分布考(新潮社)

探偵!ナイトスクープ(朝日放送)

探偵!ナイトスクープ 情報放送局

馬鹿(Wikipedia)

全国方言談話データベース「日本のふるさとことば集成」(国立国語研究所)

全国方言WEB ほべりぐ

『全国アホバカ分布考』松本修(松岡正剛の千夜千冊)

登録番号61 アホ(asahi.com 勝手に関西世界遺産)

・『探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子』 松本修 2005.4 ポプラ社

・『日本の方言地図』 徳川宗賢 1979.1 中央公論新社(中公新書)

はっちの太鼓本 乱打太鼓本だ~♪どどんがどんっ!

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