カテゴリー「命」の5件の記事

2015年1月20日 (火)

93冊目 『聲の形』

元気が出てきたので、久々に書評記事を書きたいと思います。

今回私が紹介するのは、

『聲の形』 大今良時 2013.11 講談社(講談社コミックス マガジン)

聲の形』 大今良時 2013.11 講談社(講談社コミックス マガジン)

という本です。『こえのかたち』と読みます。全7巻で、昨年12月に7巻が発売されて、完結したところです。

物語は、小学6年生の石田将也のクラスに、西宮硝子が転校してきたことから動き始めます。硝子は聴覚障害者でした。

日々、退屈なことを嫌い、仲間とつるんで元気が有り余っていた将也は、硝子に目をつけます。今まで関わったことのないタイプの硝子をからかい始めたのです。いや、将也本人にはからかいの自覚は無かったかもしれません。

しかし、将也の行為は次第にエスカレートしていき、硝子は共に卒業することなく、また転校を余儀なくされます。硝子が転校した後、今度は将也が仲間から「外され」、中学、高校と誰とも関わろうとせず、一人生きていました。

将也は決心します。6年生の時に離れて以来の硝子に会おうと。会って、命を捨てようと…。

1巻は読んでいて辛くなる展開です。感情移入したくなる人物がいない、子どもも親も先生も…。子ども時代のいじめは残酷です。ここまでやるか、誰も止めないのかと、読んでいて腹が立ってきます。

しかし、全7巻を読んだ今言えるのは、これほど人間の気持ちを揺さぶる、考えさせられる漫画は久しぶりだなと。

自らの過ちに気が付いたとき、人にはそれぞれの選択があります。忘れてしまうことも、気がつかなかったことにしてしまうことも出来る。しかし、将也の選んだ道は、二度と取り戻せない、あの小学生の日々と、そして自分が傷つけた硝子と、正面から対峙することだったのです。

いじめも聴覚障害も、両方とも重いテーマではあります。が、『聲の形』はそれを訴えたいのだけではないと感じました。もう取り戻せない過去とどう向き合うのかという人間としての選択、人生における時間の使い方、責任の取り方。。。

読み手は、『聲の形』の世界に入る中で、きっと自分自身をもえぐられると思います。だからこの作品を読まないという選択も出来ます。しかし、私は、この作品を多くの人に読んでほしいと思いました。

加害者と被害者、しかしそれは本当にそうなのか。簡単に分けてしまうことで見えなくなることがあるのではないか。人にはそれぞれ生きていくうえで、どうしようもないことがあります。だからこそ、人の声に耳を傾けることが必要ではないか。時には声なき声に。。。

『聲の形』に出会えたことに感謝します。

◎関連リンク◎

聲の形(マガメガ MAGAMEGA)

聲の形(1) [作]大今良時(BOOK asahi.com)

はっちの太鼓本 太鼓本だ~♪どどんがどんっ!

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2008年2月17日 (日)

57冊目 『脱出記』

「歩く」ということの可能性。

より速く、より容易に移動できるように人類は時代とともに移動手段を発達させ続けてきました。生まれたときからその快適さや便利さを享受している私たちがもしも今、何の道具も交通も持たずにこの大地に立ったとしたら?どうしても目的地に行きたい私は、おそらく歩き始めるでしょう。いつかそこに辿り着ける可能性を信じて。

もしも○○だったらと考え、そしてそれを述べるということは、あくまで私の頭の中の出来事にすぎませんが、人類が経験してきた多くの時間と空間の中で、「歩く」ということがまさに命を切り開いてきた、ということを教えてくれるひとつの歴史と私は出会いました。今回私が紹介するのは、

『脱出記』 スラヴォミール・ラウイッツ 2007.11 ヴィレッジブックス

脱出記』 スラヴォミール・ラウイッツ 2007.11 ヴィレッジブックス

という本です。

この歴史の「証言」は、ラウイッツが尋問と拷問を受けているところから語られ始めます。第二次世界大戦のさなか、スパイ容疑でソ連当局に逮捕されたポーランド陸軍のラウイッツ(当時二十代半ば)。

無実にもかかわらず、罪を認めるよう迫られ続けた監獄での日々。やがて始まった裁判により、ラウイッツは強制労働25年の刑を言い渡され、シベリアの強制収容所へと送られることになります。

シベリアへの旅路は壮絶なもので、貨物列車にぎゅうぎゅう詰めにされ輸送された挙句、今度は苛烈な徒歩での移動が始まり、強制収容所に着くまでに、何人もの受刑者が命を落としていきました。

収容所での日々の中で、ラウイッツは様々な出会いを果たし、この収容所を脱出することを考え始めます。そして脱出計画に賛同し集まった6人の仲間とともに、その日に向けて工夫して準備した装備をもってついに脱出し、一路南を目指して、あまりにも長く過酷な旅をまさに言葉通り「歩み」はじめたのでした。

極寒のシベリア、モンゴルの大草原、灼熱のゴビ砂漠、そしてヒマラヤ越え…。

ただでさえシベリアへ輸送されてくるまでに、各人が体力を奪われ体に傷を負い、そして不十分な装備しかないまま始まった脱出の旅。それは人間が極限まで追い詰められ、しかしそれでもなお生きることを、自由を、何よりも人間としての尊厳を諦めなかったからこそ、確かに刻まれた人類の命の刻印ともいえる旅だったのではないでしょうか。

道中に起こった最初の悲劇に、私は呆然とし、この自由への道程をどこかで「物語」として消費しようとしていた自身の認識の甘さに気づかされました。脱出することが目的ではなく、もう一度自由の身になるために始まった旅は、本当に命がけの、しかも何の保障もない、毎日が死と隣り合わせの逃避行だったのです。

過酷な旅の途中、彼らは行く先々の土地の住民と交流しています。それは旅の醍醐味的な位置づけのものではなく、まさに生死の境を彷徨っている彼らにとって、食糧を獲得するための重要な機会でした。極限にあっても、言葉が思うように通じなくても、人間同士が分かり合い、分かち合おうとする場面一つひとつに、温かさを感じずにはいられませんでした。

旅の行き着いた先を見届けたあと、この冒険譚が私たちの生きている時間軸を少しだけ戻ったところに確かにあったことを思いながら、地球上のどこかで今も眠り続けている彼らの安息を祈ることしか出来ませんでした。

本書『脱出記』が、自由のために生き、そして死んでいった、すべての人々を思い出すよすがとして、また、さまざまな理由から、みずから声を発するわけにいかなかった人々の記念として、末永く残るように私は望みます。私はこの物語を、いま生きている人々への警告として、また、より大きな善に対する道義をわきまえた判断の一例として、書かないわけにいかなかったのです。

一九五六年二月

ロンドンにて

スラヴォミール・ラウイッツ(P6)

◎関連リンク◎

脱出記(Sony Magazines CATCH BON!)

脱出記(WEB本の雑誌)

・『ラオスからの生還』 ディーター・デングラー 1994.1 大日本絵画

・『ヒマラヤのスパイ』 シドニー・ウィグノール 1997.12 文藝春秋

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● 脱出記 スラヴォミール・ラウイッツ(本を読んだら・・・by ゆうき)

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2007年7月17日 (火)

43冊目 『夕凪の街 桜の国』

その日、一つの都市が一瞬で廃墟と化し、人々は生きたまま地獄の業火に焼かれ崩れた。60数年前のあの日は、この空が途切れることなく遠くの国へと続いているように、確かにこの現代と繋がっている。あの日はあれから終わっていない、終わりなどなく、おそらくこれからも人類と寄り添い続けていくのであろう。命のバトンが引き継がれていく限り…。私が手に取ったのは、

『夕凪の街 桜の国』 こうの史代 2004.10 双葉社

夕凪の街 桜の国』 こうの史代 2004.10 双葉社

という本でした。

夕凪が吹き抜ける街を裸足で歩く皆実。彼女の笑顔と天真爛漫な素振りは、きっと多くの人の心を掴んだことでしょう。年頃の皆実には打越さんという気になる職場の同僚がいて、二人は近づきそうで近づかない。皆実、どうして。

そう、皆実は現代を生きてはいなかった。皆実が生きていたのは、原爆投下から10年が経った広島の地だった。もしも皆実と打越さんが時代と場所を越えて出会えたのならば、二人の未来は違ったものになっていたのかもしれない。

どうして皆実はこんな目に遭わなければならなかったのか。そうだ、きっとそうなのだ。「皆実」と同じように、あの日広島にいた数十万人の一人ひとりが、そんな思いの中で命果て、そして生きてきたのだ。原爆は数十万人の名も無き人々に投下されたのではなく、自分を生きていた「私」に投下された。

私は生きている、けれども私は死んでしまった。私は死んだはずなのに生きている。幸せになりたい…もっと生きたい…。

命は悲痛に叫ぶ、そして私の目が再び何かを映すことは二度となかった。

あの日を境に失われてしまったたくさんの命のバトン。命は繋がっている、だから私たちの命もやはりあの日と繋がっている。あの日は終わってはいない。

桜の国に住む七波と凪生の物語、それはあの日からすっかり時間も空間も遠くなってしまったところで語られる。二人が子どもの頃にチラッと垣間見られた何かの影は、時を現代に移し二人を大人にしたとき、色濃くなって現れたのだった。

夕凪の街の中で私は頁を繰りたくなかった、なぜならその先にはただただ深い悲しみが予見されるだけだったから。私は17頁のあたりを何度も行き来してみた。けれど、時が止まったり何度も繰り返すことは現実ではないのだと改めて痛感した。

私が先へ行くことを渋っても、時は流れてきたのだということ。あの日から、時は止まることなく流れてきたのだということ。たくさんの終わらない物語が終わらないまま今もあるのだということ。

広島の、「ヒロシマ」。原爆ドームの前に立ったとき、それは建物だけれども、「時間」なのだと私は感じました。目の前には「その日」がありました。原爆が「与えた」ものなんてあるのだろうか、「奪った」ものの多さを思いながら、水と緑に潤った平和公園を歩きました。平和記念資料館内の売店には、『はだしのゲン』と並んで、本書がたくさん置かれていました。

今月には映画も公開されます。皆実と七波、時代を超えて語られる二人の物語を前にしたときに、自分の心に映ったものを大切にしないといけないと思いました。

追記1:2007年7月28日(土)

今日から全国で公開が始まった「夕凪の街 桜の国」ですが、私も早速映画館に足を運んできました。物語の展開は若干コミックス版と設定等が変わっていましたが、登場人物たちが口にする台詞の重さを目の当たりにし、何ともいえない思いにとらわれながら鑑賞しました。

皆実役の麻生久美子さんと打越役の吉沢悠さんのやりとりがとても素敵で、願いが叶うことなく皆実の命が朽ちてしまったことに改めて心を締め付けられました。「桜の国」編では、ラストシーンで七波役の田中麗奈さんが見せた素直な涙に思いが溢れだして、素晴らしい劇中音楽とあいまったエンドロールで涙を堪えることは出来ませんでした。

◎関連リンク◎

夕凪の街 桜の国(双葉社)

インタビュー こうの史代(Yahoo!ブックス)

今月のプラチナ本!『夕凪の街 桜の国』(WEBダ・ヴィンチ)

平成16年度 文化庁メディア芸術祭 大賞 夕凪の街 桜の国(文化庁メディア芸術プラザ)

第9回手塚治虫文化賞 新生賞 『夕凪の街 桜の国』(asahi.com)

映画『夕凪の街 桜の国』

原作者 こうの史代さん インタビュー(映画『夕凪の街 桜の国』 Official Blog)

映画「夕凪の街 桜の国」に込める思い(YouTube)

・『小説 夕凪の街 桜の国』 国井桂 2007.7 双葉社

広島を歩く(2007年3月4日)

はっちの太鼓本 太鼓本だ~♪どどんがどんっ!

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2007年3月10日 (土)

35冊目 『ガラスの地球を救え』

『火の鳥』『ブラック・ジャック』『ブッダ』、10代の多感なときにたくさんの手塚作品に触れ、人間の業や苦しみを、そして生命の輝きをそこに感じたことが懐かしく思い出されます。最近では『どろろ』が映画化されて話題になりましたが、亡くなられてなお、その作品群がますます輝き続ける手塚作品に通底するものとは一体何なのでしょうか。今回私が手に取ったのは、

『ガラスの地球を救え』 手塚治虫 1996.9 光文社(知恵の森文庫)

ガラスの地球を救え』 手塚治虫 1996.9 光文社(知恵の森文庫)

という本でした。手塚作品は現在でも刊行され続けており、一体その生涯を通じてどれだけの作品を残されたのだろうかと思っていましたが、本書の「刊行によせて」によると、

昭和二十一年、十七歳でデビューして以来、ただただマンガとアニメーションに生きた人でした。マンガ七百余作品、アニメーション六十余作品、マンガの原稿総枚数はじつに、十五万枚以上にのぼります。(P3)

とありました。マンガ七百余作品とあり、いかに手塚作品の全貌を掴むことが難しいかが分かりました。しかし考え様によっては、いつまでも手塚先生の「新作」に出会い続けることが出来るともいえ、それは一読者として非常に嬉しいことです。

私にとっての手塚作品のイメージ、それは「生命の尊厳」「戦争の悲惨さ」、そして「人類の未来」。人間の光と影、その両方を自らの命をもって書き尽くされた方だという印象があります。今でも心に残っているのが未来社会を書いたあるマンガで、食べ物は栄養補給のためだけに存在していて食事を楽しむことは出来ず、空を飛ぶ鳥は絶滅してしまったために機械仕掛けのものである、という描写があったことです。そのような作品に触れたとき、私は当たり前のように目の前にあった毎日の食事の風景や、人工ではない植物や鳥の鳴き声がどれだけ素晴らしいものなのか、改めて気づかされたのでした。

手塚先生は、人類の未来について常に考えられていたようです。数ある作品の中から代表作を選ぶことは難しいですが、世代を超えて愛されている作品に『鉄腕アトム』があります。

これまでずいぶん未来社会をマンガに描いてきましたが、じつはたいへん迷惑していることがあります。というのはぼくの代表作と言われる『鉄腕アトム』が、未来の世界は技術革新によって繁栄し、幸福を生むというビジョンを掲げているように思われていることです。

「アトム」は、そんなテーマで描いたわけではありません。自然や人間性を置き忘れて、ひたすら進歩のみをめざして突っ走る科学技術が、どんなに深い亀裂や歪みを社会にもたらし、差別を生み、人間や生命あるものを無残に傷つけていくかをも描いたつもりです。

ロボット工学やバイオテクノロジーなど先端の科学技術が暴走すれば、どんなことになるか、幸せのための技術が人類滅亡の引き金ともなりかねない、いや現になりつつあることをテーマにしているのです。(P26-27)

科学技術の発展は、人類全体の未来を考えるという高い倫理観を伴なってこそのものであって、そのバランスが崩れてしまえば、手塚先生の言う「科学技術の暴走」が起こることは容易に想像できます。

日本のロボット技術の発展の背景として、「鉄腕アトム」の存在が大きかったということをよく耳にします。年々高まっていくロボットの性能を目の当たりにすると、人間とロボットとの関係は極めて今日的な課題として重要になってきていると実感します。手塚作品はその重要で難しい課題に私たちが向き合わねばならないとき、必ず多くの示唆を与えてくれると思います。以前ここで書いた山海さんも同じ心を持っていると思います。

ようこそ山海さん(2006年12月3日)

手塚作品の特徴の一つとして、魅力のある悪役の存在を挙げることが出来ます。もしも勧善懲悪のストーリーばかりであったなら、作品の厚みも深みもこれほどまでに豊かではなかったことでしょう。本書の、「〝悪〟の魅力」「負のエネルギー」という項目で手塚先生が述べられている、人間の「善」と「悪」の二面性についての認識と、自分自身を関連させた話は非常に面白かったです。

本書を読み進めていくと誰もが必ず気づくはずです。いかに手塚先生が「子どもたち」のことを考え、人類の未来を憂えていたのかを。手塚先生の子ども時代の経験、そして悲惨な戦争体験が本書でも語られていますが、それらはすべて、未来を築いていく「子どもたち」に向けて必死で「思い」を伝えようとしてのものであることが分かりました。もちろん、手塚作品にもその思想は通底しており、そこから気づくことも多いのですが、こうして文章となって直接的にその「思い」が語られると、手塚作品を支えてきた土台とも言うべき巨大なエネルギーの源を見た思いがしました。

本書のタイトル『ガラスの地球を救え』には、副題として「21世紀の君たちへ」という言葉が添えられています。人類の未来を憂えながら、21世紀を生きることが出来なかった手塚先生、その「思い」を21世紀に生きる私たちが学び、受け取ることは手塚先生が喜ばれることなのではないかと思います。

昨秋、NHKで「ラストメッセージ」という番組が放送されて、その第一集には手塚治虫さんが選ばれていました。非常に素晴らしい内容で心に残っていたのですが、3月11日(日)の24時40分(12日(月)の0時40分)から再放送されるそうです。まだご覧になっていなければ、ぜひこの機会にご覧になられることをオススメします。(関係者じゃありません…汗)

◎関連リンク◎

ガラスの地球を救え(光文社)

ラストメッセージ 第1集 「こどもたちへ 漫画家・手塚治虫」(NHK)

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2006年11月 6日 (月)

22冊目 『旭山動物園園長が語る 命のメッセージ』

ずいぶんと長い間、動物園に行っていない気がします。いや、そういえば動物園に行った記憶がない?先日、図書館でふと目に留まったのが「旭山動物園」という文字。手に取ってみると、旭山動物園の園長さんの本でした。動物園といえば、今や「旭山動物園」と言われるくらい、マスコミでも取り上げられ、ドラマ化もされ、私もちょっと気になっていたので、早速読んでみることにしました。今回紹介するのは、

『旭山動物園園長が語る 命のメッセージ』 小菅正夫 2005.8 竹書房

旭山動物園園長が語る 命のメッセージ』 小菅正夫 2005.8 竹書房

という本です。

まず目次を見てみると、

はじめに

第一章 生き物に夢中だった少年時代

第二章 命を伝える動物園

第三章 生きる意味って何だろう?

第四章 動物から学ぶ親子の関係

第五章 考える力、発見する目

おわりに

となっています。

タイトルにもあるように、園長の小菅さんが語られたことが本になっているので、平易で読みやすい文章でした。内容はというと、小菅さんが動物たちと関わってきた中で学んできたこと、感じてきたことを、「命のメッセージ」として読者に投げかけるものになっています。全体を通して、人間社会が行き詰まってきている今こそ、動物の生き方、そして、その命から多くのことが学べるのではないかという強い思いが感じられました。

第二章の「命を伝える動物園」では、旭山動物園がどのような信念と思いによって現在の姿になったのかがよく伝わってきます。

もちろん命を伝えることは「こども牧場」だけではなく、旭山動物園全体の命題です。ですから、僕たちは、動物たちが弱って動けなくなって死ぬところまできちんと展示します。動物の老いも隠さないし、死を伝えることも全く厭いません。なぜかといえば、死を伝えることなくして、命を伝えることなどできないからです。(P55)

動物園で何かの動物の赤ちゃんが生まれたときだけ「生まれました!」と宣伝してお客さんを喜ばせ、いざ死にそうになったら、今度はかっこ悪いからと言って、奥にしまって見せないようにする。そして、その動物は人知れず死んでいく。そんなことをしていたら命は伝わらないと僕は考えています。動物は本当に堂々と死んでいきますよ。「じゃあな」と言って去っていくのです。(P58)

小菅さんは、自身が子どものときの様々な生き物との関わりを思い出しながら、現代の子どもたちと動物とが触れ合える機会が極端に減っていることを大変危惧されていました。そうした思いが、園内で直に動物と触れ合えるスペースが確保されていることに繋がっているようです。

子育てや家族のあり方について、そして小学校へのインターネット導入についての話は、その思いが分かると同時に、やや願いが先行しすぎて、現代社会の土台に根を下ろしていない、少し時代回顧的な印象も受けました。

もう少し、旭山動物園について詳しく知りたかったのですが、この本はタイトルに銘打たれているように、小菅さんの「メッセージ」なので、どのような思いで動物園に関わられているのかという、その気持ちはすごく伝わってきました。旭山動物園に関して、他にも本が出ているようなので、そちらも読んでみたいと思いました。もちろん、旭山動物園に足を運べたら、それが一番なのですが。

現代の日常生活でなかなか伝わらなくなってしまった「命」を、何とかして伝えたい。僕が今、旭山動物園の園長をしながらいつも心で願っているのはこのことです。(P16)

◎関連リンク◎

旭山動物園公式ホームページ

旭山動物園写真館(ほぼ日刊イトイ新聞)

旭山動物園:終了の夏期営業 入場者230万人超す(MSN毎日インタラクティブ)

be between テーマ:動物園(asahi.com)

・『「旭山動物園」革命』 小菅正夫 2006.2 角川書店

・『戦う動物園 旭山動物園と到津の森公園の物語』 小菅正夫 岩野俊郎 2006.7 中央公論新社

・『旭山動物園のつくり方』 原子禅 2005.4 柏艪舎

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