カテゴリー「戦争・平和」の5件の記事

2008年2月17日 (日)

57冊目 『脱出記』

「歩く」ということの可能性。

より速く、より容易に移動できるように人類は時代とともに移動手段を発達させ続けてきました。生まれたときからその快適さや便利さを享受している私たちがもしも今、何の道具も交通も持たずにこの大地に立ったとしたら?どうしても目的地に行きたい私は、おそらく歩き始めるでしょう。いつかそこに辿り着ける可能性を信じて。

もしも○○だったらと考え、そしてそれを述べるということは、あくまで私の頭の中の出来事にすぎませんが、人類が経験してきた多くの時間と空間の中で、「歩く」ということがまさに命を切り開いてきた、ということを教えてくれるひとつの歴史と私は出会いました。今回私が紹介するのは、

『脱出記』 スラヴォミール・ラウイッツ 2007.11 ヴィレッジブックス

脱出記』 スラヴォミール・ラウイッツ 2007.11 ヴィレッジブックス

という本です。

この歴史の「証言」は、ラウイッツが尋問と拷問を受けているところから語られ始めます。第二次世界大戦のさなか、スパイ容疑でソ連当局に逮捕されたポーランド陸軍のラウイッツ(当時二十代半ば)。

無実にもかかわらず、罪を認めるよう迫られ続けた監獄での日々。やがて始まった裁判により、ラウイッツは強制労働25年の刑を言い渡され、シベリアの強制収容所へと送られることになります。

シベリアへの旅路は壮絶なもので、貨物列車にぎゅうぎゅう詰めにされ輸送された挙句、今度は苛烈な徒歩での移動が始まり、強制収容所に着くまでに、何人もの受刑者が命を落としていきました。

収容所での日々の中で、ラウイッツは様々な出会いを果たし、この収容所を脱出することを考え始めます。そして脱出計画に賛同し集まった6人の仲間とともに、その日に向けて工夫して準備した装備をもってついに脱出し、一路南を目指して、あまりにも長く過酷な旅をまさに言葉通り「歩み」はじめたのでした。

極寒のシベリア、モンゴルの大草原、灼熱のゴビ砂漠、そしてヒマラヤ越え…。

ただでさえシベリアへ輸送されてくるまでに、各人が体力を奪われ体に傷を負い、そして不十分な装備しかないまま始まった脱出の旅。それは人間が極限まで追い詰められ、しかしそれでもなお生きることを、自由を、何よりも人間としての尊厳を諦めなかったからこそ、確かに刻まれた人類の命の刻印ともいえる旅だったのではないでしょうか。

道中に起こった最初の悲劇に、私は呆然とし、この自由への道程をどこかで「物語」として消費しようとしていた自身の認識の甘さに気づかされました。脱出することが目的ではなく、もう一度自由の身になるために始まった旅は、本当に命がけの、しかも何の保障もない、毎日が死と隣り合わせの逃避行だったのです。

過酷な旅の途中、彼らは行く先々の土地の住民と交流しています。それは旅の醍醐味的な位置づけのものではなく、まさに生死の境を彷徨っている彼らにとって、食糧を獲得するための重要な機会でした。極限にあっても、言葉が思うように通じなくても、人間同士が分かり合い、分かち合おうとする場面一つひとつに、温かさを感じずにはいられませんでした。

旅の行き着いた先を見届けたあと、この冒険譚が私たちの生きている時間軸を少しだけ戻ったところに確かにあったことを思いながら、地球上のどこかで今も眠り続けている彼らの安息を祈ることしか出来ませんでした。

本書『脱出記』が、自由のために生き、そして死んでいった、すべての人々を思い出すよすがとして、また、さまざまな理由から、みずから声を発するわけにいかなかった人々の記念として、末永く残るように私は望みます。私はこの物語を、いま生きている人々への警告として、また、より大きな善に対する道義をわきまえた判断の一例として、書かないわけにいかなかったのです。

一九五六年二月

ロンドンにて

スラヴォミール・ラウイッツ(P6)

◎関連リンク◎

脱出記(Sony Magazines CATCH BON!)

脱出記(WEB本の雑誌)

・『ラオスからの生還』 ディーター・デングラー 1994.1 大日本絵画

・『ヒマラヤのスパイ』 シドニー・ウィグノール 1997.12 文藝春秋

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● 脱出記 スラヴォミール・ラウイッツ(本を読んだら・・・by ゆうき)

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2007年7月17日 (火)

43冊目 『夕凪の街 桜の国』

その日、一つの都市が一瞬で廃墟と化し、人々は生きたまま地獄の業火に焼かれ崩れた。60数年前のあの日は、この空が途切れることなく遠くの国へと続いているように、確かにこの現代と繋がっている。あの日はあれから終わっていない、終わりなどなく、おそらくこれからも人類と寄り添い続けていくのであろう。命のバトンが引き継がれていく限り…。私が手に取ったのは、

『夕凪の街 桜の国』 こうの史代 2004.10 双葉社

夕凪の街 桜の国』 こうの史代 2004.10 双葉社

という本でした。

夕凪が吹き抜ける街を裸足で歩く皆実。彼女の笑顔と天真爛漫な素振りは、きっと多くの人の心を掴んだことでしょう。年頃の皆実には打越さんという気になる職場の同僚がいて、二人は近づきそうで近づかない。皆実、どうして。

そう、皆実は現代を生きてはいなかった。皆実が生きていたのは、原爆投下から10年が経った広島の地だった。もしも皆実と打越さんが時代と場所を越えて出会えたのならば、二人の未来は違ったものになっていたのかもしれない。

どうして皆実はこんな目に遭わなければならなかったのか。そうだ、きっとそうなのだ。「皆実」と同じように、あの日広島にいた数十万人の一人ひとりが、そんな思いの中で命果て、そして生きてきたのだ。原爆は数十万人の名も無き人々に投下されたのではなく、自分を生きていた「私」に投下された。

私は生きている、けれども私は死んでしまった。私は死んだはずなのに生きている。幸せになりたい…もっと生きたい…。

命は悲痛に叫ぶ、そして私の目が再び何かを映すことは二度となかった。

あの日を境に失われてしまったたくさんの命のバトン。命は繋がっている、だから私たちの命もやはりあの日と繋がっている。あの日は終わってはいない。

桜の国に住む七波と凪生の物語、それはあの日からすっかり時間も空間も遠くなってしまったところで語られる。二人が子どもの頃にチラッと垣間見られた何かの影は、時を現代に移し二人を大人にしたとき、色濃くなって現れたのだった。

夕凪の街の中で私は頁を繰りたくなかった、なぜならその先にはただただ深い悲しみが予見されるだけだったから。私は17頁のあたりを何度も行き来してみた。けれど、時が止まったり何度も繰り返すことは現実ではないのだと改めて痛感した。

私が先へ行くことを渋っても、時は流れてきたのだということ。あの日から、時は止まることなく流れてきたのだということ。たくさんの終わらない物語が終わらないまま今もあるのだということ。

広島の、「ヒロシマ」。原爆ドームの前に立ったとき、それは建物だけれども、「時間」なのだと私は感じました。目の前には「その日」がありました。原爆が「与えた」ものなんてあるのだろうか、「奪った」ものの多さを思いながら、水と緑に潤った平和公園を歩きました。平和記念資料館内の売店には、『はだしのゲン』と並んで、本書がたくさん置かれていました。

今月には映画も公開されます。皆実と七波、時代を超えて語られる二人の物語を前にしたときに、自分の心に映ったものを大切にしないといけないと思いました。

追記1:2007年7月28日(土)

今日から全国で公開が始まった「夕凪の街 桜の国」ですが、私も早速映画館に足を運んできました。物語の展開は若干コミックス版と設定等が変わっていましたが、登場人物たちが口にする台詞の重さを目の当たりにし、何ともいえない思いにとらわれながら鑑賞しました。

皆実役の麻生久美子さんと打越役の吉沢悠さんのやりとりがとても素敵で、願いが叶うことなく皆実の命が朽ちてしまったことに改めて心を締め付けられました。「桜の国」編では、ラストシーンで七波役の田中麗奈さんが見せた素直な涙に思いが溢れだして、素晴らしい劇中音楽とあいまったエンドロールで涙を堪えることは出来ませんでした。

◎関連リンク◎

夕凪の街 桜の国(双葉社)

インタビュー こうの史代(Yahoo!ブックス)

今月のプラチナ本!『夕凪の街 桜の国』(WEBダ・ヴィンチ)

平成16年度 文化庁メディア芸術祭 大賞 夕凪の街 桜の国(文化庁メディア芸術プラザ)

第9回手塚治虫文化賞 新生賞 『夕凪の街 桜の国』(asahi.com)

映画『夕凪の街 桜の国』

原作者 こうの史代さん インタビュー(映画『夕凪の街 桜の国』 Official Blog)

映画「夕凪の街 桜の国」に込める思い(YouTube)

・『小説 夕凪の街 桜の国』 国井桂 2007.7 双葉社

広島を歩く(2007年3月4日)

はっちの太鼓本 太鼓本だ~♪どどんがどんっ!

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2007年3月10日 (土)

35冊目 『ガラスの地球を救え』

『火の鳥』『ブラック・ジャック』『ブッダ』、10代の多感なときにたくさんの手塚作品に触れ、人間の業や苦しみを、そして生命の輝きをそこに感じたことが懐かしく思い出されます。最近では『どろろ』が映画化されて話題になりましたが、亡くなられてなお、その作品群がますます輝き続ける手塚作品に通底するものとは一体何なのでしょうか。今回私が手に取ったのは、

『ガラスの地球を救え』 手塚治虫 1996.9 光文社(知恵の森文庫)

ガラスの地球を救え』 手塚治虫 1996.9 光文社(知恵の森文庫)

という本でした。手塚作品は現在でも刊行され続けており、一体その生涯を通じてどれだけの作品を残されたのだろうかと思っていましたが、本書の「刊行によせて」によると、

昭和二十一年、十七歳でデビューして以来、ただただマンガとアニメーションに生きた人でした。マンガ七百余作品、アニメーション六十余作品、マンガの原稿総枚数はじつに、十五万枚以上にのぼります。(P3)

とありました。マンガ七百余作品とあり、いかに手塚作品の全貌を掴むことが難しいかが分かりました。しかし考え様によっては、いつまでも手塚先生の「新作」に出会い続けることが出来るともいえ、それは一読者として非常に嬉しいことです。

私にとっての手塚作品のイメージ、それは「生命の尊厳」「戦争の悲惨さ」、そして「人類の未来」。人間の光と影、その両方を自らの命をもって書き尽くされた方だという印象があります。今でも心に残っているのが未来社会を書いたあるマンガで、食べ物は栄養補給のためだけに存在していて食事を楽しむことは出来ず、空を飛ぶ鳥は絶滅してしまったために機械仕掛けのものである、という描写があったことです。そのような作品に触れたとき、私は当たり前のように目の前にあった毎日の食事の風景や、人工ではない植物や鳥の鳴き声がどれだけ素晴らしいものなのか、改めて気づかされたのでした。

手塚先生は、人類の未来について常に考えられていたようです。数ある作品の中から代表作を選ぶことは難しいですが、世代を超えて愛されている作品に『鉄腕アトム』があります。

これまでずいぶん未来社会をマンガに描いてきましたが、じつはたいへん迷惑していることがあります。というのはぼくの代表作と言われる『鉄腕アトム』が、未来の世界は技術革新によって繁栄し、幸福を生むというビジョンを掲げているように思われていることです。

「アトム」は、そんなテーマで描いたわけではありません。自然や人間性を置き忘れて、ひたすら進歩のみをめざして突っ走る科学技術が、どんなに深い亀裂や歪みを社会にもたらし、差別を生み、人間や生命あるものを無残に傷つけていくかをも描いたつもりです。

ロボット工学やバイオテクノロジーなど先端の科学技術が暴走すれば、どんなことになるか、幸せのための技術が人類滅亡の引き金ともなりかねない、いや現になりつつあることをテーマにしているのです。(P26-27)

科学技術の発展は、人類全体の未来を考えるという高い倫理観を伴なってこそのものであって、そのバランスが崩れてしまえば、手塚先生の言う「科学技術の暴走」が起こることは容易に想像できます。

日本のロボット技術の発展の背景として、「鉄腕アトム」の存在が大きかったということをよく耳にします。年々高まっていくロボットの性能を目の当たりにすると、人間とロボットとの関係は極めて今日的な課題として重要になってきていると実感します。手塚作品はその重要で難しい課題に私たちが向き合わねばならないとき、必ず多くの示唆を与えてくれると思います。以前ここで書いた山海さんも同じ心を持っていると思います。

ようこそ山海さん(2006年12月3日)

手塚作品の特徴の一つとして、魅力のある悪役の存在を挙げることが出来ます。もしも勧善懲悪のストーリーばかりであったなら、作品の厚みも深みもこれほどまでに豊かではなかったことでしょう。本書の、「〝悪〟の魅力」「負のエネルギー」という項目で手塚先生が述べられている、人間の「善」と「悪」の二面性についての認識と、自分自身を関連させた話は非常に面白かったです。

本書を読み進めていくと誰もが必ず気づくはずです。いかに手塚先生が「子どもたち」のことを考え、人類の未来を憂えていたのかを。手塚先生の子ども時代の経験、そして悲惨な戦争体験が本書でも語られていますが、それらはすべて、未来を築いていく「子どもたち」に向けて必死で「思い」を伝えようとしてのものであることが分かりました。もちろん、手塚作品にもその思想は通底しており、そこから気づくことも多いのですが、こうして文章となって直接的にその「思い」が語られると、手塚作品を支えてきた土台とも言うべき巨大なエネルギーの源を見た思いがしました。

本書のタイトル『ガラスの地球を救え』には、副題として「21世紀の君たちへ」という言葉が添えられています。人類の未来を憂えながら、21世紀を生きることが出来なかった手塚先生、その「思い」を21世紀に生きる私たちが学び、受け取ることは手塚先生が喜ばれることなのではないかと思います。

昨秋、NHKで「ラストメッセージ」という番組が放送されて、その第一集には手塚治虫さんが選ばれていました。非常に素晴らしい内容で心に残っていたのですが、3月11日(日)の24時40分(12日(月)の0時40分)から再放送されるそうです。まだご覧になっていなければ、ぜひこの機会にご覧になられることをオススメします。(関係者じゃありません…汗)

◎関連リンク◎

ガラスの地球を救え(光文社)

ラストメッセージ 第1集 「こどもたちへ 漫画家・手塚治虫」(NHK)

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2007年3月 7日 (水)

34冊目 『となり町戦争』

「戦争」について考えることなんてずっと忘れていた気がする。いや、果たして本当に「戦争」について考えたことなんてあっただろうかと自分自身に問う。遠い世界の出来事よりも、リアルな日常生活の方が大切だったし、それに向かうのに必死だったというのも事実だ。考えるきっかけはどんな形でもいい、私が手に取ったのは、

『となり町戦争』 三崎亜記 2006.12 集英社(集英社文庫)

となり町戦争』 三崎亜記 2006.12 集英社(集英社文庫)

という本でした。

「僕」、北原修路は舞坂町に住んでいますが、それは車での通勤に条件が合うアパートがあったからという理由だけで、この町のことはほとんど知りません。

となり町との戦争がはじまる。そのことを知ったのは『広報まいさか』に載った小さな記事によってでした。通勤時にとなり町を通るため、開戦日だというその日、何が起こるか見当がつかないので早めに家を出た「僕」。となり町との境が近づき、不安と好奇心でハンドルを握りなおしたものの、となり町に入っても特に変わった雰囲気は感じられず、そうして何事もないまま日々は過ぎていきました。そんなある日、何気なく見た『広報まいさか』の町勢概況に「僕」の視線はくぎ付けになりました。

「戦死者十二人?」

戦争は確実に始まっていたのです。変わりのない日々の中、「僕」のもとに舞坂町役場から「戦時特別偵察業務従事者の任命について」の知らせが届きます。さらに、役場のとなり町戦争係の香西さんから辞令交付についての電話があり、「僕」はこの戦争の行方を知ることができるのならと、任命を受けることにします。確実に増えていく戦死者の数、しかし「僕」の目には戦争が見えず、何も分からないままでした…。

「ただぼくには、この町がやっている戦争ってものがまったく見えてこないし、いったい何のために戦っているのかも見当がつかないんですよ」

「戦争というものを、あなたの持つイメージだけで限定してしまうのは非常に危険なことです。戦争というものは、様々な形で私たちの生活の中に入り込んできます。あなたは確実に今、戦争に手を貸し、戦争に参加しているのです。どうぞその自覚をなくされないようにお願いいたします」(P46-47)

私は「僕」の気持ちをなぞりながら、この戦争の分からなさ、見えなさに一緒になって戸惑うばかりでした。香西さんは、なぜここまでこの戦争を「理解」出来ているのか、そしてなぜこの戦争を「拒否」しないのか。「僕」の周りの人々はこの戦争のことを「分かっていて」、「見えている」。「戦争」のことが何も分からず、見えない「僕」が逆に世界の中で浮いてしまっている。これまで同じ時代を生きていたはずの人々との間に認識や考え方の違いが確実にあったことを「僕」は理解します。

私には香西さんの存在自体が最後まで分かりませんでした。その口から出てくるのは「業務」「手続き」「運営」「事業」といった役所言葉が並べられた「戦争」についての説明であり、その行動はきちんと規則に則りながら、業務をこなしている。時折見せる人間らしさがあるのなら、なぜこの状況を肯定していられるのか。この分からなさが、静けさの中にあるとんでもない恐怖とでもいえる感情となって、「となり町戦争」を包んでいるような気がしました。

「分からなさ」に答えを与えてくれる人がいない以上、「僕」は、そして読み手である私は、自分自身でこの「戦争」を考えていくよりほかないのです。「見えない=存在しない」ことなのか、この「戦争」は必要悪として肯定されるべきものなのか、いや、そもそもこれは「戦争」なのだろうか。

この複雑化した社会の中で、戦争は、絶対悪としてでもなく、美化された形でもない、まったく違う形を持ち出したのではないか。実際の戦争は、予想しえないさまざまな形で僕たちを巻き込み、取り込んでいくのではないか。その時僕たちは、はたして戦争にNOと言えるであろうか。自信がない。僕には自信がない。(P92)

本当に始まったのか分からなかったとなり町との戦争は、本当に終わったのか分からないまま終わりを迎えます。この「戦争」が分からなかった「僕」にとって、確かだったのは香西さんとのつながりでした。

「だけどぼくは、香西さんまで、『いつのまにか』失いたくはないんだ。この、何もわからない戦争の中で、香西さんと一緒にいられたこと、香西さんと過ごした毎日、香西さんの笑顔、それだけがぼくにとってのかけがえのないものだったんだ」(P220)

「失うことの痛み」、はじめて「戦争のリアル」を感じた「僕」。

「これが、戦争なんだね」「これが戦争なんです……」(P223)

あることが「分かる」ということは、言い換えればそれをもって、あることについての思考を止めてしまうことと言えるのかもしれません。

「分かる」とスッキリするし、気持ちがいい。しかし私は、そのスッキリとした気持ちになりたいがために、「分かった」つもりになって、自らを思考停止に陥らせ続けることを成長とみなしてきたのではないかと思えてきました。

「分からない」ままの、このスッキリしない読後感は、私が「スッキリ」よりも「分かろう」として「分かりたい」として、再びなのか初めてなのか、いずれにせよ思考し始めた証であると信じたいと思います。

文庫版の目次を紹介すると、

第1章 となり町との戦争がはじまる

第2章 偵察業務

第3章 分室での業務

第4章 査察

第5章 戦争の終わり

終章

別章

となっていて、最後の別章は、文庫版だけの特別書き下ろしサイドストーリーです。この別章は「となり町戦争」本編とは、出来事でも登場人物でも関連しあっているのですが、ここで登場する西川チーフの言葉は香西さんの言葉とも通じるものがあって、地域活性事業としての戦争を理路整然と説くその姿に、私はある種の怖さを感じました。

「となり町戦争」は、『北原修路』役を江口洋介さんが、『香西瑞希』役を原田知世さんが演じて映画化され、現在公開中です。が、公開している映画館が少ないので、観に行きたいのですが難しいかなぁ…。

そして検索中に知ったのですが、小説すばるの2007年3月号で「戦争研修」と題した「となり町戦争」のスピンオフ作品が掲載されているそうです。単行本を発刊した後、別章、そして「戦争研修」を発表するというのは、作者の三崎さんがこの作品に強い思い入れがある表れではないでしょうか。集英社のサイト上では、三崎さんのメッセージを聞くことが出来ます。

「あなたはこの戦争の姿が見えないと言っていましたね。もちろん見えないものを見ることはできません。しかし、感じることはできます。どうぞ、戦争の音を、光を、気配を、感じ取ってください」(P122)

◎関連リンク◎

三崎亜記『となり町戦争』(集英社)

第17回「小説すばる新人賞」受賞作品『となり町戦争』(集英社)

となり町戦争(角川映画)

となり町戦争(舞台)

小説すばる 2007年3月号目次(集英社)

となり町戦争(WEB本の雑誌)

[気鋭新鋭]三崎亜記さん(YOMIURI ONLINE)

となり町戦争 [著]三崎亜記(asahi.com)

映画ひとこと百言 「となり町戦争」(MSN-Mainichi INTERACTIVE)

・『失われた町』 三崎亜記 2006.11 集英社

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2007年3月 4日 (日)

広島を歩く

私はここ数年、ほとんど大阪を離れることがありませんでした。仕事のこともありましたが、出歩くと「楽しい」よりも「疲れる」「不安」という気持ちが先立ってしまうので、これまでなかなか行動を起こせなかったのです。しかしこの春、良い条件が揃っていたので、思い切って旅に出ることにしました。仕事も一段落ついて今なら時間があったこと、そして「青春18きっぷ」が今ならお得だったこと。

通常、「青春18きっぷ」は11500円で販売されるのですが(これでも十分安い)、平成19年4月1日にJRグループが発足20周年を迎えるにあたり、この春期間は、「JR発足20周年・青春18きっぷ」として、なんと8000円で販売されているのです。JR全線の普通列車の普通車自由席および宮島航路が乗り降り自由で、それが5日分なので、計算上なんと1日1600円で乗り放題ということになります。

以前から、広島、長崎、水俣に行きたかったのですが、今回は広島に行くことにしました。大阪~広島の往復と宮島へ行くのに、通常なら13000円ほど旅費が掛かるところを、3日分使ったので、4800円で行けた計算になります。すでに元は取れていますが、まだ2日分残っているというお得すぎる状況です。

普通列車の旅はやはり時間はかかりますが、途中下車をしようがその日のうちは何度でも改札を出入り出来、自由度がかなり高いので、疲れましたがそれも含めて楽しかったです。行きは下の図の通りに行きました。

【広島市内】

広島市内は、交通が非常に発達していて驚きました。バスと路面電車が絶えず行き交っていて、市内各地を広くカバーしています。運賃も良心的な値段だと思いました。路面電車は車体が数種類あり、モダンと古き良き時代のデザインが共存していて、すっかり街に溶け込んでいました。

私はこの記事のタイトルにあるように、市内をとにかく自分の足で歩き回りました。なんせ自分の生き方として、自由度が高いのが好きなもんで。でも折角なので、一度だけ路面電車に乗って移動しました。(本当は歩き疲れて…)

「みんなの広島3大プロ」という看板を見つけました。旅行中、ちょうどJリーグが開幕し、テレビではサンフレッチェ広島の話題で盛り上がっていました。

街のいろいろな所に、戦時中のことが書かれた碑文が設置されていました。

【原爆ドーム】

水と緑に溢れた美しい広島の街中に、原爆ドームはただただ屹立していました。その姿は、わずか60数年前にこの広島の地が一発の原爆によって地獄に変容してしまったことを絶対に忘れてはいけないと語りかけてくるようでした。

これまで映像を通してしか知らなかったので、思っていたより小さい建物だったんだなと感じました。原爆ドームが現代の町並みとどのように共存しているのかをこの目で確かめることができました。

【広島市民球場】

広島東洋カープの本拠地です。原爆ドームとは目と鼻の先にあります。えっと、まずはごめんなさい。カープは私が2番目に応援しているチームです(1番はやっぱり虎…)。良い選手が多いのはカープを移籍していった選手の活躍を見ると明らかですが、最近はなかなか優勝争いに絡んでこれていません。しかし私の中でカープはずっと強いんです。

私がプロ野球に関心を持ち始めたのが1990年代の始め頃なのですが、カープが1991年に優勝したときのことが強く印象に残っていて、さらに赤ヘル軍団を見ると戦国最強の武田家の騎馬隊とも重なって、すごく強いイメージなんです。黒田投手の熱い思いをチーム全体のものにして、阪神と優勝争いをしてほしい、なんて勝手なファンの夢。

広島土産の「カープかつ」。一円玉を置いてみました。でかいです。下の小さいのが16袋も入っています。ご飯にもパンにも合いそう、ソース文化万歳!

【広島平和記念資料館・平和祈念館】

広島平和記念資料館の入り口に地球平和監視時計がありました。上は、広島に原爆が投下されてからの日数、下は最後の核実験からの日数です。(写真は2007年3月3日現在のもの)

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の入り口に設置されているモニュメントは、原爆投下時刻である8時15分を表しています。出口には水が流れ続けるモニュメントがありました。館内にも、あの日、水を求めて亡くなった原爆死没者を追悼するための水盤がありました。

現在の広島市の水と緑で満ちた美しさ。その原点、その思いが確かに伝わってきました。今回、資料館と祈念館を訪れて、ここは時代を超えて人類が来続けるべき場所だと思いました。それだけ訴えかけてくるものがありました。

【平和記念公園周辺】

T字型をした相生橋が、原爆投下の目印とされたそうです。平和の時計塔は、8時15分にその音を奏でます。

「はだしのゲン」の小学校のモデルという、本川小学校。

平和記念公園内で見つけた被爆したアオギリの木。このような木を被爆樹といい、現在も市内各地に残っているそうです。

平和記念ポストがありました。平和大橋から広島平和記念資料館に向かう途中にあります。

【広島城】

広島城は鯉城(りじょう)とも呼ばれています。城域内のトイレは、外観もピクトグラムも工夫されていました。ユーカリの被爆樹を見つけました。

【宮島・厳島神社】

日本三景の一つ、安芸の宮島。宮島口と宮島とを結ぶJRの宮島航路は、全国で唯一、青春18きっぷを利用できる航路です。

宮島では至る所に鹿が。商店街にも警察署にもいましたが、それも普通のようです。厳島神社は潮の香りで満ちていて、とても美しい景観でした。

商店街には巨大なしゃもじが鎮座していました。郵便局にはポストの代わりにに書状集箱が。これまた珍しい。

私にしては思い切って広島に行って良かったです。やはり遠くで学ぶのと、実際の地へ行って見聞きするというのは感じが違うもんだなと思いました。その地理や位置関係が分かったということも自分の中では大きな収穫でした。

さて青春18きっぷの残り2日分をどうするか、現在思案中です。

◎関連リンク◎

「JR発足20周年・青春18きっぷ」の発売(JR西日本)

「青春18きっぷ」超基本ルール10(All About)

宮島連絡船(JRおでかけネット)

ひろでんアベニュー

広島県

広島市

広島平和記念資料館

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

広島東洋カープ

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